世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

初のお泊り体験

2011年03月31日 | 仕事
4月9日のEnglish Cafeのオープンを目指して



獅子奮迅の日々を送っている。



カウンターも搬入され



テラスも水洗いできれいさっぱり。






その 「FREE TALK」 のオフィスに泊まってみた。



午前3時まで飲んでいたからだ。



いや、


泊まるつもりで飲みに出たというのが真実。





これで朝まで飲み明かしたり

車中泊したり

ネットカフェやカプセルホテルに


泊まる必要がなくなった。




ウーン、ベンリー!




だけど飲み代がかさみそう。
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幼子を連れた女性客

2011年03月30日 | 仕事
数日前、


電話で問い合わせがあった。


「素泊まりでいくらで泊まれますか?」 と。



いつものように人数を聞くと


一人と赤ちゃん、という。





赤ちゃんは料金はかからないので


おひとり様は割り高ですよと言いながら


希望の時期と泊数を聞く。




長期で明日からでも、と相手は答えた。



受話器を通して何か事情がありそうな気配がした。




長期といってもどれくらいの期間ですか、とさらに聞く。




一週間からひょっとしたら一カ月になるかも、


とあいまいな答えが返ってきた。





期間によっても料金が違ってきますが


ご予算はどれくらいですか、と聞いたが




どうもはっきりしない。





実際に泊まるのは、電話の主ではないと言う。



ではご本人に聞いてからまた電話ください、といって切った。







数日して


忘れかけていた頃、また電話がかかってきた。



これから本人を連れて見に行きたいのだが、ということだった。





待つことにした。




予定の時間より30分ほど遅れて


中年のご夫婦が



生後10か月の赤ちゃんを抱っこした若い女性を連れてきた。




どうやら電話の主の娘とその子供


つまり孫のようだ。





訳が分からないまま


部屋に案内した。




父親は車ですぐに立ち去って行った。






母親が、


ボクと二人で話がしたいと言う。




込み入った事情があることは察しができたが



こちらから立ち入ったことは聞くわけにはいかない。





東京から帰ってきた娘と赤ん坊を

しばらく泊めてやってほしい、ということだった。




それも今からという。



もう泊まる用意はしてきているとも。





しばらく親元で同居していたらしいが


どうやら親とも折り合いが悪いらしい。






とりあえず一週間だけ、



もし娘が気に入ればさらに長くなるかも、


と言い残し、



再び迎えに来た父親とともに母親は帰って行った。






娘は伏し目がちで終始無言だったが


表情にまだ幼さが残っている。




ちょっと心配ではあるが


あまり構わず静かにしてあげていた方がいいようだ。




まさかの事態はないと思うが。





しばらくして


娘は赤ん坊をベビーカーに乗せて散歩に出かけて行った。





ひとまずは安心か。




幸いここは癒しの里。




滞在中


元気を取り戻して欲しいものだ。




とりあえず

様子を見守るしかない。
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ダイバーシティー・マネージメント

2011年03月29日 | 仕事
ダイバーシティー(多様性)とは、



国際社会で生き抜いていくために

最も重要視されるキーワードになることは述べた。




それだけに

いろんな国籍のスタッフが揃った


「FREE TALK」 を取り仕切るのは


容易ではない


いや、至難の業だと考えている。





ここまでこぎつけるまでに


10カ国以上の外国人の面接を行った。




イスラム教の方も数人おられたが


どうも国によって、宗派によって微妙に違うようだ。




自分がお酒を飲むことは禁止されているのは共通だが、



ある国のイスラム教の方は


人にお酒を出すことも禁止されていると言う。


冷蔵庫から缶ビールを出して相手に手渡すことでさえだ。





それに


勤務時間中も

お祈りの時間がきたら


メッカの方角に向かって祈りをささげたいと言う。




普通の日本のレストランや喫茶店で


従業員がこういうことをしたら即首かもしれない。



それ以前に雇ってもらえないだろう。





でもボクは

マア、それもアリかと思った。


なぜなら


これも国際理解の一つで


お客さんにとってもいい勉強になるのではないかと考えるからだ。




しかし

お客さんが不快に思ったり、


他の従業員から不満が出る可能性もあるが。




現にボクも


エジプトで談笑中の相手が

いきなりお祈りを始めたときは


ナント失礼な

と思ったものだ。




カルチャーショックに慣れることが要求されている。




まさに人種のるつぼ


肌の色、言語、宗教、文化・習慣、生活様式、 etc.



すべてが一人ひとり違う。




スタッフとゲスト(お客様)の関係は当然として


価値観の違うスタッフ同士の関係も取りしきなければならない。





ボクのダイバーシティ・マネジメント能力

まさにこれから試されようとしている。




畢竟


5大陸、60カ国を踏破し


世界一周を果たした経験の意味が


今、問われるのだ。


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起業で2つの勉強をさせてもらっている

2011年03月28日 | 仕事
今回

「English Cafe FREE TALK」 を


立ち上げるに当たり


2つの大きな効果がある。





一つは


英語力の急伸。




スタッフは全員外国人なので


否が応でも「英語でしゃべらナイト」いけない。




宣言しなくても

完全に社内言語が英語なのだ。



これで完璧に英語環境に身を置くことができる。



これが必然的に

理想の英会話力向上の条件となっている。




日々英会話力の向上に取り組んでおられる方のために


この事業を立ち上げたのだから。




英会話スクールに何十万も出して通うなら


同じお金をかけて起業した方が

よっぽど実りが大きい。






も一つは

「リーダー力」 の増幅だ。



併せて


「マネージメント力」 がつく。



これはホントに鍛えられている。




どんな経営セミナーに行くより


実践力がつく。




なにせ

命懸けなのだから。



真剣勝負なのだから。





企画書に始まり、


契約書作り


ビジョンとミッションの設定、


セールス方法、


顧客管理、


資金繰り、


店舗設計、


価格設定、


コンプライアンス作り


意思の疎通
、などなど。



これらをすべて英語で行う。





ドラッカーのマネイジメントの

完全実践版だ。



『もし英会話喫茶のマネージャーが

ドラッカーの「マネジメント」を読んだら』



版でもだそうか。









毎日が格闘の日々。



それだけに

達成感も半端じゃない。





被災者の方々も


枝野さんも


東電の原発職員も



不眠不休で頑張っている。




負けちゃいられない。





嘆いてばかり

自粛してばかりいるんじゃなく




むしろ


それでも頑張っている人に鼓舞されて


一人ひとりが

何かに前向きに挑戦してみてはいかがだろうか。




そうすれば経済は上向く。


いや


そうしなければ日本の復興はない。



【今日の言葉】


日々進化(深化)する。



成長する。
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英語力と日本語力は比例する コミュニケーション能力の付け方とは

2011年03月27日 | 英語
自慢じゃないが


国語は大の苦手だった。



それが


曲がりなりにも


こうして毎日文章を書いている。




だからといって


文才があるなどとは毛頭思っていないが


これでも

ずいぶん昔よりマシになっているとは感じる。





それは


英語力

とりわけ


「英会話力」 が寄与しているのではないかと感じる面が多々ある。





ボクの英会話力は

ここ数年で飛躍的の伸びた。




これでも


長年カタコト状態であったのだが。




これも自慢じゃないが


留学経験もなければ

英会話スクールに通ったこともない。




ただひたすら


旅で身に付けた


「旅先英会話」 だけである。




最近


「指差し〇〇語会話」 なるものが便利のようだが。





機内、入国審査・税関、ホテル、ショッピング


とくれば観光英会話でOK。



とはいえ

旅慣れしてないと


これでも最初は冷や汗ものだ。





そこからホームステイ等の経験を経て


ビジネス英語へと進化する。



ここは応用編になるので


この壁を超えるのが一苦労なのだ。




つまり

ある程度英語ができる人でも


ここで足踏み状態にいる人がほとんどではないだろうか。




実践といっても



ホームステイや


ビジネスに至っては


一般にはそのチャンスはなかなか巡ってはこないので



観光のように場数が踏めない。




そこで活躍するのが

映画やドラマのDVDだ。



ホームドラマや

ビジネスシーンは数多とある。




同じ場面を徹底的に見て


何度も言ってみては


自然に口を突いて出るまで暗記する。


もちろん身ぶり手ぶりも真似しながら。






だがボクが英会話力を身につける上で


最も役立ったことといえば



恋をすることだった。



「英語で恋」



なんといっても

これが一番効果的だ。




まず表現力が豊かになる。


必然的に心がこもる。




これも実践が難しい人には


やっぱり英語のラブストーリーや

ヒューマンドラマ系のDVD がよい。





日本語で言うと

気障で口幅ったくても



英語表現を使うと

すんなりいくことがよくある。



恋の表現は特にそうだ。




そうすると

上手いナー、

とか


こう言う表現の仕方があったのか

等とうなづける個所が何か所もあることに気づく。



そうして

日本語も豊かになっていくような気がしている。




英語の表現力が身につけば


日本語でも


人間関係や

ビジネス




ひいては


恋さえうまくいくようになる。




ウソじゃない。


実践済みなのだから。





こうして

全体的なコミュニケーション能力が高まっていく。




「英語力が身につけば

世界が変わる」




これ

真実です、ゾ。




【今日の言葉】


経験を伴わない言葉は


空虚である
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生き残るためにすべきこととは

2011年03月26日 | 人生
ザックリ言って


2つの力が必須だ。



それは


1.サバイバル力





2.コミュニケーション能力


たぶん


日本人が最も苦手とする分野だろう。





サバイバル力は

「旅力」 とい言い代えてもいい。



以前にも述べたが

平たく言えば



どんな状況においても


生き抜く力だ。



そのためには


「体力」

「耐力」

「対力」



という3つのタイリョクをつけなければならない。





コミュニケーションに欠かせないのは

なんといっても言葉だ。


当然


英語力


というか


「英会話力」 だ。



世界の1/3の人々と

意思の疎通ができる。




そして

物おじしない、


当たり負けしないこと。




だからといって

机の上で

知識として学んだだけでは


画餅にしか過ぎない。



度胸がいる。



度胸をつけるには


場数を踏まなければならない。




体験力と


実践力がものを言う。




マア、

これも結局


『旅力』

ということになってしまうのだが。



Practical experience is integral to the life.



【今日の言葉】


旅した数だけ人は豊かになれる。

恋した数だけ人は優しくなれる。

傷ついた数だけ人は強くなれる。





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日本(人)が生き残る道とは

2011年03月25日 | 苦境
今から述べることは

日本(人)が生き残る


唯一の道といってもいいだろう。

(なにげに偉そうに)




それは



完全に開かれた日本にし、



そして


包容力のある日本人になること。



TPPは


その一環、


単なる序章に過ぎない。





つまり

日本人の良さの特性を残しつつ


異文化を受け入れていくこと。




日本人の良さとは、


以前にも述べたが


3つの 「せ」 だ。

『誠実』

『正確』

『清潔』




震災で破壊された


「正確」 さと 「清潔」 さを取り戻すために


人々は 粛々と 「誠実」 に行動しているのではなかろうか。




日本の現場では

「安全第一」

「迅速」

「改善」


といったスローガンが掲げられる。



海外でも日本語で現地の人に叩きこむ。




これはこれでいい。




だがすべてを日本式に強要すると


思わぬ抵抗にあう。


アメリカのように。




アメリカも良い点はいっぱいある。



アメリカは移民の国である。



移民を受け入れることで出来あがった


懐が深く包容力のある国だ。




問題は


それを海外まで押しつけ


グローバルスタンダード化しようとするところにある。



民主化の名のもとに


未だに覇権主義に陥っている。


リビアでもその悪い癖が出た。



しかし、


台所事情からとはいえ


主導権を英仏に明け渡したのは


賢明な選択だったと思う。


オバマは覇権主義の弊害を薄々感じているのだろう。







これからは


日本(人)も


日本式(日本語)を強要するのではなく

相手を受け入れなければならなくなる。


そっくりそのまま。




だから


郷に入っても、無理に郷に従わなくてもよい

ことになる。




これが


「ダイバーシティ」

という考え方だ。



Diversity とは、


「多様性」 と訳する。


「種々雑多」 を意味する。





要するに


違うものを認め、尊重し、

快く受け入れる。



これができなければ


孤立する。




アメリカは


インディアン(ネイティブアメリカン)を受け入れ


黒人を受け入れた。


今、


ラティーノを真に受け入れなければならない。

(チャベスタイプのラティーノの大統領が誕生するまで)




包容力のある

違いの分かる人間にならなければ


生きていけなくなる。

(だから日本は今閉塞状態にあるといっても過言ではない)




そのためには


日本人のアイデンティティさえ

捨てなければならないときだってあるだろう。



日本人は


「和僑」 となって


世界に飛び出していく必要性がある。



姿は

商社マンとしてでも



JICAのような国際協力隊としてでも。





一方で


国内を移民の国にする。




これは

日本民族が純潔でなくなることを意味する。



現にそうなりつつあるのだが。




20~30年後


2030年~2050年にかけて



もう

日本だけに居る、


日本人だけを相手にビジネスをする




なんてことでは


生きていけなくなるだろう。



そもそも

日常の生活そのものができなくなることは必至だ。





今こそ

「単一民族」


「単一言語」
 を


捨て去る時が来たのだ。




別の言い方をすれば


「多文化共生時代の到来」 である。




「ダイバーシティ」 と

「多文化共生」
 が



これから日本の進むべき道の


キーワードとなるだろう。





では


生き残るためには

具体的にどうすればいいのか?



次にそれを考えてみたいと思う。
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日本は本当に立ち直れるのか

2011年03月24日 | 生活
日本はどうなる?



日本じゅうだけでなく、


世界の各地で


「頑張ろうニッポン!」


のスローガンが躍る。



「復興」

の意気込みも強く感じられる。





この 「復興」 のニ文字は


被災地だけの問題に留まらず



震災前から日本に突きつけられた

事実上の大きな課題でもあった。




折しも


GDPは3位に陥落。


今後も


下降路線を辿ると言われる。




それよりなにより


経済成長率は

地を這うような数字が頭打ちで


伸び悩んでいる。




財政は逼迫し破綻寸前、


政治も無策に溺れ空転している状況が続く。



それでなくても

沈みかけている日本に


降って湧いた突然の大災害。



まさに

泣きっ面に蜂、状態。






その日本経済の立て直し策は




もっぱら産業界の海外進出が主導権を持ち、


結果、産業の空洞化さえ危ぶまれている。







それでも


日本は今まで幾多の困難を経て

しぶとく立ち直ってきた。




そういう 「成功体験」 だけが支えとなっている


機運さえ見受けられる。






戦後も手のつけようのないほどの焼け野原から


見事

世界第二位の経済大国にのし上がったではないか。



数度の石油危機、


経済危機も日本は凌いだ。


阪神・淡路大震災からだって見事立ち直った。




だから


今度だって。




そんな


安易な雰囲気が


むしろ海外の方から漂ってくる。





日本人の粘り強さ


報道で世界をうならせた

美徳とも言える日本人の道徳観






確かにそうだ。


日本には世界が驚嘆する素晴らしい資質が


数多く残って入る。



世界中から救いの手も差し伸べられている。




日本人は決して


へこたれない。



日本は必ず立ち直る。


日本人ならやれる、と。



根拠のない言葉だけが空回りするかのように。






それでも


今はそれだけでいい。

実にありがたい。





そんな中

誰しもが


でも、どうやって?


と頭の中の疑問詞を浮かべては


かき消そうとしている風にさえ見える。




こぶしを振り上げ


「ガンバロウ! ガンバロウ!」


のシュプレヒコールだけでは


落選確実の候補者だってやっている。





66年前の終戦直後。



何もない瓦礫の中に


燦然と輝く希望の光があった。




貧しくも耐える逞しさがあった。



産めや増やせやで


家族の温かい姿があった。




なにしろ


あらゆるものが若かった。

無性にひたむきだった。




だから

復興は


アメリカの庇護のもと


産業復興


経済復興一点に絞ればよかった。




阪神・淡路のときだって


それでもまだ


地域復興の域にあったように思う。





加工貿易、


輸出産業、


鉄鋼、車、家電の


三本柱で



活発な内需・外需に後押しされながら


ドルを買いあさり


Japan as No1!」 

とまで云わしめた。。







今回は


どうだ?




災害の規模は

地域復興の域をはるかに超えている。



世界に類を見ない

少子高齢化の下にある。




国家財政も逼迫している。


政治家は無策の中にある。



頼りの 「メイド・イン・ジャパン」


の影も薄れつつある。





何よりも


物は豊かでも
(震災地は一時的に不足していても)


多くが希望を失っているように見える。
(村上隆がいみじくも言った)




失いかけていた


「心の温かさ」、

「助け合いの精神」、

「一致団結」



が声高に叫ばれてはいる。





ACジャパン (旧公共広告機構)は


「心」 と 「思い」 をしきりと
(しつこいぐらい)


テレビコマーシャルで訴えかけている。




当たり前のことが


当たり前でなくなった社会。




本来


家庭で、

学校で

地域で


教え、

自ら感じ取っていくことが




お上が電波を借りて絶叫しなければならない状況にある。
(電量不足と言いながら)




それはそれでまだ許せるかもしれない。






と、マア、


どう考えても


悲観的要素ばかりが浮かんでくる。



この超楽観的、ポジティブ思考の極楽トンボでさえ、だ。





だから


考えてみた。


マジ

日本が立ち直るには


どうすればいいか?




観念論、

精神論ばかりでなく



具体案を示せ
、と。








今日のブログは

珍しく長くなったので


書く方も

読んでくださっている方も



疲れたかと思うので


Thinking time

をいただいて



筆を休めて考えてみたいと思う。





マジ

どうやったら日本は立ち直れるのか、



具体案を示せ
、と。




それが


これから日本人の

一人ひとりがなさねばならないこと

なのだ。




今われわれは何をなすべきか
(節電と義援金が主流のようだが)


と、隔靴掻痒しながらも。




自粛ムードが


ややもすれば


委縮モードになってしまうきらいがある。





もう

悲観論はいらない。


机上論もいらない。


空論も要らない。

評論家も要らない。





今こそ

一人ひとりが


中・長期的観点に立ち


やれる具体論を示し、


行動に移す





ボクもそうする、


あなたもそうしよう、


みんなでやろう。



今すぐ。
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今できること

2011年03月23日 | 人生
知る人ぞ知る

輸入貿易のカリスマ


大須賀祐さんの講演のお手伝いで


福岡へ向かいます。




彼は


今、全世界が注目くしている


福島県に住んでいる。



津波や原発の直接の影響はない会津若松だが、


それでも彼の心は動揺を隠せない。





彼とは面識はない。


メルマガやブログでのつながりだけだ。




その彼から電話がかかってきた。



「かじさん、あなたのメールで吹っ切れました」 と。


その言葉通り、


彼のメルマガが語っている。




引用

ーーーーーーーーーーーーーー

相変わらず、ご心配をおかけいたしております。
大須賀祐です。

震災から、今日で12日目を迎えました。

この、12日間、いろいろな思いが去来しました。

大勢の仲間が、苦しんでいる中、明るく何もなかったように、
進むべきなのか?
それとも自粛すべきなのか?

弱気になったこと
絶望感を感じたこと
動揺したこと
困惑したこと
途方にくれたこと
身も心も揺れた12日間でした。

そして、今私は、こう思っています。

私は、28年輸入ビジネスに関わってきました。

今、日本が、再度の復活をするために、私が何ができるのか?

熱心な、九州の講演のボランティアスタッフに手を挙げてくださった方
から、こんな叱咤激励をいただきました。

~~~ここから~~~~~

大須賀様

大変ななかご連絡ありがとうございます。
思わしくない情勢、事情は痛いほどよく分かります。

私の気持ちを申しますと
万難を排してぜひ福岡まで来ていただきたいと思います。

私を含めて以前から楽しみにしておられる方もいらっしゃいます。
私自身長年大須賀さんにお会いする機会をうかがっておりました。

今回は福岡までいらっしゃると言うことですべての予定を断っています。
夜も、福岡泊で飲みながらゆっくりお話ししたいと考えております。

震災後円高も急速に進んでいます。
大須賀さんがいつもおっしゃっている状況が訪れている絶好の機会なのです。

大須賀さんのいつもの明るさとポジティブさを考えれば
必ず来ることは出来ると信じます。

また、そうしていただきたいと強く思っています。
たとえ参加者が減っても、一人でもいらっしゃれば来ていただくべきだとも思います。

ちょっと強引すぎるかもしれませんが
そういう思いでお待ちいたしておりますことをご理解いただければ幸いです。


~~~~ここまで~~~~~~

ありがとうございます。

私に、できること。

それは、これからの日本復興のため、
海外とのパイプになれる人材を早急に育成すること。

これから復興を、果たすため海外からの物資も大量に必要になるでしょう。

やはり、私にはこれしかないことに、気づきました。

今回の福岡の主催者の「福岡貿易会」様も、最後まで粘り強く
ギリギリまで開催の可否の判断を待ってくださいました。

もう迷いません。
今日から再開通した高速バスと飛行機を乗り継いで、これから
私の講演を楽しみに待っていてくださる福岡へ向かいます。

そして応援してくださっているみなさまご心配をおかけいたしました。

依然として原発で、ゆれる福島ですが、私は私の使命を全うします。

みなさんの、熱い熱いメッセージに深く深く感謝です。

会津より深い愛と感謝をこめて・・!     大須賀祐







彼に叱咤激励のメールを送ったのは



他でもない


このボクだ。





という訳で


彼に会うために


そして彼を応援するために


これから福岡へ。




これが

今ボクに



出来ることだから。
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BIG DAY

2011年03月22日 | 人生
今日は重要な日になる。


テナントの契約日なのだ。



目覚ましより早く目が覚めた。


やはり緊張しているのだろう。




「English Cafe FREETALK」 の

事務所を街の中心部に構える。



サインをしてお金を払い込めば


いよいよ本格的にスタートだ。



良いか悪いか、

この期にしてだ。



もう後には下がれない。






その後


引き続いてスタッフミーティングを行う。



それから


すでに一件入っている


地元経済紙の取材をこなす。





さあ、


褌(フンドシ)の紐


いや


パンツのゴムを締めなおして挑もう。




Big Day を


Good Day と言えるように。
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今、決断の時

2011年03月21日 | 人生
決断を迫られる。


リーダーとして


経営者として

当然の事態だ。




機は熟したか。



用意周到、

準備万端。




それでも


不安と恐怖に苛まれる。



失敗したらどうしよう。



そらみたことか!


ざまアみろ!



嘲笑に囲まれる自分の姿が浮かぶ。




いやいや


そんなことはない


首を激しく横に振る。





無理にでも

成功を祝う拍手と喝さいの波に晒されている


自分の姿を想像してみる。





ここまできて

いまさら後には下がれない。



ここで


やーめたっ、


と言えば


嘲笑どころか



唾も吐かれかねない。




そして


信用は失墜する。





まだ


果敢に挑んで

失敗したほうが



中には

勇気ある挑戦を褒め称えてくれる人もあろう。





そんなこんなが


頭を過る。




進むか


退くか。



はたまた


立ち止まるという


第三の選択肢もあるや。





イザ


決断の時が迫っている。

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また新たな戦いが始まった

2011年03月20日 | 国際
フランス軍が

リビアのカダフィ政権に向けて空爆を開始した。



近年

カダフィは反欧米主義の態度を軟化させ、

2003年末には核放棄を宣言し査察団の受け入れを行っている。


それにより

アメリカなどはそれまで行っていた経済制裁などを解除し、

テロ国家指定から外す措置を取った。


そして2006年5月15日にリビアとアメリカの国交正常化が発表された。




それなのに何故? といった気持だろう。



エジプト同様裏切られた感は拭えないのではないか。





これによって何が考えられるか?


北朝鮮やイランは言うだろう。



それ見たことか


カダフィも核武装しておけば攻撃されずにすむものを、と。




核開発に拍車をかけることは必至であろう。





反して

原発に苦しむ日本。




核とはおぞましいものである



とつくずく思う。
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旅力

2011年03月19日 | ライフスタイル
旅の三要素は


① どこでも寝られる

② 何でも食べられる

③ どこでも排せつできる


ことだ。


アウトドアーライフ

といってもいいかもしれない。



もちろん

被災地にそっくりそのままの条件を持ち込むことはできない。



遊びやレジャーとは次元が違う。




さらに大きく違うのは


長期戦であること


老若男女に至って大人数であること


いきなりそういう状況に立たされたこと
(これは往々にしてよくあることだが)


いまだに余震や寒さが続いて過酷な状況下にあること


などなどであろう。





それでも

地震・津波に対する万全の体制は

他の所に比べればあったはずだ。




極限の不便を強いられる中

『旅力』 を発揮できる人が

イニシャティブをとているように見受けられる。





どんな状況下にあっても


生き延びる、


それから冷静に対策を講じる。



ランボーのような人物が数人いてくれるだけでも心強いだろう。




果して自分があの中にいたら

どういう行動をとるだろうか。



旅の空の下、

自らの体験と重ね合わせて考えてみた。





それにしても


テレビに映る

被災者の人たちの言動は感銘に値する。



自分が日本人であることを

誇りに思う。



「どうだ、これが日本人なのだ」
(Hey, thisi is Japanese!)

と胸を張って歩きたくなる。




そして必ず

立ち上がれると確信する。





9.11のとき


当時のジュリアーニ市長はこう言った。



「もうこの街は元に戻ることはできない」 と。


そしてこう付け加える。


「なぜなら

もっといい街になるからだ」




東北も


そして日本自体も



そう言い切りたい。
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疎開の大地

2011年03月18日 | ライフスタイル
大草原の高台、


360度見渡せる場所を選んで住みついた。



標高900メートルの地は


九州といえど

冬は雪におおわれる。




高台にあるため、


雨は風にあおられ下から吹き上げる。


雷は容赦なく襲ってくる。





そんな苛酷な自然環境のなか


大部分な穏やかな日は大自然に抱かれた


そこはまさに天国であった。





自然の厳しさなんて克服できる、


そう高をくくり


思い上がりが覗きはじめたとき



天は一瞬にして天国を地獄絵に塗り替えてしまった。



1991年9月27日、台風19号


それは


ここ20年間で最も気圧の低い(上陸時940hPa)台風だった。





九死に一生を得たそれ以降


ボクの自然に対する概念は変わった。




そして


次の 「棲み処」 として選んだのが



今いるこの地なのだ。






穏やかな土地。



疎開される方を受け入れています。


ご連絡下さい。


dreamincountry@gmail.com

090-2078-4971



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棲家

2011年03月17日 | 結婚
海辺での生活には

一種の憧れを持っていた。




「終の棲家」 という表現があるが




「すみか」 という場合


住(み)処

とか


住(み)家

棲(み)処


という書き方をする。




いずれにせよ


どこに住むかというのは


重要な問題である。




と同時に


どんな所に住むか



どんな家に住むか


という課題も出てくる。






生まれてくる親を選べないように


人は、故郷(生まれる場所)も自分では選べない。




ヤット選べるようになるのは


巣立つ時である。





地方都市の中心部に生まれたボクは


その閉塞感から逃れたくて


大阪と東京でしばらく暮らした。




だが、その反動からか


田舎というか


自然に憧れるようになった。




そのときに

「海」の広大さか 

「山」の雄大さかの選択枝があった。



結果的に

山側の 「草原」 を選んだ。




子供の時から阿蘇を見て育ったからだろう。




それに

「馬で草原を駆ける」 暮らしが


子供の時から脳裏に焼き付いていた。




しかも家は

「高原の中のログハウス」


という図式がいつしか出来あがっていた。




そして



その選択によって


自然に脅威をまざまざと知るこっとなった。







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