今更という気もしますが、私にとって「今更」は日常。気にしない気にしない。
①ファッション性について
若者向けのドラマ(←おっさんくさい表現だ)、例えば『ROOKIES』や、10代の情報番組やドキュメントのせいか、多少の服装の乱れには麻痺している。
実生活でも長男の高校時代の腰パンスタイルでした。内心、やめてほしいと思っていたが、きつくは注意せずじまいだった。
私は制服は嫌いで、強制的に画一化させられている気がして、嫌だった。あ、でも、女性の制服姿は好きですな。
で、制服を自分流に着こなすのは、ある程度許されるのではないかなあと思っている。
しかし、最近の流行りは、ダボダボ、ゆるゆる。ボタンを二つ以上はずし、ネクタイも緩め、腰パンで、シャツも背中を出すといった具合で、「だらしがない」としか感じられない。
まあ、感覚がずれていると言ってしまえば、その通りなのかもしれないが、かつて大流行したファッションを振り返ると、「なんであんな恥ずかしい恰好を」と思うことが多いのではないだろうか。パンタロン、肩パット、ルーズソックス、濃くて太い眉、厚底靴、ガングロ……。
極端なものは排除され、洗練されたものが残ると願いたい。
それはともかく、国母選手のファッションは個人的には好きじゃないが、大問題になるほどのものじゃないと思った。国母選手の風体に、あの選手団の制服をきっちり着るのは、似合わない。
ただ、ああいう着こなしが世間的に「だらしがない」と諌められたのは良かったのではないか。(ああいうファッションが、一般的には「だらしがない」と認識された)
②選手団、マスコミ、世間の対応(反応)
なぜ、あそこまで大騒ぎになったのか不思議だった(私が知ったのは、国母選手の空港での服装の映像が流れてから、2日後)。
まず、反応したのは世間。あの映像を見た視聴者が、「だらしがない」という批判や苦情が起こった。先述したが、そういう批判が起こったのはいいんじゃないだろうか。それにしても、わざわざ苦情や批判するというのは、マメだねえ。
そういった批判に対して、選手団が過剰に反応してしまった。まあ、本人にそういう批判があったから、今後、気をつけるようにと注意しておくだけでよかったのではないか。団長や協会などが質問を受けても、「注意しておきました」と答えておくだけでよかったのではないか?自ら公式に会見する必要もないと思う。まして、本人を伴っての謝罪会見は全くする必要はない。
確かに、非難はあったが、法に触れたわけではない。表立っての世間の意見は、「だらしがない」という批判だが、容認、受容の範囲と思っていた者だって多いはず、わざわざ表明しないだけなのではないか。
③国母選手の態度、信念
国母選手はあの制服をきっちり着るのは「似合わない」と自覚?していたのだろう。で、自分流に着こなした。
それなのに、世間から非難?を浴び、選手団からは注意され、謝罪会見まで開かなければならない。とても、納得はできなかったのではないか?
で、会見のああいう態度になってしまった。なにしろ、納得していないのだから、謝罪するにも気持ちがこもっていない。質問も鬱陶しいだけ。そして、その態度が、問題を数十倍拡大してしまった。
気持ちは分かるが、未熟。
せっかく、会見の場が与えられたのだから、自分の意見を示せばよかった。
「自分には似合わないと思ったので、自分流に着こなしたつもり。『だらしがない』と感じられたのは残念だが、そう思われてしまったことは反省している。今後はもっと考え改善したい。しかし、自分らしさを少しは出してしまうかもしれないが、許してほしい。ひどいと思ったら、また注意してほしい」
と、自分の考えを主張すればよかったのだ。
④国母擁護論について
こういう持論を振りかざしていると、
「彼らは、厳しい寒さのなか、血と汗を流して、五輪代表を勝ち取ったんだ。こたつの中でぬくぬくテレビを見ているものが、口をはさむべきではない」
と、突っ込まれてしまいそうだ。
実際、こたつに入ってぬくぬくしているので、一瞬、グッと言葉に詰まってしまいそうだ。
しかし、それはちがう。
確かに、代表選手が人一倍の努力で今の座を勝ち取ったのは間違いない。しかし、その陰には、彼らに敗れ去ったものがいる。夢破れ彼らにその夢を託した者。無念の思いで引退した者。直接敗れた者もいるが、それ以前に自分の限界を感じ、早めに違う道に進んだ者だって多いはず。もっとも、大した努力もしないものも多いだろうが。
とにかく、代表選手はそういった者の思いの上に立っているのだ。それを胸に留めてほしいのだ。もちろん、そういう者のために頑張る必要はないし、国のために頑張る必要もない。
さらに、子どもたちは、代表選手、一流選手を見て、夢を持って目指すのだ。そういう子どもたちの夢を背負って、行動をとってほしい。
さらに、個人的な気持ちを言わせてもらえば、PTAや自治会や自警隊や子ども会などのイベントや会議や奉仕作業に駆り出され、雑用に追われる。そんな経験はないだろう、君たちは。もちろん、若いし子どももいない人も多いので当然なのだが、そんなことを露ほども考えたこともないだろうし、引退してもそういうことに関係しない選手も多いのではないか?
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プレイ環境が伴わず転職を繰り返す人、バイトしながら遠征費を稼ぐ人、そういった環境の選手も、五輪選手の中にもいます。
なので、最後の主張は的外れかもしれません。お許しを。
①ファッション性について
若者向けのドラマ(←おっさんくさい表現だ)、例えば『ROOKIES』や、10代の情報番組やドキュメントのせいか、多少の服装の乱れには麻痺している。
実生活でも長男の高校時代の腰パンスタイルでした。内心、やめてほしいと思っていたが、きつくは注意せずじまいだった。
私は制服は嫌いで、強制的に画一化させられている気がして、嫌だった。あ、でも、女性の制服姿は好きですな。
で、制服を自分流に着こなすのは、ある程度許されるのではないかなあと思っている。
しかし、最近の流行りは、ダボダボ、ゆるゆる。ボタンを二つ以上はずし、ネクタイも緩め、腰パンで、シャツも背中を出すといった具合で、「だらしがない」としか感じられない。
まあ、感覚がずれていると言ってしまえば、その通りなのかもしれないが、かつて大流行したファッションを振り返ると、「なんであんな恥ずかしい恰好を」と思うことが多いのではないだろうか。パンタロン、肩パット、ルーズソックス、濃くて太い眉、厚底靴、ガングロ……。
極端なものは排除され、洗練されたものが残ると願いたい。
それはともかく、国母選手のファッションは個人的には好きじゃないが、大問題になるほどのものじゃないと思った。国母選手の風体に、あの選手団の制服をきっちり着るのは、似合わない。
ただ、ああいう着こなしが世間的に「だらしがない」と諌められたのは良かったのではないか。(ああいうファッションが、一般的には「だらしがない」と認識された)
②選手団、マスコミ、世間の対応(反応)
なぜ、あそこまで大騒ぎになったのか不思議だった(私が知ったのは、国母選手の空港での服装の映像が流れてから、2日後)。
まず、反応したのは世間。あの映像を見た視聴者が、「だらしがない」という批判や苦情が起こった。先述したが、そういう批判が起こったのはいいんじゃないだろうか。それにしても、わざわざ苦情や批判するというのは、マメだねえ。
そういった批判に対して、選手団が過剰に反応してしまった。まあ、本人にそういう批判があったから、今後、気をつけるようにと注意しておくだけでよかったのではないか。団長や協会などが質問を受けても、「注意しておきました」と答えておくだけでよかったのではないか?自ら公式に会見する必要もないと思う。まして、本人を伴っての謝罪会見は全くする必要はない。
確かに、非難はあったが、法に触れたわけではない。表立っての世間の意見は、「だらしがない」という批判だが、容認、受容の範囲と思っていた者だって多いはず、わざわざ表明しないだけなのではないか。
③国母選手の態度、信念
国母選手はあの制服をきっちり着るのは「似合わない」と自覚?していたのだろう。で、自分流に着こなした。
それなのに、世間から非難?を浴び、選手団からは注意され、謝罪会見まで開かなければならない。とても、納得はできなかったのではないか?
で、会見のああいう態度になってしまった。なにしろ、納得していないのだから、謝罪するにも気持ちがこもっていない。質問も鬱陶しいだけ。そして、その態度が、問題を数十倍拡大してしまった。
気持ちは分かるが、未熟。
せっかく、会見の場が与えられたのだから、自分の意見を示せばよかった。
「自分には似合わないと思ったので、自分流に着こなしたつもり。『だらしがない』と感じられたのは残念だが、そう思われてしまったことは反省している。今後はもっと考え改善したい。しかし、自分らしさを少しは出してしまうかもしれないが、許してほしい。ひどいと思ったら、また注意してほしい」
と、自分の考えを主張すればよかったのだ。
④国母擁護論について
こういう持論を振りかざしていると、
「彼らは、厳しい寒さのなか、血と汗を流して、五輪代表を勝ち取ったんだ。こたつの中でぬくぬくテレビを見ているものが、口をはさむべきではない」
と、突っ込まれてしまいそうだ。
実際、こたつに入ってぬくぬくしているので、一瞬、グッと言葉に詰まってしまいそうだ。
しかし、それはちがう。
確かに、代表選手が人一倍の努力で今の座を勝ち取ったのは間違いない。しかし、その陰には、彼らに敗れ去ったものがいる。夢破れ彼らにその夢を託した者。無念の思いで引退した者。直接敗れた者もいるが、それ以前に自分の限界を感じ、早めに違う道に進んだ者だって多いはず。もっとも、大した努力もしないものも多いだろうが。
とにかく、代表選手はそういった者の思いの上に立っているのだ。それを胸に留めてほしいのだ。もちろん、そういう者のために頑張る必要はないし、国のために頑張る必要もない。
さらに、子どもたちは、代表選手、一流選手を見て、夢を持って目指すのだ。そういう子どもたちの夢を背負って、行動をとってほしい。
さらに、個人的な気持ちを言わせてもらえば、PTAや自治会や自警隊や子ども会などのイベントや会議や奉仕作業に駆り出され、雑用に追われる。そんな経験はないだろう、君たちは。もちろん、若いし子どももいない人も多いので当然なのだが、そんなことを露ほども考えたこともないだろうし、引退してもそういうことに関係しない選手も多いのではないか?
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プレイ環境が伴わず転職を繰り返す人、バイトしながら遠征費を稼ぐ人、そういった環境の選手も、五輪選手の中にもいます。
なので、最後の主張は的外れかもしれません。お許しを。