英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

研究の功罪 その2

2010-06-12 16:19:16 | 将棋
研究の功罪の続きです。

 梅田氏は、封じ手周辺での両棋士の思慮について、さらに踏み込んでいます。


 三浦八段
「封じ手は▲3九角か▲3九金を予想していた。それで昨日の晩は、特に▲3九金からの変化をずっと読んでいて、もし封じ手が▲3九金ならこちらが勝てそうだと思って、安心して、幸せな気持ちで眠った」

 確か、三浦八段は局後、
「▲5三桂成は驚きはしませんでした。前例の▲3九歩は△3八歩成▲同歩△2五飛成で3筋に歩が利かなくなるのでありがたいと思いました。▲3九金も△1九飛成▲5三桂成△5二香でいけるかなと」
と、述べている。勝負師としての意地が言わしめたのだろう。まあ、そこは深く突っ込まないでおこう。結局、正直に明かしているし。

 それを受けて、梅田氏は
「なぜ▲5三桂成の局面を本線として研究しなかったのか」
 とあえて尋ねている。
 三浦八段
「1日に24時間しかないからです。そこまでやるには、1日24時間研究しても、まだ足りない」

 三浦八段の答え「24時間でも足りない」は、「(普段の)研究で▲5三桂成を研究しなかったのはなぜか」という問いの答えだが、それについては後述するとして、まず、第一日、第1日夜に、▲5三桂成の変化を深く掘り下げなかったのだろうか?後手としては、一番怖く警戒すべき変化のはずだ。
三浦八段も直感的に▲5三桂成に恐れを抱いていたが、過去の“言葉だけの研究”の「△5二歩で後手が指せる」という結論、しかも、研究相手の賛同を得ているという事実を拠り所として、「▲5三桂成はない」と思い込みたかったのではないだろうか。
 ▲5三桂成に正面から向き合って、「△5二歩で後手が指せる」という結論が覆ってしまうのが怖かったのではないか。▲5三桂成が成立するとなると、本線で研究した△3七歩▲3九歩、あるいは、△3七歩▲3九金の変化が意味を成さなくなってしまう。だから、▲5三桂成に目を背けた。
 (上記のいきさつはなかったとしても、△3七歩に▲3九歩と受けさせるのは、大きな利かしで後手の得。また、▲3九金も強い手であるが△3七歩を相手にした手で、後手も手順に香車を取れるし、3九の金を目標に出来る。ところが、▲5三桂成は△3七歩を無視した手で、後手によってはあまり気分の良い手ではなく、あまり気分のいい手ではなく研究の食指も動きにくい手かもしれない)

 さらに、実戦で▲5三桂成と進んだ後も、「△5二歩で後手が指せる」という研究を信じたかったゆえ、途中の△4二金とかわす手を読まなかったのではないだろうか。



 羽生名人
「△3七歩を、三浦さん、たったの4分で指したんですよ!4分でこの手を指すということは、もうここは研究してきましたよ、っていうことでしょう
 △3七歩の局面は、後手にとって相当リスクの高い局面だから、三浦さんがそこに誘導するとは思っていなかった。だから、研究はしていなかった」


 事前の研究においては、羽生名人は封じ手の局面は先手が良いと考えて研究をしていなかった。対する三浦八段は、後手も指せると考え掘り下げて研究していた。
 その点だけを考えると、三浦八段のほうが優位に立っていた。
 しかし、あくまでもその点においてである。肝心なのは、その△3七歩と打った局面が後手の互角以上でないと意味がない。そして、その後の変化も網羅していないと、その意味が薄れる。


 羽生名人が封じ手の局面で▲3九金があるので先手がいいと考えていたようだが、実際に直面すると
「実際に読んでみたらみたら、▲3九金がうまくいかないことがわかって、ああこのあたりが三浦さんの研究なのだろうなと。それで、▲5三桂成しかないという結論に達して、封じ手とした」

 と▲5三桂成を封じている。


 この▲5三桂成を決定した時点で、局面の優劣はともかく、事前研究においては「言葉だけの研究」分が三浦八段のプラス分となった。しかも、それが先入観というマイナス方向に働いてしまった。
 羽生名人は
「2日目の▲5三桂成以降は研究ではなく、すべて当日考えて指したものだ」と述べている。

 羽生名人は、以前、「局面を継続したものと見るのではなく、常に断片的なものとして新鮮な目で捉えるよう心がけている」と話していた。
 将棋は、「前に指した手を活かすように指すべき」、たとえばと金を作るために歩を垂らしたら、それを活かすためどこかで歩成りを実現させようとする。
 そういう考え方を否定する羽生名人の言葉に、当時はすごく抵抗を感じた。
 ただ、よく考えると、前に指した手を無視するのではなく、新鮮な目で局面を捉えることによって、先入観を排除するというのが目的で、正確に局面を捉えた上で、指し手の流れなどいろいろな視野で総合的に読みをめぐらしているのではないかと、解釈している。
 だから、今までの流れを全く無視した手が時折見られる。丁寧に受けに回っていたかと思えば、突如切り込んできたり、攻め合いの最中に手を戻したりとか、羽生名人ならではの指し回しの基は、新鮮な局面の捕らえ方にあるのかもしれない。

 それに反しているようだが、今回の羽生名人の封じ手周辺の言葉は、実に面白い。
 三浦八段の△3七歩が4分の考慮だったことから、「三浦八段が研究十分」と感じ、何を根拠にこの手を指したか(三浦八段の待ち受ける手順は何か)を読むというのは、羽生名人も普通に勝負師なんだと感じた。

 それはともかく、封じ手の局面で、新たな目で局面を捉えた羽生名人と、言葉だけの研究による先入観に囚われてしまった三浦八段は対照的だった。


 ちなみに、三浦八段を幸せな気持ちにさせた変化は、▲3九金△1九飛成▲5三桂成△5二香▲6二成桂に△3九龍!。▲3九同銀は△5八金で詰みなので▲4九銀となり、これはこれでけっこう難しい。
 羽生名人は、飛車を弾いたはずの金がその龍で取られてしまう(しかも、手順に香も取られる、その取られ方がひどいので▲3九金を捨てたとのこと。


 梅田氏の記述で
「三浦の深い研究の中身を察知して、その順を巧みに回避していたのである」
 とあるが、これには異を唱えたい。
 羽生名人は相手の読み筋であっても、その順に成算があれば踏み込んでいくと。

 最後に、
「1日に24時間しかないからです。そこまでやるには、1日24時間研究しても、まだ足りない」
 について。
 三浦八段の研究漬けの日々が伺える言葉だが、この言葉から、三浦八段にとって、「研究」=「修行」という等式が成り立つのではないかと思ってしまう。
 テレビのインタビューか何かで、「一日10時間研究の日々を続けていたら、その反動か何かで、将棋を受け付けなくなったことがあった」と話していた。そのこともあって、研究」=「修行」とイメージしてしまったのだが、羽生名人を思うと、「研究」=「楽しい」とイメージしてしまう。
 少し前、爆笑問題の番組に出ていて「朝起きて、駒を並べあれこれ考えていて、気がついたら夕方になっていた。自分の人生はこれで良いのかと悩んだ(笑)」というような事を話していたが、あとの部分はともかく、本当に将棋が好きなんだなあと感じた。

 羽生名人の一番の強さは、「将棋が好きなこと」ではないのだろうか。
コメント (2)
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