ここは不思議な街だ。
人口500万人の大都会なのに、毎朝ニワトリの声で起こされる。
だが今朝はほとんど一睡もできないままベッドに横たわって鶏鳴を聞いていた。
枕は涙でぬれている。
両方のの瞼は張れて視界を遮っている。
頭が割れるように痛い。
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昨夜は涙が止まらなかった。
パソコンに向かって号泣した。
今も止めどもなく涙が流れる。
パソコンのキーボードが霞(かす)む。
フィリピンのメラニーが死にかかっている。
短編小説「小さな恋」の主人公・ポーリーンのお母さんだ。
あまりに現実が生々しく、その後続きが書けないでいた。
これはそんな矢先の出来事だった。
33歳の彼女は極度の低血圧症だ。
下が60、上は80しかない。
血液が上手く回らないのか、体はあざだらけだった。
それでも、初めてフィリピンを訪れた時彼女は真摯にアテンドしてくれた。
ポーリーンは、2日前に9歳の誕生日を迎えた。
ボクをアンクルと呼ぶが、時にファーザーとも呼んでくれた。
彼女を始めて馬に乗せてから、彼女は病み付きになったようだ。
ボクが帰国して一週間後、メラニーはせがむポーリーンを乗馬に連れて行ったそうだ。
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昨夜のチャットで、メラニーが
「あなたのことは一生忘れないわ」 と書いてきた。
どういう意味?と聞くと
この数日毎日病院に行って輸血を受けているという。
明日からチャットもできない、寂しいと。
入院して、帰ってこれないかもと。
明日か、明後日か分からない。
いなくなる。
ボクは、「ダメだー!」と叫んでいた。
明日フィリピンに飛ぶよ。
ボクの血を上げる。
同じ血液型だから。
彼女は頑なに拒んだ。
「今また私の身体はあざでいっぱい」
こんな体をあなたに見られたくない。
それにあなた、明日も仕事でしょ。
いつも忙しく、チャットもままならないボクに皮肉とも取れる言葉で彼女は気遣った。
ポーリーンはどうするんだ。
お母さん(お祖母ちゃんが)見てくれる。
明日病院は早いからもう寝る。
12時を回っていた。
毎に注射は痛いし、体も痛い。
もう疲れた。
もう、ヤダ。
待って!
そんなこと、言うな。
声が聴きたい。
ボクは電話をかけた。
彼女は出ない。
2回、3回、4回、5回。
ボクは執拗にかけ続けた。
お願いだから出ておくれ。
少しでいいから。
そしたら寝よう。
一緒に寝る?
ああ、一緒に寝るよ。
ずっと抱きしめていてあげるから。
彼女はやっと電話に出た。
カメラは切ったままだ。
ボクは敢えて涙でくしゃくしゃになった自分の顔を映して見せた。
私も泣いてる。
もういい?
ああ、いいよ、おやすみ。
声にならない声でボクは答えた。
一緒に寝る?
ああ、一緒に寝よう。
じゃあ、1,2,3.
彼女は電話を切った。
I love you.
ずっと忘れないわ。
天国でまた会おうね。
そう言い残してチャットも切れた。
ボクは声をあげて泣いた。
なんでこんな時にぼくはベトナムにいるんだ。
ハノイーマニラ間に直通便はない。
それに、今ベトナムでもボクは重大な局面を迎えている。
バッチャンにも行かなければならない。
何故神はこんなにも非情なのか。
ポーリーンとのチャットがつながった。
マミーは今寝てるよ。
明日病院行くんだって?
うん。
もう疲れたって。
ああ。
Please pray for mom, uncle.
(アンクル、お母さんのために祈って)
Sure, Pauleen.
(もちろんだよ、ポーリーン)
Good night.
Good night.