★会津の女たち
前回、西郷家の女性たちが自決したが、今週も会津の女性の象徴的な死(生き方)が描かれた。
中野竹子
母・こう、妹・優子らとともに通称「娘子隊」を結成。薙刀を手に男たちに混じって奮戦するが、銃弾に倒れた。
戦場に散る一輪の花。可憐であるが、凛とした強さも感じさせる。そして、儚さも。それらを際立たせる竹子の美しさだった。
神保雪
神保修理の妻。修理は鳥羽伏見の戦いの敗北の責任を取らされ切腹。
「娘子隊」に合流し、城外の戦いに参加したが、大垣藩兵に捕えられて捕虜となる。
直接は語られなかったが、土佐藩の吉松速之助との会話で、兵士らに暴行を受けていたと思われる。吉松に請い、雪は彼の脇差で自害する。
神保家に嫁ぎ、修理と仲睦ましく暮らしていたが、動乱によって夫を失い、戦場においても辱めを受けてしまう。時代に翻弄される一生だった。
山本佐久、梶原(山川)二葉
疲労困憊の佐久、子どもと逸(はぐ)れてしまった二葉、それでも男たちを、会津を介護や家事で内から支える。
★泥沼状態の会津
京都守護職の拝命以来、泥沼に嵌って久しい会津藩であるが、もう胸までどっぷり浸かってしまった感がある。
「小田山を押さえられたら、完全に勝ち目はなくなる」と分かっていながら、敵の動きを希望的観測しかしない首脳陣の甘さにより、小田山を落とされてしまう。頼母が恭順、開城を訴えるが、白河での失敗を攻められたり、「腰抜け」となじられてしまう。
「事ここに至っては、開城・恭順の道などない。城と命運を共にするのみ」
と容保。自分たちの面子しか考えず、会津が滅んでも構わないという愚かさ。
あまりに負けが込み、オケラになるまで打ち続けるパチンコみたいである(私は結婚を機に辞めました)
★一筋の光明・彼岸獅子無血入城だが…
彼岸獅子を従えて行軍し敵を欺き、まんまと入城した山川大蔵隊。
敵を出し抜いたという痛快さと大蔵隊の力強さ。また、子どもが先頭を切ってくれた彼岸獅子の子どもが、かつて彼岸獅子の諍い時に助けた幼子であったという思わぬ再会の喜び。
しかし、この大蔵の入城の希望の光が、会津を更に泥沼に引き込んでしまうという皮肉さ………
再度の恭順・開城を容保に訴える頼母に、容保は越後街道にいる萱野に「城に入らずその場に留まり戦え」と伝えよと命じる(頼母に会津を去れと命じる)
そこへ、秋月が「山川大蔵殿が、大軍を率いて入城されましたあ!」と喜び勇んで報告。
「秋月ぃ……(お前、空気読めよ……馬鹿者が……)」
と、「大蔵の無血入城」が「会津、徹底抗戦」の動きを決定的なものにしてしまった。
※無血入城に関する疑問点
彼岸獅子による行軍の巧みさが今一つだった。
この無血入城を成功させるには、二つの条件が必要。
①新政府軍の統一性のなさ
これがないと、「どこの藩ぜよ?」という新政府軍の戸惑いに乗じることができない。この彼岸獅子行軍の前に、新政府軍の統一性の無さを描写する伏線が欲しかった
②会津藩だけに分かる暗号
会津藩だけが分かる暗号が「彼岸獅子」である。なのに、城内で「新政府軍の策略か?」と疑ってしまうのでは、せっかくの策も台無し。
視聴者の虚をつくという演出かもしれないが、城内の者が大蔵の意図に気づき、入城の準備を整えてこそ、無血入城の成功に説得力を感じる。
今年の大河の前半は、主人公を描くのではなく、会津藩を描くのが目的だった
ドラマ開始時に「什の掟」や「ならぬことはならぬ」などの会津(武士)の魂を説き、会津の悲劇に至るまでの会津の苦悩、選択、決断を描いてきた。
主人公・八重はドラマの序盤から中盤にかけては、当時の女性の役割という面から、傍観者的立ち位置ということはやむを得ない面もある。会津での戦にしても、「会津を守る」と言ってはいるが、「弟の仇」という私怨も強い。また、代替の主人公である山本覚馬にしても主張が弱かった。
ずっと、「淡々とストーリーが展開されている」と感じ、それが不満であったが、ここに至って、主人公は会津藩だったとようやく気付いた。
【ストーリー】番組サイトより
鶴ヶ城内の八重(綾瀬はるか)のもとへ、日新館が焼失し、重傷者たちが自害したという知らせが届く。怒りを抑えきれない八重は、城外で敵を討つため夜襲に出る。城内の守備は整いはじめていたが、新政府軍は最新の兵器と共に続々と会津に集結していた。
一方、中野竹子(黒木メイサ)は母・こう(中村久美)や妹・優子(竹富聖花)ら女性たちで婦女子隊を結成し、薙刀を武器に新政府軍に戦いを挑んでいた。しかし、奮戦むなしく竹子は敵の銃弾に打ち抜かれてしまう。
仲間が次々と戦死していくなか、八重の耳に懐かしい彼岸獅子の音色が聞こえてくる。
前回、西郷家の女性たちが自決したが、今週も会津の女性の象徴的な死(生き方)が描かれた。
中野竹子
母・こう、妹・優子らとともに通称「娘子隊」を結成。薙刀を手に男たちに混じって奮戦するが、銃弾に倒れた。
戦場に散る一輪の花。可憐であるが、凛とした強さも感じさせる。そして、儚さも。それらを際立たせる竹子の美しさだった。
神保雪
神保修理の妻。修理は鳥羽伏見の戦いの敗北の責任を取らされ切腹。
「娘子隊」に合流し、城外の戦いに参加したが、大垣藩兵に捕えられて捕虜となる。
直接は語られなかったが、土佐藩の吉松速之助との会話で、兵士らに暴行を受けていたと思われる。吉松に請い、雪は彼の脇差で自害する。
神保家に嫁ぎ、修理と仲睦ましく暮らしていたが、動乱によって夫を失い、戦場においても辱めを受けてしまう。時代に翻弄される一生だった。
山本佐久、梶原(山川)二葉
疲労困憊の佐久、子どもと逸(はぐ)れてしまった二葉、それでも男たちを、会津を介護や家事で内から支える。
★泥沼状態の会津
京都守護職の拝命以来、泥沼に嵌って久しい会津藩であるが、もう胸までどっぷり浸かってしまった感がある。
「小田山を押さえられたら、完全に勝ち目はなくなる」と分かっていながら、敵の動きを希望的観測しかしない首脳陣の甘さにより、小田山を落とされてしまう。頼母が恭順、開城を訴えるが、白河での失敗を攻められたり、「腰抜け」となじられてしまう。
「事ここに至っては、開城・恭順の道などない。城と命運を共にするのみ」
と容保。自分たちの面子しか考えず、会津が滅んでも構わないという愚かさ。
あまりに負けが込み、オケラになるまで打ち続けるパチンコみたいである(私は結婚を機に辞めました)
★一筋の光明・彼岸獅子無血入城だが…
彼岸獅子を従えて行軍し敵を欺き、まんまと入城した山川大蔵隊。
敵を出し抜いたという痛快さと大蔵隊の力強さ。また、子どもが先頭を切ってくれた彼岸獅子の子どもが、かつて彼岸獅子の諍い時に助けた幼子であったという思わぬ再会の喜び。
しかし、この大蔵の入城の希望の光が、会津を更に泥沼に引き込んでしまうという皮肉さ………
再度の恭順・開城を容保に訴える頼母に、容保は越後街道にいる萱野に「城に入らずその場に留まり戦え」と伝えよと命じる(頼母に会津を去れと命じる)
そこへ、秋月が「山川大蔵殿が、大軍を率いて入城されましたあ!」と喜び勇んで報告。
「秋月ぃ……(お前、空気読めよ……馬鹿者が……)」
と、「大蔵の無血入城」が「会津、徹底抗戦」の動きを決定的なものにしてしまった。
※無血入城に関する疑問点
彼岸獅子による行軍の巧みさが今一つだった。
この無血入城を成功させるには、二つの条件が必要。
①新政府軍の統一性のなさ
これがないと、「どこの藩ぜよ?」という新政府軍の戸惑いに乗じることができない。この彼岸獅子行軍の前に、新政府軍の統一性の無さを描写する伏線が欲しかった
②会津藩だけに分かる暗号
会津藩だけが分かる暗号が「彼岸獅子」である。なのに、城内で「新政府軍の策略か?」と疑ってしまうのでは、せっかくの策も台無し。
視聴者の虚をつくという演出かもしれないが、城内の者が大蔵の意図に気づき、入城の準備を整えてこそ、無血入城の成功に説得力を感じる。
今年の大河の前半は、主人公を描くのではなく、会津藩を描くのが目的だった
ドラマ開始時に「什の掟」や「ならぬことはならぬ」などの会津(武士)の魂を説き、会津の悲劇に至るまでの会津の苦悩、選択、決断を描いてきた。
主人公・八重はドラマの序盤から中盤にかけては、当時の女性の役割という面から、傍観者的立ち位置ということはやむを得ない面もある。会津での戦にしても、「会津を守る」と言ってはいるが、「弟の仇」という私怨も強い。また、代替の主人公である山本覚馬にしても主張が弱かった。
ずっと、「淡々とストーリーが展開されている」と感じ、それが不満であったが、ここに至って、主人公は会津藩だったとようやく気付いた。
【ストーリー】番組サイトより
鶴ヶ城内の八重(綾瀬はるか)のもとへ、日新館が焼失し、重傷者たちが自害したという知らせが届く。怒りを抑えきれない八重は、城外で敵を討つため夜襲に出る。城内の守備は整いはじめていたが、新政府軍は最新の兵器と共に続々と会津に集結していた。
一方、中野竹子(黒木メイサ)は母・こう(中村久美)や妹・優子(竹富聖花)ら女性たちで婦女子隊を結成し、薙刀を武器に新政府軍に戦いを挑んでいた。しかし、奮戦むなしく竹子は敵の銃弾に打ち抜かれてしまう。
仲間が次々と戦死していくなか、八重の耳に懐かしい彼岸獅子の音色が聞こえてくる。