英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

2022年FIBA女子バスケットボール・ワールドカップ 日本-フランス戦

2022-09-27 12:07:33 | スポーツ
対セルビア戦、対カナダ戦と同じ様なストレスを感じてしまった。……デジャヴ?

第1Q、日本のバスケットが機能せず、1-0から8連続失点。3-8からは約6分間無得点。ディフェンスも厳しさに欠け、ずるずる点差を広げられた(3-16だったかな?)。結局、第1Qは日本5-16フランス。
第2Qは、完全に日本ペースとなり、連続得点で追いつく。フランス選手は苛立ちを隠せない状態。しかし、ここで一気に逆転できないのが、今大会の日本。ミスを頻発し、第2Qは日本26-29フランスで終了。
第3Qは拮抗。日本はペースをつかむこともあり、一度は同点に追いつくが、やはりミスが出て、結局、日本44-48フランスで第3Qをお終える。
第4Q、開始直後2点を挙げ、《さあ、ここから!》と思ったが、そこから、15連続失点!……結局、日本53-67フランスで敗れた。

この時点では、まだ決勝トーナメント進出の可能性が残っていたが……オーストラリアがカナダに勝利し、日本の予選リーグ敗退が決まってしまった。
各6チームで争われるグループフェーズでは、上位4チームが決勝トーナメント(準々決勝)に進出できる。第4戦終了時点で、オーストラリア、フランス、カナダの3チームが3勝1敗(勝点7)、セルビアが2勝2敗(勝点6)、日本が1勝3敗(勝点5)。日本はセルビアとの直接対決に敗れたため、最終戦の結果によって勝ち点で並んでも、グループの4位以上に入れないことが確定した

【敗因】
・タイムアウトを取るタイミングが遅すぎる
 点差が開いてしまってからでは、気持ち的にも苦しい(相手は波に乗る)。それに、傷が浅いうちなら、拙い要素も少なく、改良しやすい。点差をつけられてしまっては、拙い要素も増えて、何を改善すればいいのかもわからなくなる。
・タイムアウトの指示もうまくいっていない
 このゲームに限らず、タイムアウト後のプレーは、ほとんど上手くいっていない。しかも、ターンオーバーが多い。
・フリースローが決まらない
 序盤から3回連続、1本ずつ外していた。点数的にも心理的にも、今の日本にとっては苦しい
・ポイントガードが宮崎の時は、オフェンスが機能していたが、残り二人の時は停滞していた
 今回山本と安間の調子が悪かったのか、実力的に劣っていたのかは不明だが、宮崎がベンチに下がると、オフェンスが停滞した。
 今のチーム状況を考えると、宮崎の体力が心配だが、宮崎で行けるところまで押し通すべきだった。渡嘉敷が不調だったが、宮崎とのコンビは機能していたし。
・マークが外れてフリーでジャンプシュートを決められることが散見された
 とにかく、五輪当時の厳しく激しいディフェンスが見られなかった。これが一番の敗因かも
・東藤のプレーに疑問
 ディフェンスは定評があったが、今回は、スチールを狙い過ぎ。わざわざ、相手スクリーンの陰にまわって、スチールを狙うなど、全く同意できない。(引いたため、ドライブで切り込まれたり、ノープレッシャーでジャンプシュートを決められるシーンが目立った。正攻法で相手選手にプレッシャーを掛け続けるべきであろう
 独特のステップでレイアップシュートを決めるのは頼もしかったが、3Pシュートが決まらない、強引なオフェンスを試み、ターンオーバーが多かった。あと、ラインクロスが多いような気がする。

【大会を通じて】
・苦戦(敗戦)の一番の要因は、3Pシュートが決まらなかったこと。シュートセレクトも悪いことが多かったが、完全シュートチャンスでも入らなかった。
・五輪当時の厳しく激しいディフェンスが見られなかった
・大会を通じて、集中力や気迫が足りないように感じたのも予選敗退の要因。ただ、対フランス戦では、かなり改良されたように感じた。
・日本のバスケットが研究されていたのも敗因であろう。(五輪時はほぼノーマークだった)
・上記で書いたように、ベンチワークも疑問
・五輪当時の町田、林の不在も大きい(現在、コンディションが整っていたとしても、当時の活躍ができるか不明)。ただし、他のチームも万全ではなかったかもしれない。
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「弔問外交」という表現

2022-09-27 09:15:35 | 時事
「弔問外交」……この表現に違和感を感じるのは、私だけ?


そもそも、「弔問」とは?……
死者の家をたずねて悔やみを述べること
旺文社「国語辞典」より引用

弔問とは遺族を訪問し、お悔やみの言葉を伝え、故人へ最後の別れをすることです。
一般的な弔問では、通夜前に故人の安置されている場所へ訪問します。
しかし、何らかの理由で葬儀までに訪問できず、後日自宅を訪問する場合も弔問に該当します。
通夜や葬儀には、参列する、会葬すると表現するのが一般的です。

「アイセ・メモリアル神奈川」お役立ちコラムより引用

「弔問」とは、亡くなった方のもとを訪れ、ご遺族にお悔やみを申し上げ、亡くなった方と最後のお別れをすることです。
ごく親しい関係の場合は、亡くなると同時に報せが来て駆けつけるかたちの弔問になります。一般的には訃報と同時に通夜、告別式の場所と時間が知らされるので、通夜、告別式に参列する弔問になります。
葬儀に参列できなかった場合や、葬儀の後に訃報を知った場合は、ご遺族に連絡して自宅へ弔問にうかがいます。

「VERY CARD」サイトより引用

多少、編者や著者によって解釈が異なるが、「悔やみの言葉を述べる」「故人への最後の別れをする」ことであろう。

 しかし、「弔問外交」となると、そう言った“悔やみ”、“別れ”の気持ちは二の次で、弔問(参列)の場を利用して、外交をするような意味合いが強い。
 国際情勢が複雑で緊迫している昨今では、悠長ではいられず、機会があれば外交を行うというのは、至極当然な状況かもしれない。
 なので、岸田総理が各国代表と会談することに対して、批判するつもりはないし、頑張っていただきたいとも思っている。(それにしても、総理…国連会議、台風災害、ウクライナ、コロナ、円安など大変だなあ。あ、公明党党大会も)

 それと、私の印象で誤認識かもしれないが……「弔問外交」の元々の発祥は、ある国の元首など要人の葬儀で、(両国の関係が親密でない)第三国同士の代表が、この機会を利用して会談を行うような感じだったのではないだろうか…


 話を元に戻すと……マスコミが盛んに、この「弔問外交」という表現をするのは、どうなのだろうか?
 違和感、もっと言うと、不謹慎な気がする。
コメント (4)
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