もともとBS放送(BSフジとかBS日テレ)などでアニメを観ることは多かったが、2、3年前から「BS11」「BS松竹東急」も観始めるようになって、更に忙しくなった(笑)
今クールもかなりの本数を観ることになったが、『ライザのアトリエ』は2話で離脱。『AYAKA ‐あやか‐』も離脱を考慮中(『もののがたり』など既存の作品をなぞっただけ。キャラクターもそれらしく脚色しているが、魅力なし)。
昨クールは粒ぞろいだった。『鬼滅の刃 ~刀鍛冶の里編~』は多少低空飛行だったが、面白かったし、掘り出し物だったのは『デッドマウント・デスプレイ』!登場キャラが、一癖も二癖もあって、面白い。特に、怪人ソリティア。凄腕なのはもちろん、エンターテイメントに富んでいる。視聴者を楽しませることが生きがいで、何をしでかすか、何を語るか(でまかせも多い)…とにかく、彼が登場するとワクワクする。
残念ながら、《これからどうなるんだぁ~》と序章段階で終了(嗚呼、やっぱりぃぃという感じ)
今クールは『呪術廻戦』がやはり面白い(第1シーズンとは時間が遡るのが、不満)。それと、『もののがたり 第二章』も好みだ。他にもいろいろあるが、語り始めたら終わりそうもないので、後日(“後日”はあるのか?)
さて、表題の『AIの遺電子』だが……
設定などは全く違うが、手塚治虫氏の『ザ・クレーター』を思わせるような作品のテーマ。(『ザ・クレーター』は17本の読み切り漫画からなる手塚治虫の連作短編シリーズ。1969年から1970年にかけて『少年チャンピオン』。1作品ごと主人公も時代背景・設定も異なっていおり、『AIの遺電子』とは全く違うが)
『AIの遺電子』は主人公が関係した「ヒューマノイド」(AI頭脳のアンドロイド)の苦悩を描いているらしい(まだ、2話までしか視聴していない)
しかし、この“ヒューマノイド”の設定が曖昧過ぎて、全く納得していない!
取りあえず、番組サイトを見る―――
【INTRODUCTION】
これは、私たちの未来の物語 ――。
21世紀に始まったAIの圧倒的な進歩は、社会の発展に寄与する一方、高い知性を持つ機械を道具として使う是非を、人類に突きつけた。
そして22世紀後半。人々は「産業AI」とは別格の存在として、人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしている。
須堂光は、ヒューマノイドを治す新医科の医者として、ヒトとAIの共存がもたらす「新たな病」に向き合っていく。
時に、裏の顔も使いながら……。
何が不満なのかと言うと……
《人々は「産業AI」とは別格の存在として、人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしている》という設定。
①産業AIロボットと何が違うのか?
②人間とは何が違うのか?
・生活は人間と全く変わらない。老化するようにも作られている
・短距離走では全く区別なく人間と競い合っていて、タイムが速くならないヒューマノイドが悩んでいた(第2話)
③どういう過程(どういう理由で)でヒューマノイドが誕生し、人権が認められ、人と共生するようになったのか?
②がこの作品のテーマだと思われるが、③がはっきりしないと、視聴者(私)はどのように考えれば良いのか全く分からない。
例えば、第1話では、頭脳(AI)が壊れてしまうと、再生できない(人間の死亡と同じ)。身体の部品は取り換えが利くらしい。
ただし、よく分からなかったが、AIのバックアップは禁じられている。妻が死ぬことに対して不安を持っていた夫が、不法にAIのバックアップを録った。しかし、その際、ウイルスに感染し、身体の機能に不具合が生じ始め、主人公に助けを求めたという話。
バックアップデータで妻を直すことはできる。ただし、《バックアップ後の記憶は失ってしまう》。
バックアップで再生した妻は、果たして、これまでの妻と同一人物と言えるのか?……これがこの話のテーマ
妻自身も、自分が自分で亡くなるという恐怖を感じ、娘もバックアップを録った時から、バックアップで再生するまでに暮らした自分との記憶が母から消え去ることに悲しみを感じる。
結局、機能不全に陥った後、再生処置が行われた。
非常に面白いテーマだが、③で述べた設定をきっちり定義してくれないと、モヤモヤ感が大きくて……困る
参照:「第1話・第2話」、「第3話」、「訂正1・第3話について」、「第4話」、「訂正2・タイトルについて」、「第5話」、「第6話」、「第7話」、「第8話」、「第9話」、「第10話」、「第10話・追記」、「第11話」、「第12話(最終話)」
今クールもかなりの本数を観ることになったが、『ライザのアトリエ』は2話で離脱。『AYAKA ‐あやか‐』も離脱を考慮中(『もののがたり』など既存の作品をなぞっただけ。キャラクターもそれらしく脚色しているが、魅力なし)。
昨クールは粒ぞろいだった。『鬼滅の刃 ~刀鍛冶の里編~』は多少低空飛行だったが、面白かったし、掘り出し物だったのは『デッドマウント・デスプレイ』!登場キャラが、一癖も二癖もあって、面白い。特に、怪人ソリティア。凄腕なのはもちろん、エンターテイメントに富んでいる。視聴者を楽しませることが生きがいで、何をしでかすか、何を語るか(でまかせも多い)…とにかく、彼が登場するとワクワクする。
残念ながら、《これからどうなるんだぁ~》と序章段階で終了(嗚呼、やっぱりぃぃという感じ)
今クールは『呪術廻戦』がやはり面白い(第1シーズンとは時間が遡るのが、不満)。それと、『もののがたり 第二章』も好みだ。他にもいろいろあるが、語り始めたら終わりそうもないので、後日(“後日”はあるのか?)
さて、表題の『AIの遺電子』だが……
設定などは全く違うが、手塚治虫氏の『ザ・クレーター』を思わせるような作品のテーマ。(『ザ・クレーター』は17本の読み切り漫画からなる手塚治虫の連作短編シリーズ。1969年から1970年にかけて『少年チャンピオン』。1作品ごと主人公も時代背景・設定も異なっていおり、『AIの遺電子』とは全く違うが)
『AIの遺電子』は主人公が関係した「ヒューマノイド」(AI頭脳のアンドロイド)の苦悩を描いているらしい(まだ、2話までしか視聴していない)
しかし、この“ヒューマノイド”の設定が曖昧過ぎて、全く納得していない!
取りあえず、番組サイトを見る―――
【INTRODUCTION】
これは、私たちの未来の物語 ――。
21世紀に始まったAIの圧倒的な進歩は、社会の発展に寄与する一方、高い知性を持つ機械を道具として使う是非を、人類に突きつけた。
そして22世紀後半。人々は「産業AI」とは別格の存在として、人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしている。
須堂光は、ヒューマノイドを治す新医科の医者として、ヒトとAIの共存がもたらす「新たな病」に向き合っていく。
時に、裏の顔も使いながら……。
何が不満なのかと言うと……
《人々は「産業AI」とは別格の存在として、人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしている》という設定。
①産業AIロボットと何が違うのか?
②人間とは何が違うのか?
・生活は人間と全く変わらない。老化するようにも作られている
・短距離走では全く区別なく人間と競い合っていて、タイムが速くならないヒューマノイドが悩んでいた(第2話)
③どういう過程(どういう理由で)でヒューマノイドが誕生し、人権が認められ、人と共生するようになったのか?
②がこの作品のテーマだと思われるが、③がはっきりしないと、視聴者(私)はどのように考えれば良いのか全く分からない。
例えば、第1話では、頭脳(AI)が壊れてしまうと、再生できない(人間の死亡と同じ)。身体の部品は取り換えが利くらしい。
ただし、よく分からなかったが、AIのバックアップは禁じられている。妻が死ぬことに対して不安を持っていた夫が、不法にAIのバックアップを録った。しかし、その際、ウイルスに感染し、身体の機能に不具合が生じ始め、主人公に助けを求めたという話。
バックアップデータで妻を直すことはできる。ただし、《バックアップ後の記憶は失ってしまう》。
バックアップで再生した妻は、果たして、これまでの妻と同一人物と言えるのか?……これがこの話のテーマ
妻自身も、自分が自分で亡くなるという恐怖を感じ、娘もバックアップを録った時から、バックアップで再生するまでに暮らした自分との記憶が母から消え去ることに悲しみを感じる。
結局、機能不全に陥った後、再生処置が行われた。
非常に面白いテーマだが、③で述べた設定をきっちり定義してくれないと、モヤモヤ感が大きくて……困る
参照:「第1話・第2話」、「第3話」、「訂正1・第3話について」、「第4話」、「訂正2・タイトルについて」、「第5話」、「第6話」、「第7話」、「第8話」、「第9話」、「第10話」、「第10話・追記」、「第11話」、「第12話(最終話)」