世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

テナント(物件)を探せ!

2014年08月31日 | 出版
NPO法人インターナショナル・プロジェクト協会のホーチミン支部のスタッフたちは本当によく動いてくれる。

大助かりだ。


今回の旅の目的は、人材発掘と店舗物件探しにある。


昨日は秘書のT女史の案内で6か所の物件を見て回った。


     大家さんと連絡を取る


ホーチミン市はベトナム最大の経済都市であり、東南アジア有数の世界都市でもある。

19の区からなり、人口もやがて1,000万人になろうとしている。

ほぼ東京並みである。


その中心が一区であり ホーチミン市の金融、 商業、行政の中心であり、

市庁舎と多くの国の総領事館がここに位置している。


もちろん地価も高い。


店を構えるならどこがいいか、

迷うところだ。


だがそれでも彼女はあえて一区でテナントを見つけてくれた。

2日前に開いていたという路地裏の小さな店は、すでに借り手が決まっていた。


      路地裏の物件


もう一つは、大学や大聖堂が近くにある一等地。


     大家さんと交渉する

意外と安い。

もちろん彼女の手腕が光っている。


     別の物件で交渉は続く(美容院跡)


あとは、一区を取り巻く3区や10区の物件も案内してくれた。



このあとは、ハノイでお世話になっているコンサルタントのX女史とコックさん候補の女性と合流。

海鮮料理が得意という彼女らの勧めで、貝料理専門店へ。



店内はお客さんであふれている。人気店だ。




今日もこれから料理教室の予定。

さあ、腕が鳴る、じゃなくて、腹が鳴る。

ベトナム女性とダイエット

2014年08月30日 | 
国の発展とグローバル化につれ、困った問題が起きることがある。


そのうちの一つが肥満の問題である。

その一因は、ファーストフードの普及とともに食生活が変化することにある。

そこに便利さが故に運動不足が追い打ちをかける。


世界一セクシー(とボクは思っている)な民族衣装、アオザイを持つベトナムでさえ例外ではない。

それに、ベトナム料理は日本料理に引けを取らないくらい健康食である。


ベトナム人女性がアオザイが合うのは、それはスリムであるからだ。

特にウエストが締まっていなければ、なかなか着こなせない。


ベトナムの食材は、昔ながらの市場で購入することが多いが、

ここへきて欧米型のショッピングモールが次から次へとできている。


世界のほとんどのショッピングモールはの店はチェーン店が多い。

ベトナムにも、今年に入ってマクドナルドやスタバができた。


それにつれ、女性のおなかのくびれが消えていく。

ジムができ、慌ててエクササイズに励むことになる。


今や、ベトナム人女性もアオザイを着るときは一苦労である。

それだけにどこの国にもましてベトナム人女性はダイエットに目がない。



これからダイエットの料理屋さんが増えていくことは間違いない。


ということで、昨夜はベトナムでも初めてといってよい、

シラタキ料理のお店に連れて行ってもらった。


     こじゃれた入口(靴を脱いで入るのがまた新鮮)


まだオープンして2週間ほど。

画期的な店だ。


こじんまりとして、まだ若いご夫婦で切り盛りされている。




路地裏の目立たないところにあるだけに、お客さんはまだまばらなようだ。

だが、口コミでこれから増えていくだろう。


二階が住居で、家賃が$600という安さに驚いた。


     メニューにSHIRATAKIの文字が



     シラタキドリア(イタリアンとのコラボ)



シラタキはコンニャクイモから作る。

こんにゃくは日本の誇る健康食の一つだ。



カロリーが極めて低く食物繊維が豊富という理由もあって、ダイエット食品(健康食品)としても人気がある

そもそもコンニャクイモは6世紀中頃に薬用として朝鮮から伝わり、

その後推古天皇の時代に本格的に中国から輸入された。

その目的は「砂払い(整腸)」の薬効であったが、

鎌倉時代までに食品として確立、精進料理に用いられるようになる(Wikipedia)


コンニャクゼリーがなぜ受けたか、わかるような気がする。


ということで、納豆も健康、ダイエット食としてベトナムに受けるようになる、という確証をここでも得た。


あとはいかに料理をするか、いかに売るか。

それが今回の旅の目的の一つである。


まず今日は、はお店としての物件探しから始めよう。




    これは奥様が特別の作ってくださった巻きずしもどき

中の白いのはご飯ではなく、卵白を固めたもの

歯ごたえがあって美味だった。



納豆と豆腐と蒟蒻。

これがこれからの三大キーワードになりそう。



【参考】

ちなみに、シラタキと糸こんにゃくの違いは?


シラタキとは、こんにゃくいもの粉と石灰乳を混ぜ合わせ、かたまらないうちに細く押し出して、熱湯で固めたもの。

つまり、固まる前に細い糸状に形をつける。


いっぽう、糸コンニャクは、いったん、コンニャクをかためてから、細く切り出したもの。

昔は、ところてんを押し出すようにコンニャクを押し出して細く切っていた。


つまり、固める前に細くしたのが「シラタキ」、

固めてから細くするのが「糸コンニャク」。

こんにゃくいもは、そのまま固めると乳白色になる。で、これがシラタキの色。

コンニャクは、海草などで色づけしているので、糸コンニャクは灰色っぽい色になる。

一般に関西では糸コンニャク、関東ではシラタキが好まれるようである。

味の違いは、微妙。

NPO支部

2014年08月29日 | 国際
NPO法人インターナショナル・プロジェクト協会は、現在支部が

国内に1つ(熊本県・阿蘇)、海外(ハノイ、ホーチミン、プノンペン)に3か所ある。


今年中に海外ではバンコック、国内では福岡、大阪支部ができそうな気配だ。


福岡には念願のフリートーク福岡を設立すべく動いてきたが、

それを引き受けてくださる方が出現した。


これから場所を探し、外国人スタッフを探さなければならない。

自薦、他薦を問わず、どなたか外国人でマネージャーになる人はいないだろうか。



今日からベトナムに入る。

まずは、ホーチミン。


すでに、納豆レストラン、日本語フリートークの候補地が何か所かあるという。

現地のスタッフたちが待ち受けている。


ホーチミンからハノイに入るが、ハノイも同じ状況だ。

刻々と設立準備が進みつつある。


年内に、そのうちのいくつかが実現するだろう。

来年にかけてますます忙しさは増すばかりだ。



命は既に天に預けてある。

天から下されたミッションを果たすべく粉骨砕身するのみだ。


命を懸けた自分との戦いが繰り広げられる。

一年で諦める人の末路

2014年08月28日 | 人生
何をやるにも最低一年は覚悟が必要だ。

そしてそれを次の一年へとつなげていく覚悟も。


何の覚悟かというと、

耐え忍ぶ覚悟だ。


ところがその苦しみに耐えかねて、一年でリタイアする。

そんな愚かな輩が数多くいる。


やっと二年目から芽が出て花が咲くのに、

水をやり、肥料を施してきたことをやめてしまい、

せっかく土の下で育っていた芽を枯らしてしまう。


一年間の努力が水泡と帰す。

ほんとうに、これからとい時にどうしてやめてしまうのだろう。




夢を実現するには、それなりの時間がかかる。

早ければいいというものでもない。


苦節10年とか言われるように、じっくり熟成して育てる夢もある。

早く咲けば早く枯れる可能性もある。

一年草より、多年草のほうが好きだ。

大輪より、小粒の花が咲き乱れる光景が好きだ。


小粒の花とは、仲間を指す。

一人で叶えられる夢は無に等しい。


共鳴する仲間がいて初めて夢は叶う。


だがその仲間も、ポツポツと去っていくかもしれない。

時には失意のどん底に叩きのめさせられる。

自信喪失に陥ることもある。

人間不信になることもある。

孤独感に苛(さいな)まれる時だってある。

罵詈雑言を吐かれることもあるだろう。



だが、あきらめてはいけない。

夢に信念と使命感があるなら続けられるはずだ。


あきらめずに続けていれば、新たな仲間が必ず現れる。


その時、仲間が自分を助けてくれると思ってはいけない。

自分が仲間の夢を叶えるお手伝いをするのだ。


もちろん、うまく利用されるだけかもしれない。

仲間からまた裏切られることだってある。

そしてまた彼らは離れていく。


そうした苦汁を何度舐めさせられただろうか。

それでもあきらめてはいけない。

それでも歩き続けなければならない。

汗と涙と血の結晶が雪のような美しい華の形となって現れる。


手塩にかけて育てて( bring up 《a child》 under one's own care) も、

裏切り、後ろ足で砂をかけて去っていく(do something spiteful as one leaves) 輩の行く末は悲惨なものだ。


新しい細胞が入れ替わるように、

血液が流れるように万物流転(everything is constantly changing )を繰り返す。


人は常に生まれ変わる(reborn)ことができる。

ただし、それは進化と成長を伴った変化でなければ意味がない。



「唾をかけられても、踏みにじられても

俺は雑草のように強く生きていく。

目立たない小さな花を咲かせるために」 By Asay



【関連したことわざ英語】


罪を憎んで人を憎まず( condemn the offense, but not the offender )

身から出た錆 (paying for one's mistakes)

自業自得(•be one's own fault)

因果応報 (retribution;)

障がい者になろうと決めた夜

2014年08月27日 | 福祉
健常者には障がい者の気持ちはわからない。


じゃあ、障がい者になりましょう。

どこが違う。


障がい者手帳を持てば、ボクも障がい者と同じ立場に立てるんだったら、

喜んで障がい者になる。


精神科に行きます。


そして、障がい者の烙印をもらえば済む。

それで障がい者の気持ちがわかれば簡単さ。

そうすればいいだけのこと。



普通に見える人が、意外にも障がい者手帳を持ってたりする。

明らかに社会不適合者と思える人が障がい者手帳を持っていない。、


ある人と議論をした。

彼は障がい者手帳を持っていない。

だけど、ボクから見れば完全な社会不適合者なのだ。


50歳代、男性。

仕事ができない、結婚もできない、友達もいない。

人の話を聞かない。

すぐ忘れる。

その瞬間瞬間の感情をすぐに爆発させカッとなる。

そうなると話し合いも何もできなくなる。

そのあと彼はいつも後悔する。

この繰り返しで生きている。

彼は自分がおかしいことに気付いているが、それを認めたくないようだ。

親兄弟に頼って生活しているいわゆるパラサイト。





批判覚悟で書こう。



医者の診断なんてすぐに騙せる。

大学時代にそうしたから。


わざと、狂った結果を出した。

それ自体が狂っていた。


数字の足し算をやったような記憶がある。

ロールシャッハ法の試験も。


みんなでたらめに答えた。

そしたら、あなたはおかしいと診断が出た。


まともなのに、気違いという結論を出されたら、どうだろう。


医者の診断なんていい加減なものだとその時悟った。


もう一回やってみたくなった。

いかさまがどこまで通じるか。

不謹慎といわれてもいい。



人は一般にまともに見られたいと思う。

頑張って、いい結果を出そうとする。


逆だったらどうだろう。


人はみんな障がい者なのなら、障がい者手帳をもらえばいい。

手帳があるかないかの違いではないか。


ならばあったほうがいい。

いろんな特典が受けられる。


黙ってれば誰にもわからない。

恥でもない。

むしろ障がい者であることが強みになる。




障がい者の気持ちを理解するには、

自分が障がい者になることが一番の近道だと思った。



【追記】


障がい者を愚弄する意図は一切ありまん。

むしろ、少しでも理解したい一心です。

誤解のないように。

誰もがみんな障がい者

2014年08月26日 | 福祉
先日の障がい者カフェの記事を読んで、

カンボジアに住む知り合いの女性から、以下のようなメッセージをいただいた。


障がい者カフェは辞めた方が良いと思います。

昔ボランティアで行っていたことがありますが、

あくまで福祉施設になってしまって、障がい者としてしか相手を観なくなります。


補助などを貰っても良いとは思いますが、

福祉や障がい者などを表に出すことは止め、味やサービスを徹底して利益追求した方が良いと思います。


障害があるなら何かで補えば、障害ではありません。

障がい者を障がい者として観ていたら、ずっと偏見です。


人間苦手なこと、できないことは絶対あります。

ある意味この世の中に障がい者ではない人はいません。




しごくもっともなことでである。

特に最後はグサッときた。



前にも書いたが、まぎれもなくボクも障がい者である。

ただ、障がい者手帳は持っていない。

診察を受けても障がい者とはみなされないかもしれない。


いわゆる隠れ障がい者である。


だが、ボクの周りにはそうした人が何にもいる。


社会不適合者と言い換えてもいいかもしれない。


こうした人の特徴は人とのコミュニケーションがうまく取れないことが多い。

集中力に欠けるから、仕事をしても長続きしない。



社会不適合者をネットで調べてみると、


「会社に合わない」「理不尽な対応に疑問を感じる」「社会のシステムになじめない」「就職 に疑問を感じる」など、

社会のルールやシステムに疑問を感じる人、なじめ ない人を社会不適合者といいます。

こういう人は社会に出てもなかなかうまくいかないような人だ。


多くの人が歩む一般社会というレールの上ではレールを外れた者を社会不適合者や 負け組と呼ぶ、ともある。...


あるいは、社会不適合者とは、一般社会の要求に応えて生活することが困難な者のことである。

日本社会においては、空気を読んで、他者とコミュニケーションを取る必要があり、

空気 が読めない人間は、社会不適合者であることが多い。



人は皆心のどこかに傷を持ち、悩みを抱え、問題を抱く。

完璧な人間なんて存在しない。

欠点があるのが人間なのだ。



そこに完ぺきを求めようとするところにそもそも矛盾がある。

完璧主義、生真面目な人が鬱になりやすいゆえんだ。


細かいことを気にしすぎる、

過去のことをいつまでも悔やむ、

起きてもいない先のことを不安に思って悩む。


この3拍子もそろっている。


さらに、いい子になろうと周囲の目を気にする割には、行動が自己中に偏ってしまう。

そこにイライラやストレスが生じ自分を傷つけてしまう。


パラノイア(思い込み)が強く、応用が利かないことも特徴だ。

つまり変化に対して適応能力に欠けるから”不適合”になってしまうのだ。


これらはいわば一種の発達障害にあたあるのではないだろうか。


こうした障がい者手帳を持たない障がい者予備軍が巷にはあふれている。

ボクも例外ではなくその一人である。


だから、自分を含めて何とかしたいという気持ちが働くのだ。


障がい者であることを隠さず、それでも堂々と生きてやる、といった気概が必要なのではないか。

障がい者には特権がある。


公共交通機関が割引料金で利用できる。

介助者も同じだ。

これはボクにも経験があるからよくわかる。


それに、障がい者年金というのがもらえるらしい。

それで、酒を飲んだりタバコを吸ったりギャンブルにいそしんでいる者もいる。

正直羨ましさえ感じる時がある。


毎日あくせく仕事をし、資金繰りに頭を悩ませるより、

いっそ生活保護に身を置きたい時だってある。


ただそうなると海外へは行けなくなる。

それがボクを思い留まらせている。


そして、ボクのいい加減な性格が鬱になることをかろうじて防いでいるのかもしれない。


ボクが外国人や障がい者と今くやっていけるのは、偏見を持たないからだ。

彼らはどこかうしろめたさを持っている。

居づらさを感じている。



インターナショナルカフェも、障がい者カフェもそれを逆手に取った考えから来ている。

だからボクは、障がい者であることを憚らず前面に出してもいいのではないかと考えている。


『障がい者による、障がい者のための、障がい者のカフェ』

障がい者が胸を張って働ける場。


障がい者イコール社会不適合者ではない。

パラリンピックのように、障がい者が多くの人に勇気を与え、

堂々と社会に貢献できる姿を増やしていきたい。




【追記】


カンボジアには地雷で足や腕を亡くした人がたくさんいる。

彼らは、楽器を演奏して生計を立てている。

立派なミュージシャンだ。


      看板にちゃんと書いてある


彼らはこういう。

我々はお金をめぐんでもらう必要はない。

ちゃんと仕事をしてお金を稼いでいるのだ、と。

カンボジアが動き出した

2014年08月25日 | 国際
とうとうカンボジアが動き出した。


NPO法人インターナショナル・プロジェクト協会のカンボジア・プノンペン支部からの連絡がきた。


以下抜粋である。



クールジャパン戦略で日本の文化を海外に普及させようとしています、 

ユネスコに登録された和食、そのなかでも特に世界に和牛を売り込もうとしていますよね、


確か、7月だったかと思いますが林農林水産大臣がホ-チーミンの ホテル日航のレストランを貸切にし 

関係者関西方面の和牛生産者やJA協会等など総勢300人以上があつまり 

(神戸牛の)牛肉の試食会開催しベトナム人関係者も含めて3日間行われました。

      
此れを期に、

プノンペン市内に和牛を取り扱う鉄板焼きステーキレストランをオープンさせ 

日本の和牛文化を宣伝します、


したがって鉄板焼きレストランの為にこれをクールジャパン戦略で申請し

3000万円~5000万円の資金が助成金として出ると思いますか?


かじさん 意見をアドバイスをお願いします。

NPO法人インターナショナル・プロジェクト協会プノンペン支部




確かにいま日本はWAGYUを世界に売り出そうと懸命だ。

KOBE や MATSUCZAKA は世界の高級牛肉ブランドになっている。

高級であるからして、高い。

日本でも高い。


ベトナムにしろカンボジアにしろ新興国で売り出すには富裕層を狙うしかない。

あるいは日本企業の接待だ。


プノンペンの支部長は日本人である。

彼は、もともと料理人でベトナムのホーチミンで彼が日本料理店を営んでいる時に知り合った。


それから、3年ほど前にカンボジアに移った。

料理の腕に間違いはない。

そして、カンボジアにも精通している。


彼との信頼関係も築いている。


彼はそれより以前、ドバイやテヘランといった中近東でもレストランのコックをしていたことがあり、

イスラム圏にも造詣が深い。


その彼が乗り出したのだ。

ここは受けて立とう。


さっそく彼に指示を出した。




ところで海外組は元気だ。


ホーチミンでもハノイでも支部のスタッフたちが活発に動いてくれている。

今週金曜日から訪れるホーチミンもハノイもすでにスケデュールが詰まっている。



年末から来年にかけて、タイ、インドネシア、ミャンマーとASEAN諸国を中心に活動の場は広がっていく。



こうしてNPO法人インターナショナル・プロジェクト協会は、主体的なあなたの夢を実現するお手伝いをします。

本気で夢を叶えたい人はNPO法人インターナショナル・プロジェクト協会の門をたたいてほしい。


The door is always open for you.

障がい者カフェは本当いできるのか

2014年08月24日 | 福祉
障がい者という未知の世界を垣間見ている。


最近街中でも車いすの人をときどき見かけるようになった。

それはボクの意識がそれをキャッチしやすくしているせいかもしれない。


一人で行動している人が多い。

電動化などでずいぶん使い勝手がよくなったことも影響しているのだろう。


だが、まだまだ隠れた部分が多すぎて、その実態がわからない。

だが、知れば知るほど大変な世界なのだとわかる。


気の毒に思う気持ち。

何とかしたいと思う焦り。


相手は人間であり、一人ひとり症状も違えば、人格も違う。

発達障害と鬱とは相いれない、とも聞く。


もう一度原点に返って考えてみたい。


「障がい者の、障がい者による、障がい者のためのカフェ」

障がい者の方々が、のびのび、生き生き働ける場の提供だ。


ただ、経営をしていけなければ成り立たない。

収益を上げなければならない。

だからと言って儲けに走れば本末転倒になる。


助成金や給付金に頼って経営、運営だけにフォーカスすれば、

障者一人一人に対する意識が薄れそうで怖い。


どうしても現実的になればなるほどその傾向が強くなる。


だが、ここは踏ん張りどころだ。

易きに流れてはことを仕損じる。


あえて茨の道を選ぶのがボクのやり方なのだ。


もう一度、なぜ「障がい者カフェ」をやりたいと思ったのか。

そこを見つめなおしたい。