世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

Good news

2019年10月31日 | 100の力
苦境の中

嬉しーニュースが二つ届いた。



一つは、

出版社から。


入稿して9か月、

初校から1か月が経ち、

大幅に遅れている出版だが、

昨日、出版社から

「初校の修正が完了しました」

という知らせが届いた。


掲出完了次第原稿が届くことになっている。

(※ 掲出とは、
他の人が見れるよう書き出すこと)


校正も2回目になるわけだが、

3校を経ての刊行になる予定。

年内に間に合うのか。


いずれにせよ楽しみだ。



もう一つは、

ベトナムから。


ベトナムの送り出し機関から

「特定技能」の認可が下りた旨の報告があった。


これで、

技能実習生でなく、

広くサービス業にもつける特定技能生の受け入れが可能になる。

何処も人手不足は深刻な問題だから。


早速、その実態調査のためベトナムに飛ばなければならない。


ただ、今週末は大阪、

11月前半もスケデュールが詰まっている。

中旬以降で空きを捻出しなければ。


いずれにせよ

どちらも一歩前進。


こうした小さな喜びを

一つ一つつなぎ合わせて生きている。


ところで、

もう一つの課題、


アトミのベトナム支社オープンも延び延びになったまま

未だはっきりしない。
これも現地で確かめないと。

今年も残すところあと2か月。


来年はそれらの課題が一気に開花し、

慌ただしくなることは想像に難くない。







選択基準

2019年10月30日 | 100の力
すぐ稼げる。

簡単に稼げる。

楽に稼げる。


多くの人は稼ぐことに余念がない。

しかも、

すぐに、楽に、簡単に、が好きである。


だが、

そんなものはない。

あっても、ロクなもんじゃない。


ロクなもんじゃない。



人生100年時代と言われるが、

もはや120年時代に突入している。

あるいは、

不死の時代がもうすぐそこまで来ている。


望むと望まないとに係わらず

長寿を余儀なくされる。


これからの時代、

どう長く生きるかではなく、

どう楽しく生きるかが課題となる。


しかも、

老後とか余生とか言われる

人生後半こそが勝負となる。


人はすべからく、

瞬間瞬間に選択しながら生きている。


良いか悪いか、

損か得か、

安全か危険か、

好きか嫌いか、などなどを

その選択基準にしながら。


ボクは、

いつも楽しいかどうかで決める。


       (ベトナム、韓国、中国、日本のみなさんと)

楽ではなく、

楽しいかどうか、

損得ではなく、

尊徳で決める。


つまり、

得があるかではなく、

徳があるかである。


たとえ損をしても、

楽しければそれでいい。


自分も周りも

みんなが笑顔になることであればいい。


辛いこともあるけれど、

笑い飛ばして生きましょう。




大ピンチ

2019年10月29日 | 100の力
突如ピンチが襲った。

一瞬、頭が真っ白になった。


調子がいいときは

どうしても人生を甘く見てしまう。

そして、

ぬるま湯の心地よさの中に浸ってしまう。


そんな時は必ずといっていいほど

落とし穴がぽっかりと口を開けて待っている。



まだ返済しなくていい(と聞いていた)はずの借り入れが

突然一括返済しなければならなくなった。


いわゆる貸しはがしのようなものである。


ある金融機関の担当者の情報が間違っていた。

念には念を入れて何度も確かめた情報が。

(一抹の危惧があったから)


お粗末としか言いようがない。

(最近の会社員は
勉強不足なのか、
正確な情報に欠ける)


しかし、

その担当者を責めたところで、

ダメなものはダメである。

(責任感もないし)


とりあえず、今

150万円が必要になった。



さて、どうする。


            (苦悩する)


破産宣告する?

夜逃げする?


それだけで?


これまで何度も何度も修羅場は経験してきた。

もうダメだと、何度思ったことか。


さて、ここはどう凌(しの)ぐか。

考え処である。


悩むんじゃない。

(悩んでも埒はあかないから)

考えるんだ。

工夫するんだ。

対策を講じるんだ。


夢の実現の前には

必ずこういったピンチが立ちはだかる。

云わばお決まりのコースのようなものだ。

(今回はこう来たか、って感じ)


これまでだってすんなりいったことなど一度もない。


何度も窮地に陥り、

必ず本気度を確かめられる。


それに、

ピンチはチャンスって普段から偉そうに言っているわけだし。


どん底を楽しむ。

苦悩を楽しむ。

臍(ほぞ)を固め、覚悟して臨む。


さー、どうすり抜ける?

人生はいつだって博打であり、

綱渡りなのだ。


無難な人生なんてつまらない。

有難こそ、有り難い。


落ちるときはとことん落ちよう。

ここは開き直るしかない。


自業自得だから。

たとえこの身は滅びても、

後悔はしない。


だって、

やりたいことは全部やってるし、

これからも

予定している動きは止めない。

止まったらおしまいだから。

回遊魚だし。



まだ体は健康で動く。

事故で損傷したわけでも、

災害で家を失ったわけでもない。

今のところは。


因果応報。


好き勝手やっている報いというか、

定めは受け入れるしかない。

(自遊には報いが付き物)


とりあえず計画通り動く。

行けるところまで進む。


この流れは止めない。

決して悪くないから。


夢に向かうプロセスにおいて

必ず通らねばならない必然的試練なんだ。


これをどうやって乗り越えるかが試されている。


あとはどうにかなるだろう。

いや、

どうにかする。

どうにかしてみせる。



今の活動に必要なのは

20~30万円。


それを惜しんで返済に回したところで

焼け石に水。


それより、

それを投資して

より多くの成果を得る方が得策である。


それまで耐え忍んで生きていればだけど。


ただ、まだ具体的対策は浮かばない。

(昨日の今日だし)


ここは瞑想して

まずは気持ちを落ち着かせる。

(打坐沈着)


幽体離脱させて自分自身を客観視する。

(さて、今回かじえいせいはどうする?って)


慌てたり、焦ったりで冷静さを失うことが

最も危険で愚かだ。


試練と真っ向から向き合い、

乗り越えた先の明るい姿を描く。


また一つ金字塔を打ち立てた姿を。

また一つ大きくなった自分の姿を想像する。




【余談】

こういう時こそ

真の友が分かるんですよね。











プロフェッショナル

2019年10月28日 | 100の力
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に

吉永小百合が出ていた。


10か月間の密着取材、ということで。




何を隠そう、

バリバリの "サユリスト" である。


彼女が早稲田に通っているころ

潜りで講義を受けていた。

行きつけという喫茶店にも行った。

(スト―カーか!)

結局会うことは出来なかったが。


74歳になっても

あの若さ、

あの美貌。


そして、

あの清楚さは昔のままだ。


花形スターであり、

大スターでありながら

謙虚さを失わない。


女優というより、

全くの「映画スター」だ。


あれだけの本数と役柄をこなしながら

未だにプロではないといいきる。


「逆に出演することで本当にプロになるにはどうしたらいいか見つめたい」と、

何という謙虚さ。


役柄をこなすために

その人そのものになり切る。


そのために

生まれ育った土地を必ず訪れるという。


同じ空気を吸い、

同じ風に吹かれる。



主演作『最高の人生の見つけ方』

クランクアップしても

何か月もその人から抜け出せないらしい。


だから、抜け出すまで次の作品を受けることができないと。


ただ、いつも

これが最後の作品と思って臨むという。


身体を張る、

命を懸けて全身全霊打ち込む。


それが彼女の「仕事の流儀」だと思った。


「今日を精一杯生きる。

それが明日に繋がる」


とつとつと語る彼女の言葉が

ボクの胸に突き刺さる。


昔ながらの爽やかな笑顔。

少女のような天真爛漫な明るさ。


彼女のような女性が好きだ。



さて、

明日から行脚が始まる。

体調を整えないと。



彼女は、

決して疲れたとは言わない。

「疲れたというと

疲れるから」



大好きだ。




【余談】

彼女のような女性がいたら、

たとえ、70代であろうと

すぐにプロポーズします。


誰か!?


そういえば、

最近、婚活会社から

しきりとオファーが来るんですけど。


何といっても

華の「独身奇族」ですからね。






ミュージシャン

2019年10月27日 | 100の力
やっぱり現役のプロは違う。


久々にミュージシャン(?)魂を揺さぶられた。


元H²Oの「なかざわけんじ」くん。




♬大人の階段昇る~(^^♪

と歌った

「思い出がいっぱい」は大ヒットした。


彼は、熊本の大津町に住み

今もシンガーソングライターとして全国で活躍している。


いい環境にいれば

詩はひねり出さなくても

自然に湧いてくる。


彼の歌、

彼の生き方を間近に聞いて

感銘を受けた。


やっぱり歌はいい。

特に弾き語りはサイコー。


それに、彼の歌には暖か味がある。

人間味がある。


         (新しいアルバム"お陽さまが見てる")


誘ってくれた人にも感謝。

そうしたチャンスを見逃さない。


人の縁はこうして広がっていく。




   12月22日、クリスマスコンサートに行こう!



【追記】


大切にしていること。

(行動指針)


① 現場に出かけ、

本物に触れること。


② 人と会い、

話しを聴くこと。


③ ご縁を大切にすること。


2年越しのラブコール

2019年10月26日 | 100の力
世界を歩くと

当然のことながら

世界の料理を食することになる。


           (テラスでコーヒーをすすりながら君を思う)


必然的に舌が肥え食通になる。



2年ほど前、

一口食べた料理にボクは唸った。

それからその味が忘れられなくなった。


そのシェフの料理に惚れこんでしまったのだ。


恐らく日本トップの腕前だ。

何といっても

国賓専用のお抱えシェフだったのだから。


一年間通い詰めた。

何人もの人を連れて行った。


ボクは当初からボクの店に来るようにそのシェフを口説いていた。

行くたびに口説き続けた。


ところが、

ある時店を閉め、

忽然と姿を消してしまった。


探し続けた。


そして数日前やっと連絡が取れ、

昨日、ボクの店に来てくれた。


聞けば、いろいろ複雑な事情があるようだ。


みんなそれぞれの悩みや問題を抱えている。

ボクは誰に対しても

できる限りのことをするよう心がけている。


時にはその重圧に押しつぶされそうになることもあるが。


それはあまりに根深く深刻である。


歓びや幸せの形はどれも似たようなものだが、

抱える悩みや問題は人それぞれ違う。



「うちでなくても

どこかで店を開いた時には

必ず連絡くださいね。

食べに行きますから」


そう言って彼を見送った。












出し惜しみしない

2019年10月25日 | 100の力
二通りの考え方がある。


一つは、

人を幸せにするには

まず自分が幸せになること。

(Me first)


もう一つは、

まず周囲を幸せにすることで

自分も幸せになれる。

(You first)


以前は、前者的考えが強かった。

だが今は、完全に後者だ。


          (昨日、口腔ケアについて語る筆者)


潤いたければ、まず人を潤わせなさい。

愛されたければ、まず愛しなさい。

手に入れたければ、まず与えなさい。 


       より



知識や情報の出し惜しみをする人がいる。


せっかく苦労して(お金を払って)手に入れた情報や知識を

人に(ただで)教えると損した気になるのであろう。


そこには、ゼロサム思考がはびこっている。



※ ゼロサムとは、
一方が利益を得たならば、もう一方は損をして、
全体としてはプラスマイナスゼロになること。



そういうさもしい考えや行動をする人は

限界が見えている。


せっかくの才能を生かしきれない(伸ばしきれない)

言わば残念な人だ。



あらゆる情報や知識を開示することだ。


惜しみなく与えて、

相手に得をさせることだ。

無償でもいいではないか。


それによって

全体のπが大きくなり

潤いの枠が拡大する。

I win, you lose

でも

WinWin

でもなく

You win and then I feel happy.


人生は勝ち負けではない。

共に幸せを感じることなのだ。


時代はもはや

"競争"から"共創"時代に移行している。


時には「少し損して生きる」のが丁度いいのです。

「損して徳する」ことです。



【余談】


"All or Nothing"思考

「全てか無か」「白か黒か」

と、物事を極端に区分けしてしまう思考。


この思考をしている人は、

自己肯定感が低く、

妥協を許さないため

人間関係で多くのトラブルを抱えます。


人をジャッジ(決めつける)してはいけない、ということです



"All for one, One for all"

「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」

ワールドカップで身近になったでラグビーで有名な言葉ですね。


そして、

"No side"

ラグビーで、試合終了のこと。


そして、

戦いや争いが終わったら、

敵・味方の区別をせず

互いの健闘をたたえ合うことを意味します。


素晴らしいですね。

ラグビーは真に紳士のスポーツなのです。



我慢の限界

2019年10月24日 | 100の力
旅の虫がじっとしてられないと

駄々をこねる。


そろそろ冬眠の身づくろいを始めないといけないというのに、

今にも暖かい国を目指して旅立とうとしている。


『瞑想』でざわめく心を鎮め、



国内の移動で何とか紛らわしてはいたが、

もう、居ても立ってもいられない。


びっしり詰まったスケデュールの合間を見てみると、

なんとか海外に脱出できそうな日がある。


とりあえずOne-way ticketを購入。

足の向くまま、

氣の向くまま。


「行き当たりバッ旅」なのだ。


帰りは分からない。

帰るかどうかも、分からない。


人生が、そもそも「片道切符の旅」だから。


旅から旅へ。


彷徨える旅(Lost journey<ロスジャニ>)、

放浪(放老)の旅を再開しよう。


「放老の旅」とは、
老いからの解放、
つまり、若返りの旅のことです。

因みに、

毎日が「放老の日」








日本人に生まれて良かった!

2019年10月23日 | 100の力
天皇即位の礼を見ていて

日本人に生まれて本当に良かったとつくづく感じました。




天皇制について云々することは控えますが、

日本人であれば、ほとんどの人が誇りに思っていることでしょう。


天皇制において、

今上天皇(=徳仁親王)で第126代とされ、

現時点では世界最古といえるでしょう。


天照大神(あまてらすおおみかみ)を祖先神としている神話時代に踏み込んでいるため、

歴史的にどこまでさかのぼれるかは定かではありませんが。


初代天皇は

神武天皇ですね。


それ以降、

世襲という継承制度をとり、

英国国王(女王)や

バチカンのローマ教皇

そして、

チベット仏教のダライ・ラマなどとは違う

特殊な制度なのです。


かつては、神として崇め、

権威や権力もありましたが、

今「象徴「」としての存在においても

日本人の心の拠り所となっています。


宗教面でも、

神道という、

教典や具体的な教えはなく、

開祖もおらず、

神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとづくアニミズム的・祖霊崇拝的な

日本固有の民族宗教を有しています。


本当に日本という国は

誇り高き国なのです。


そして、日本人は、本来

比類稀な優秀な民族なのです。


だからこそ

今の日本を何とかしたいという情熱が強く動きます。


「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添う」という

天皇の御言葉をお借りするのもおこがましいですが、

「愛する人の幸せと世界平和を常に願い、

愛する人に寄り添う」

気持ちをいつも持ち続けています。


しかし、

かけがえのない人を見つけるのは

正直容易なことではありませんね。




気付きと鈍感力

2019年10月22日 | 100の力
良い兆しというものがある。


いわゆる「幸運の女神」がほほ笑む時だ。


       (澄んだ秋晴れの爽やかな朝、コーヒータイム<阿蘇マロンの樹にて>)


つまり、

ラッキーチャンスとかグッドタイミングというもの。


これは誰にでもある。

そして結構頻繁にやってくる。


ところが、

それなのに

あー、それなのに


気付かない。


目の前まで来ているのに、

スルーさせてしまう。


そうしたらもう掴めない。

いわゆる

「幸運の女神」には後ろ髪がない

といわれる所以だ。


それに

チャンスとはっきり分かる姿形をしていない。


女神というが、

男神の姿をしていることもある。


みすぼらしかったり、

危険な香りを漂わせたりしている。


苦しい試練であったりもする。


まさかあの人が、

まさかあの時のことが、と

過ぎ去って気が付いても

後の祭りだ。



それに、

結構スピードが速い。

一瞬で通り過ぎる。


意識していないと分からない事が多い。


フォーカスすれば

ボールが止まって見えるように

時間が止まる。


つまり、

出会う人、起きることは

全て何らかの意味があるということを意識することだ。


常にそういう意識を持っていることだ。


しかも、

良い意味がある、と。


ところが、

嫌だなーとか

苦手だなーとか

ヤバそーだとか

騙されるんじゃないかなどと

穿(うが)ったとりかたをしてしまうと

ホントにそうなる。


悪くとれば

悪いことが起きる。

(引き寄せ)


いわゆる

パラノイア症候群に侵されているのだ。

考えが偏執で妄想的なのだ。


PTSDでもある。

過去の忌まわしい出来事が心の傷として残り

ストレスとなっていること。


素直で謙虚であることだ。


そのためには

ある意味「鈍感」であることが必要となる。


「鈍感力」とは

気にしないこと。

些細なことをくよくよと心配しないこと。


人から悪く言われようと

非難されようと

意に介しないこと。


人からどう思われているのかなど

人の目を気にし過ぎると

動きが取れなくなる。


自分を喪失することなる。



気付きでは意識することだが、

「鈍感力」では

意識しないこと。


全く正反対のこの意識の使い分けとバランスが

生きていくうえでとても重要なのです。



【追記】


人との出会いは必ず良い意味がある。

それは神様からの引き合わせ(引き寄せ)なのだから。


だから

「この人との出会いはどんな良い意味があるのだろうか」

と必ず自問自答してみることです。


そして、

この人のために

「自分は何がしてあげれるのだろうか」

と問うてみることです。


自分の得になる人と考えるから

自分に利益をもたらさない人は

意味がなく、嫌な人となるのです。


そうではなく、

「自分が相手にどう利益をもたらすか」を考えるのです。


利他の心です。


そうしたら、

嫌な人など一人もいません。


どんな人にでも

一生懸命その人のことを考えてあげるのですから。


相手があなたを嫌いになるわけがないのです。

むしろあなたのファンになるでしょう。



出来事に対してもそうです。

(たとえ災害でも)


起きたことにはどう良い意味があるのを

考えるのです。


あんなことが起きなければ、

あんな人と出会わなければ、と

いつまでも後悔の念ばかりを持つのは無意味なことです。


過去に悔やむことなど、何一つありません。


過去が今のあなたを創り上げているのです。

過去を悪くとれば、悪い現在が、

良くとれば、良い現在があるはずです。


それに今、こうして生きているのですから。

生きている(生かされている)ことそのものが

幸運なのです。


すべての過去の出来事、

出会った人たちに感謝してください。


そして、

すべてを許し(自分を含めて)

受け入れてください。


怒りも、憎しみも、妬みも、悔やむこともなくなるでしょう。





何のために旅をするのか、だって?

2019年10月21日 | 100の力
予定なんか決めないよ。


人生は、

予定通りなんて行かないんだから。


旅も同じ。

計画しても、その通りにはいかない。


だから、

ただ彷徨うだけ。

気の向く方へうろつく。


そして、

疲れたら、ふと見つけたカフェに入る。

お腹がすいたら、レストランに入る。


ただただ、肌で感じる。

空気を、音を、匂いを感じ取る。


出会った人と立ち話もいい。

カフェで隣あった人とたわいもない会話をするのもいい。


そうして時には恋が芽生えることだってある。


目的のない旅。

彷徨い歩く旅。


英語では、

Lostという。


敢えて道に迷うのだ。


どうせ人生に迷っているのだから。


自ら迷路に飛び込んでみるのも

旅の醍醐味。


そうすることで

人生に対する耐性(レジリエンス力)を鍛えていく。


敷かれたレールの上を走るのではなく、

脱線してみるのも楽しいかもしれない。


毎日毎日同じ景色ばかりじゃつまらない。


同じ道、

同じ顔ぶれ、

同じ会社、

同じ家。


見知らぬ道を歩き、

見知らぬ人と出くわす。


そこからドラマが始まる。


勇気を出して一歩横にずれてみないか。

きっと違った景色が見えるはずだ。


必要なのは、

勇気と覚悟。


勇気を絞り出して、

よしっと覚悟を決める。


それだけで、人生は輝く。

人生の色が変わる。


自分だけのストーリーを紡いでみませんか。




※レジリエンス(resilience)とは、

社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、

そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力であり、

リーダーシップ能力、キャリア自律力、ストレス対処力の3つの能力を持つ。


「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」と訳される。


自己に不利な状況、あるいはストレスとは、

家族、人間関係、健康問題、職場や金銭的な心配事、その他より起こり得る 。


現代人は

あまりにも「脆弱性(vulnerability)」が強すぎる。

つまり、

打たれ弱い。


レジリエンス力を身につければ

必然的に自発的治癒力が増し

打たれ強くなる。


因みにボクは、

レジリエンスのファシリテーターの資格を持っています。




だから、

打たれ強いのです。






旅の形

2019年10月20日 | 100の力
時代とともに「旅」の形も変わっていく。

それによって受け入れるホテルの形も変わる。


東京における総合商社マン(6年間)を辞め、

ペンション『あそ国』(南阿蘇、6年)から入り、

泊まって遊べる観光牧場『メリーファーム』(大分県・久住高原14年)、

(うち1年半は家族4人で世界一周の旅に出た)


そして、現在

古民家コンドミニアム『ドゥリーミンカントリー・インAso』(阿蘇・西原村21年目)

と、3か所で田舎暮らしをしながら宿泊業を40年間営んできた。




経営は概ね順調だった。

2008年までは。

例の忌まわしいリーマンショックが襲ったのだ。


お客さんは激減するは、

値段は下がるは、で

田舎から街へと活動の舞台を移した。


JICA(青年海外協力隊)でベトナム、コスタリカへ赴き、

熊本市街地に英会話カフェ『フリートーク』とゲストハウス『ラブトリップ』を創り、

福岡南区の商店街でベトナムカフェ&ゲストハウス『カモン』を開き、

ベトナム・ハノイの旧市街ににもカフェ『パイレーツ』をオープンさせ、

日本語学校『YUME』を手掛けた。


その過程で、

NPO法人「IPA(インターナショナル・プロジェクト。アソシエーション)も設立した。

インドのデベロッパー『BRCorp』とも業務提携を行い役員(CDBO)に就任した。


そんななか、

2016年4月、震度7の熊本大地震が襲った。

それも立て続けに2度もだ。


阿蘇・西原村の『ドゥリーミンカントリー・インAso』以外は

熊本市内の自宅をはじめ、すべて失った。


それから3年間は、

再び世界を放浪した。


同時に、

インド、ネパール、スリランカ、ミャンマーで

『瞑想』修行をし

『阿蘇瞑想の森』を開いた。


そして今年、2019年春から

再びカフェ&ゲストハウスを再開した。


このように、

この40年間は

目まぐるしく過ぎていったのだが、

基本となる宿泊業は

形は変われど累々と続けてきた。


これまで手掛けてきたことは

すべてヒットさせた。


なぜなら、

すべてのカテゴリーが

時代の先駆けであり、

オリジナルであったからだ。


そしてそれらはすべて

自分の「好き」が高じて、

「好奇心」から湧いて出たものだ。

(それ以外のものは、いかなる誘惑があっても手を出さない)



それに時代が後からついてきたという

「幸運」が重なったのだ。


もちろん、その間今まで

心身を壊さなかったという要素は大きい。

(健康に生んで育ててくださった親・ご先祖に感謝)


これまで手掛けてきたカテゴリー、

ペンション、

観光牧場、

ログハウス、

古民家、

ベトナム、

瞑想、

そして、

ゲストハウス。


これらには

「旅」と「英語」という武器をベースに

自分の持ち味がふんだんに生かされている。


加えて

インターネット時代に入り、

8年間毎日更新しているブログをはじめとした

SNSを駆使してることも大きい。


それが出版という「文筆業」へと繋がっていった。


すべては「楽しい」というコンセプトから逸脱はしていない。

(儲けようと思ってやるんではない、
楽しいからやるんだ)


時代の変化のスピードは速く、

ますます加速している。


時代のニーズの半歩先を走り、

変化に対応できるものだけが生き残れる。




年も取る、

家族構成も変わる、

それに応じてライフスタイルも変化する。


それにどう対応して生きていくか。



出逢いや環境の変化で

考え方も変わっていくが

ミッションとなるベースだけは

しっかりと大地に根を下ろしていたい。


ボクの場合は

『旅』というコンセプトである。


そこに『貢献』というミッションが加わった。


人生そのものが『旅』なのだ。

すべての原点は『旅』なのである。


人は皆、

この世(現世)を

人間という仮の姿で、

この青い地球という舞台の上で生かされている。


これだけでも「幸運」だと思う。


だから人はすべからく

幸運の星の下に生きている。


悲観的(ネガティブ)になってはいけない。

ましてや自ら命を絶っては断じていけない。


いくつになっても、

どんな状況の下でも

「氣力」と「情熱」だけは衰えさせてはいけません。


「夢」と「希(氣)望」を持って

積極的に前向きに生きましょう!





混浴は楽し!

2019年10月19日 | 100の力
温泉 → 露天風呂 → 混浴

これは究極の楽しみだ。



日本人に生まれて本当に良かった!

と思わせてくれる。


まだまだ地震の爪痕が深い細い山道を

どんどん上っていく。


     (ここにも混浴露天風呂があったのだが)




硫黄の匂いが漂ってくる。


そして現れたのは

3年半前の地震後、

今年からやっと再開した「阿蘇・地獄温泉」だ。






泥湯で有名な、

由緒ある湯治場だった。


            (足の先まで泥パック)


何度か泊まったっことがあるが、

未だ宿は再開していない。

(来年とのこと)


効能が半端ないので
        
敢えて洗い流さないで帰る。


昨夜は、

そのまま硫黄の匂いを全身に纏って眠りについた。

また朝寝坊をしてしまった

2019年10月18日 | 100の力
歳をとると早く目が覚める、

っていうけど、

ウソだ。


今朝も9時半まで寝てしまった。

といっても、

寝たのが1時半ごろだったので、

8時間睡眠はしっかりとっている。


ボクは昔から夜型なので

今もってずっとこんな調子だ。


そのうち、そのまま目が覚めない日が来るのだが、

それはそれで仕方がない。




年齢に関係なく、

不眠症が増えていると聞く。


睡眠導入剤や、

睡眠薬を服用している人も多いらしい。

(やめた方がいい)



ボクの「睡眠力」が衰えないのは

体内時計の調整機能を司る、

松果体から分泌される睡眠ホルモン「メラトニン」が減少しないこと、

『瞑想』によって自律神経が整っていること、

薬を一切服用していないこと(副作用がない)

などが挙げられるのではないだろうか。


日中日を浴びること(セロトニン)、

身体を動かすことも(テストステロン)

夜ぐっする眠れることに繋がる。


今の「人生100年時代」

20~30年もすれば

120年、150年時代がやってくる。


いや、

「不老不死」の死ねない時代が来るかもしれない。


老獪ならぬ『老怪人間』が誕生するかも。




【老いない秘訣】

いつもにこやかに機嫌よく、

陽氣でいることです。













側頭部が痛いのは

2019年10月17日 | 健康
時折、右側頭部が痛む。

抑えてマッサージすると

痛気持ちいい。


脳梗塞の前触れ?

くも膜下出血?


心配になってネットで調べてみた。


「頭の右側だけが痛いからといって、

決して脳の右側にだけ異常があるということではありませんので安心してください」

とある。


ではなぜ?


血管や筋肉が痛んで頭が痛くなっているということがほとんどです。


そのため頭の右側だけが痛くなるという人は、

上半身のバランスが悪く、

体の右側に負担がかかってしまっているということが多い。


腕・肩・首・目など、

上半身のあらゆる箇所が右側にだけ負担が大きくなってしまっている。

と、書いてある。


なるほど。


そうなると、思い当たる節は、


「目」だ。




ストレスや睡眠不足も原因らしいが

両方ともない。

(睡眠時間は7時間前後をキープ)


99%目の疲れからきていると思われる。


それも、原因は、

パソコンだ。


現代の物書きにとって

PCは外せない。

(日常、スマホはもちろん)


森の緑を観たり、

眼球運動をしたりしているが

追いつかない。


8年間毎日更新しているブログだけでも

午前中、1時間から2時間はかかる。

いつも10時半を目途にブログをアップするようにしているから。


書くには下調べが必須。

推敲も何度もする。


だから、起きてからは

(だいたい8時前後)

瞑想を済ませるとPCと対峙する毎日。


かなり目を酷使している。


目のツボ(後頭部など)のマッサージや

手当(目に掌を当てる)はしているけど。


幸い、老眼鏡もいらない。

(近視でもなし)


それに、できるだけ午後は動くように心がけてる。

やっぱり歩かないとね。


田舎暮らしだと、

一日せいぜい2000~3000歩程度。

(どしても車で動くことが多いから)


スクワットをはじめ

筋トレやストレッチはわりとまめに行っているけど、

やっぱり一日5000歩以上は歩かないと。


健康第一だからね。