世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

お願い、死なないで

2012年11月30日 | 
今朝のハノイもどんよりと曇っている。

ここは不思議な街だ。

人口500万人の大都会なのに、毎朝ニワトリの声で起こされる。


だが今朝はほとんど一睡もできないままベッドに横たわって鶏鳴を聞いていた。

枕は涙でぬれている。

両方のの瞼は張れて視界を遮っている。

頭が割れるように痛い。


―――――――――――――――――――――

昨夜は涙が止まらなかった。

パソコンに向かって号泣した。

今も止めどもなく涙が流れる。

パソコンのキーボードが霞(かす)む。



フィリピンのメラニーが死にかかっている。


短編小説「小さな恋」の主人公・ポーリーンのお母さんだ。

あまりに現実が生々しく、その後続きが書けないでいた。

これはそんな矢先の出来事だった。



33歳の彼女は極度の低血圧症だ。

下が60、上は80しかない。

血液が上手く回らないのか、体はあざだらけだった。

それでも、初めてフィリピンを訪れた時彼女は真摯にアテンドしてくれた。


ポーリーンは、2日前に9歳の誕生日を迎えた。

ボクをアンクルと呼ぶが、時にファーザーとも呼んでくれた。

彼女を始めて馬に乗せてから、彼女は病み付きになったようだ。

ボクが帰国して一週間後、メラニーはせがむポーリーンを乗馬に連れて行ったそうだ。




―――――――――――――――――――――――

昨夜のチャットで、メラニーが

「あなたのことは一生忘れないわ」 と書いてきた。

どういう意味?と聞くと

この数日毎日病院に行って輸血を受けているという。


明日からチャットもできない、寂しいと。

入院して、帰ってこれないかもと。

明日か、明後日か分からない。

いなくなる。


ボクは、「ダメだー!」と叫んでいた。

明日フィリピンに飛ぶよ。

ボクの血を上げる。

同じ血液型だから。


彼女は頑なに拒んだ。

「今また私の身体はあざでいっぱい」

こんな体をあなたに見られたくない。

それにあなた、明日も仕事でしょ。

いつも忙しく、チャットもままならないボクに皮肉とも取れる言葉で彼女は気遣った。



ポーリーンはどうするんだ。

お母さん(お祖母ちゃんが)見てくれる。


明日病院は早いからもう寝る。

12時を回っていた。


毎に注射は痛いし、体も痛い。

もう疲れた。

もう、ヤダ。



待って! 

そんなこと、言うな。

声が聴きたい。

ボクは電話をかけた。


彼女は出ない。

2回、3回、4回、5回。

ボクは執拗にかけ続けた。


お願いだから出ておくれ。

少しでいいから。

そしたら寝よう。


一緒に寝る?

ああ、一緒に寝るよ。

ずっと抱きしめていてあげるから。


彼女はやっと電話に出た。

カメラは切ったままだ。

ボクは敢えて涙でくしゃくしゃになった自分の顔を映して見せた。


私も泣いてる。

もういい?

ああ、いいよ、おやすみ。


声にならない声でボクは答えた。

一緒に寝る?

ああ、一緒に寝よう。


じゃあ、1,2,3.

彼女は電話を切った。


I love you.

ずっと忘れないわ。

天国でまた会おうね。


そう言い残してチャットも切れた。

ボクは声をあげて泣いた。




なんでこんな時にぼくはベトナムにいるんだ。

ハノイーマニラ間に直通便はない。

それに、今ベトナムでもボクは重大な局面を迎えている。

バッチャンにも行かなければならない。


何故神はこんなにも非情なのか。



ポーリーンとのチャットがつながった。

マミーは今寝てるよ。

明日病院行くんだって?

うん。

もう疲れたって。

ああ。


Please pray for mom, uncle.
(アンクル、お母さんのために祈って)

Sure, Pauleen.
(もちろんだよ、ポーリーン)

Good night.

Good night.

コーヒーショップ状況

2012年11月29日 | 仕事
ハノイにコーヒーショップを出すためのマーケットリサーチをした。

ベトナムのコーヒー生産量は、知る人は少ないだろうが、

今年ブラジルを抜いて世界一になった。


ベトナムは、世界一カフェの多い国ではないだろうか。

小洒落たカフェが至る所にある。






ここ2~3年、ボクはハノイにカフェを作るべく模索していた。

景気がいいため、どこも売りに出すところはなかった。


今回、2か所の店が売りに出ているという情報を得た。


一か所はハノイの中心地(ホエンキエム地区)にあり、

もう一つは、郊外にあるという。


中心地の物件は、$10,000(85万円)

郊外は$8、000(70万円)だという。


買うといっても、ここは社会主義国である。

不動産ではなく、権利を買うことを意味する。


――――――――――――――――――――――――

市街地の物件を訪ねたが、もうすでに売却されていた。

今日、郊外にある物件を訪ねることにしている。

テナント料は月$400(3万5千円)と破格だ。



コーヒー一杯の値段は、

¥40~¥100程と安い。

それでも、一日100人ほどお客さんが入るというから、

一杯50円としても、一日の売り上げは¥5、000だ。


無休でやれば、一か月15万円。


ここから原価20%、3万円

テナント料 3,5万円

人件費 1万円(二人分)を引いても

7万5,000円がオーナーの手取りとなる。


これは、平均月収が1万円以下に比べれば、

高給取りに位置する。


一人平均売り上げを$1にすれば、

月の売り上げは30万円となり、


手取りは、20万円と日本よりいい儲けとなる。



もちろんこれは皮算用に過ぎない。

いずれにせよ、店を開けば

アンテナショップとしてその先の展開の足掛かりとなることは間違いない。


コーヒー粕プロジェクト構想、

クールジャパン構想

輸入雑貨開発など

現在抱えている多くの構想は急速に進むことになるだろう。



さて、気を引き締めて視察に臨むことにする。





ハノイの街から

2012年11月28日 | 
雨のハノイ。

この時期は少しヒンヤリする。

洗濯物も乾きが遅い。


相変わらずの喧騒だが、なぜか来るたびにホッとする。



昨夜は行きつけの食堂でいつもの焼きそばを喰った。







サラダ(葉っぱの籠盛り)と、漬物(きゅうりと人参の酢漬け)がついて

これで50,000ドン(200円)。



これでも毎回の値上げだ。

当初は35,000ドンだった。

行くたびに40,000ドン、45、000ドンと値上げが続く。


空港からのタクシーも$1ずつ上がり続けて、今回は17US$(¥1,500)だった。

40キロ、小一時間乗ってこの値段だから安いと言えば安いのだが。


今ベトナムはインフレの風が吹いている。

庶民の給料はさほど上がっていないので、生活は苦しくなる一方だ。


一般的な労働者の月給は5~8千円といったところか。

英語や日本語ができると1万円を超えるようだ。


―――――――――――――――――――――――

昨日のブログに書いたように

熊本に住むベトナム人研修生とひょんなことから知り合った。

熊本市内のある食品会社で8月から働いているという。

来る前に勉強してきたという日本語も片言だ。

英語は全くできない。


彼女らの住むアパートに招かれた。

6人が2DKの古びた部屋に住んでいる。


家具は一切何もない。

給料は、月7万円という。

その中から家賃を2万5千円引かれる。


残った4万5千円から一部をベトナムへ仕送りする。

食費は自炊でなんとかやりくりしている。


これは明らかに搾取だ。

奴隷に近い扱いといっても過言ではないだろう。



熊本を立つ前に、テーブルを持って行ってやった。

「こたつはありませんか」 と言われた。


「探してみるね」 って答えた。


どなたか炬燵を譲ってもらえませんか?



彼女らから、洋服をハノイの実家に届けるよう預かってきた。

さてどうして持って行こうか、思案中。




日本を発つ前に、彼女らを迎えに行ってフリートークに招待した。

バス代(片道260円)もないから街に出たことはないという。


ちなみに、ハノイ市内のバスは、どこまで乗っても20円ほどだ。



―――――――――――――――――――――――

ベトナム経済も、庶民の生活を見る限り近年の勢いは衰えを見せているようだ。


ただ、まだまだ消費欲は強い。


洗濯機、エアコン、掃除機のある家は少ない。


世界経済をけん引してきた中国も急ブレーキがかかっている。

習近平新体制がどう打って出るのか。


南シナ海の領有権問題でもベトナム、フィリピンともめ続けている。

チベット問題も焼身自殺者が後を絶たない。


北朝鮮と結託してミャンマーへ武器輸出を計る(日本が押収)など

悪行三昧は相変わらずだ。


――――――――――――――――――――――――――――

ベトナムも中国と同じ社会主義国だが、

街の雰囲気や庶民の生活所帯を見る限りその面影は薄い。


昨年使いづらかったfacebookもすんなりと繋がるようになった。

中国よりはまマシだ。


そのためベトナムのフェイスブックユーザーの増加は率世界一で、

この半年間で2.4倍にになっているが、それでも普及率は2%に過ぎない。



ベトナムのホテルは安い宿ほどWi-Fiが行き届いている。

しかも無料で利用できるが

今年7月から8月にかけて泊まった5つ星のホテルは

いちにち$12も使用料を取られた。



さて、ビジーな今回のベトナムの旅、

これからどういう展開を見せることになるだろうか。


行き当たりバッ旅の日々は続く。

11月27日(火)のつぶやき

2012年11月28日 | お金

ベトナムへ

2012年11月27日 | 
今年3回目のべトナム行き。


今回のお供は彼ら。



「招きくまもん」の貯金箱をバチャンで作ってもらうためだ。


また、バチャンのかももとに飛び込みで行って交渉しなければならないけど。



もう一つの目的は、

着物でアオザイを作ること。

3着の実績があるが、今回はさらに10着ほど持参している。


おかげで重量オーバーになってしまった。

着物って結構重いんだネー。


――――――――――――――――――――――

さらに今回ビッグ・プロジェクトの懸案を引っ提げている。


コーヒー粕からバイオマスを製造しようというもの。

これは国家プロジェクトだ。


まだ、マーケットリサーチの段階で

雲をつかむような話だがなんとか目途だけでも立てたい。



さらに今回は、最近知り合った熊本に住むベトナム人達の家族を訪問することになるだろう。

そこからまた新たな糸口が見つかるかもしれない。


一人は、ベトナム人美人講師のゆりちゃんとのご縁で知り合った男子留学生。


もう数人は、熊本に研修生としてきているうら若き3人のベトナム人女性。

彼女らからはハノイの実家に届ける荷物を預かっている。


ビジネスの基本は、現地の人たちと如何に友好関係を結ぶかにある。

まずそこがスタートラインだ。


コーヒーショップを開く懸案も数年前から持っている。


東南アジアの橋頭堡として最低限必要なのだ。

そこから、カンボジア、タイ、ラオス、フィリピン、

ひいてはマレイシア、インドネシア、ミャンマー、バングラデシュと攻め上れる。



ベトナムの次に進めているのは、フィリピンとカンボジアだ。

両国とも知り合いがいる。


フィリピンの印刷会社からは昨夜見積もりが届いた。

出版のための製本だが、日本の半額から3分の1ほどの値段でできる。


ただ、質の問題はこれから詰めなければならない。

上手くいけば息の長い事業になるだろう。



英会話がskypeを利用してフィリピンに流れたように、

出版業界もインターネットでフィリピンへとなれば成功だ。



――――――――――――――――――――――――

一方、上記のベトナム人美人講師のゆりちゃんも昨日からホーチミンに入っている。

滞在中訪ねて彼女とホーチミンデイトと洒落込むのも乙なものだろう。


英語一辺倒ではなく

そろそろベトナム語も覚える必要がありそうな気配になってきた。


ベトナム人はまだまだ英語を話す人が少ないからだ。

もちろん、日本よりはずっとましのだが。


一般的に、どの国に行っても、観光業、ビジネスを手掛ける人たちは

ほとんど英語を流暢にしゃべる。

これがグローバル社会においては当たり前なのだが。



今回は、また一味違った旅になりそうだ。

ただ、寝不足とこれまで突っ走ってきた疲労が気がかりではあるが。


そんな夢と期待、そして不安を背負って機上の人(今回は、台北経由)となる。

ベトナムへ

2012年11月27日 | 
今年3回目のべトナム行き。


今回のお供は彼ら。



「招きくまもん」の貯金箱をバチャンで作ってもらうためだ。


また、バチャンのかももとに飛び込みで行って交渉しなければならないけど。



もう一つの目的は、

着物でアオザイを作ること。

3着の実績があるが、今回はさらに10着ほど持参している。


おかげで重量オーバーになってしまった。

着物って結構重いんだネー。


――――――――――――――――――――――

さらに今回ビッグ・プロジェクトの懸案を引っ提げている。


コーヒー粕からバイオマスを製造しようというもの。

これは国家プロジェクトだ。


まだ、マーケットリサーチの段階で

雲をつかむような話だがなんとか目途だけでも立てたい。



さらに今回は、最近知り合った熊本に住むベトナム人達の家族を訪問することになるだろう。

そこからまた新たな糸口が見つかるかもしれない。


一人は、ベトナム人美人講師のゆりちゃんとのご縁で知り合った男子留学生。


もう数人は、熊本に研修生としてきているうら若き3人のベトナム人女性。

彼女らからはハノイの実家に届ける荷物を預かっている。


ビジネスの基本は、現地の人たちと如何に友好関係を結ぶかにある。

まずそこがスタートラインだ。


コーヒーショップを開く懸案も数年前から持っている。


東南アジアの橋頭堡として最低限必要なのだ。

そこから、カンボジア、タイ、ラオス、フィリピン、

ひいてはマレイシア、インドネシア、ミャンマー、バングラデシュと攻め上れる。



ベトナムの次に進めているのは、フィリピンとカンボジアだ。

両国とも知り合いがいる。


フィリピンの印刷会社からは昨夜見積もりが届いた。

出版のための製本だが、日本の半額から3分の1ほどの値段でできる。


ただ、質の問題はこれから詰めなければならない。

上手くいけば息の長い事業になるだろう。



英会話がskypeを利用してフィリピンに流れたように、

出版業界もインターネットでフィリピンへとなれば成功だ。



――――――――――――――――――――――――

一方、上記のベトナム人美人講師のゆりちゃんも昨日からホーチミンに入っている。

滞在中訪ねて彼女とホーチミンデイトと洒落込むのも乙なものだろう。


英語一辺倒ではなく

そろそろベトナム語も覚える必要がありそうな気配になってきた。


ベトナム人はまだまだ英語を話す人が少ないからだ。

もちろん、日本よりはずっとましのだが。


一般的に、どの国に行っても、観光業、ビジネスを手掛ける人たちは

ほとんど英語を流暢にしゃべる。

これがグローバル社会においては当たり前なのだが。



今回は、また一味違った旅になりそうだ。

ただ、寝不足とこれまで突っ走ってきた疲労が気がかりではあるが。


そんな夢と期待、そして不安を背負って機上の人(今回は、台北経由)となる。

好奇心の先にあるもの

2012年11月26日 | 人生
知りたいという欲求は本能的なものだ。

強弱は人によって違うけれど。


だけど知ってどうする。

単に知識として蓄えているだけではもったいない。

インプットばかりでなくアウトプットしなければ宝の持ち腐れになる。


アウトプットの仕方もいろいろあるが、

貢献という形が望ましい。


自分の知識を生かして何か(誰か)の役に立ちたいという本能も働く。

それが人としての自然の流れだろう。



そのために常に新鮮な空気(智識)を取り入れ、

呼吸のように吐き出す。


そうした代謝や脱皮を繰り返すことで自らも成長していく。



滞れば、腐るか濁る。

動くことで玉は磨かれる。


仮に摩耗しても再生できる代物である。


せっかくインプットして知識やスキルを、

金儲けや私利私欲だけに使うことは

道を誤るだけでなくもったいない話だ。



知りたいという欲望を抑えてはいけない。

直感の赴くままに動けばいい。


その方向が、貢献となって現れるよう努力すべきだ。

そうすれば後に悔いを残さないですむ。







ホットポット・パーティ

2012年11月25日 | 
毎月開いているフリートークのパーティ。




今月は、昨夜の鍋パーティを催した。

チョッと普段と違った雰囲気の中

定番のもつ鍋、キムチ鍋、それとシニガンと呼ばれる

フィリピンの鍋料理をいつも通りマリアが一人で料理してくれた。


          右側がシニガン


シニガン(Sinigang)とは、フィリピン料理の一つで、

魚介類や肉を具とした酸味のきいたスープ料理だ。

酸味のもとはタマリンドと呼ばれるシロモノ。


ボクが先日フィリピンを旅して2度食べてすっかり気に入ってしまった。

それで、マリアに頼んで作ってもらった。




それが好評ですぐになくなる始末。

後は、歌って踊って、深夜3時まで宴は続いた。







さて、12月は、当然クリスマス・パーティ。

12月15日(土曜)いつものようにエンドレスで盛り上がるだろう。



苦悩は続く

2012年11月24日 | 苦境
なかなか人生の上昇気流がつかめず乗れないでいる。


もがき苦しむのが人生ならば、またそれもよかろう。

文字通りもがきの中にあって、藁をも掴みたい気が焦りを呼ぶ。

暗中模索といったところ。


それでも何とか、気を張って一筋の光を見つけたい。

旅の先にそれはあるのか。


身体も心もボロボロになりながらも、そういう一心で旅を続ける。

そこに光があると信じて。


弓折れ矢が尽きてもまだ方法はあるはずだ。

どんなにやり尽くしたといっても、まだ半分という。


諦めなければ必ず成し遂げられる。

諦めた時に敗北は決まる。


勝負の相手は、他の誰でもない、自分自身だ。


今は歯を食いしばって、石にかじりついてでも乗り切らなくてはならない。


例え倒れても、命のある限り。



――――――――――――――――――――――――――

いくら心の内を吐露しても

笑顔を絶やしてはいけない。

例え泣き笑いでも。

例え引きつり笑でも。



苦しささえも楽しみに変えるには、楽しく振る舞うことだ。

そうすれば必ず心から楽しめるようになる。


その時初めて苦しみから解放されるから。


それにしても、苦しい。

だから、苦笑い。