長い下りは容赦なく太もも前をいじめ続ける。
とはいえ下りは脚が進む。
上りで疲労した体にはうれしいことでもある。
しかし経験からこの長い下りの走りがレース後半の脚の体力を奪う。
飛ばしすぎだけは禁物、キロ6分後半で進む。
30kmすぎ、峠も終了して民家も現れ始め公道を走る。
空も明るく日差しも強い。
36km付近の第一関門。
もう少し早く到着する予定だったが、体力を残しているので問題はない。
昭和大橋の関門エイドは、これまで峠を越えてきた気持ちをリセット出来るくらい見晴らしがいい。
少し休んで再出発。
青空と四万十川はよく似合う。
ここからしばらくは応援ポイントとなっており、声援がアツい。
橋を渡り切ったところで嫁を発見。
調子がいいのでたいして愛想もふらずに先を急ぐ。
公道のトンネルに向かう長い直線は少し上りが続く。
小野大橋を折り返し川沿いの旧道に戻る。
40km通過、「4時間57分39秒」。
もう少し早い方が理想だが問題ない。
42km、2回目のおにぎりエイド。
日陰でおにぎりを食べる。
陽射しも強くやたらと喉が渇いて給水も多めにとる。
42.195km、とりあえずフルマラソンを走り切った。
とりあえずフルを走り切れるだけの体力があることがうれしい。
49km地点、
右足ふくらはぎの中がチクチクしはじめて嫌な予感が走る・・。
去年何回も痛めた右足ふくらはぎ上部、突然痛みに変わり、思うように走れなくなる。
50km通過、
ついに歩きが入りはじめた・・、痛い。
エイドで痛み止めも飲んだが効きがわるい。
いつもなら何故か一度復活する53kmまでの鉄道高架沿いの直線。
思うように走れないが根性で進む。
53km地点、半家(はげ)の沈下橋。
写真ポイントで無理矢理笑顔を作って走る。
沈下橋のあとは半家の峠。
この峠は小さな峠だが傾斜もキツく、ほとんどのランナーが歩く。
頂上から急勾配を下るがふくらはぎが痛すぎて歩く。
下りきった56kmの関門をくぐる。
「あら~ヤバいよヤバいよ~」
関門所の知り合いボランティアに冷やかされる。
ダメだ・・痛い・・。
レストステーションのカヌー館が遠い。
周りのランナーも頑張っている。
勇気をもらって走り出すがしばらくすると痛みが激痛になる。
61kmカヌー館に到着。関門時間はもう30分しか残していない。
カヌー館はスタート地点で預けた荷物が一度受け取れる。
エイドも充実していて温かい味噌汁まである。
応援ポイントでもあり、たくさんの人が行き交う。
応援の嫁が現れた。
「息子は?」
「何か堂ヶ森の峠で攣りまくったらしくて、第一関門くぐれんかったで~」
「やっぱりか・・、まあええ経験やろう~」
「次の関門は71.3、茅生(かよう)大橋か~、んん~またまた茅生大橋・・、とりあえず行ってくるわ!」
芝生には次に進む気力も尽きたランナー達がたくさん座り込んでいる。
カヌー館を抜ける急勾配の坂道を走って上れた。
これはうれしい・・。
痛いけど、ここからさらに粘って2つ向こうの関門さえくぐれば94kmの最終関門までは勝負できる・・・。
そんな皮算用も繰り返し現れる激痛であっさりと打ち砕かれる。
歩ける、走るとしばらくして激痛がくる。
歩くと筋肉も硬直して前モモも焼けるように痛み始めた。
ここまでくると歩いたり走ったりを繰り返す周りのランナーはほぼ同じメンバー。
同じく歩く岐阜県のランナーさんに声を掛けられた。
歳も同じくらいでお互いの痛い所を共有しあい、関門所の茅生大橋までの2kmを一緒に走り出した。
ランナー同志の会話は気分もリフレッシュされ、連れがいることで痛くても走れる。
諦めていた71.3km茅生大橋の関門を6分前に通過した。
「おお、くぐったか~」知り合いの審判員ボランティアに冷やかされる。
地元民は知り合いが多くて困る。
調子が出てきた様子の岐阜のランナーさんを先に見送り、無理をしたふくらはぎを少し休める。
次の久保川地区の79・5kmの関門は確か厳しい設定。
もう歩くと確実に関門にかかる。
周りは歩くランナーだらけになる。
走って抜きざまに「ファイトー!」と声を掛ける。
自分のエールで勇気がでるランナーもいるだろう・・。
それにしても中半(なかば)地区は長い・・、この辺になると道幅も狭くランナーすれすれを車が通る。
これが移動応援が禁止な理由。
口屋内地区に入り、民宿せんば付近は応援がアツい。
口屋内は応援も多く賑やか。
日陰でお年寄りが椅子に座って手を叩いてくれる。
・・・これが私の心を打つ。
お年寄りの小さな拍手の音を耳に脚を進める。
しかし・・・痛い。
この区間をこれくらい歩いてしまえば確実に関門にかかる。
最後の気力を振り絞って走り出す。
「最後」と思えばかなり頑張れる。
ダラダラと歩くランナーを交わし、その向こうを歩く岐阜のランナーさんに追いついた。
「たぶんもう関門閉まりましたよ」
「あ~なるほど・・それでみんな歩いているのか・・(笑)」
79.5km久保川関門に歩いて到着。
岐阜ランナーさんと記念撮影。
一緒にリタイアバスに乗り込む。
「この大会は年齢層が高いですね」
「そうなんです、一番のボリュームゾーンは50代ですよ」
実際白髪頭のランナーもかなり目立つ。
「もう最近は完走出来なくなりました」、ダラダラと歩く年配ランナーからよく聞いた言葉。
そういえば沿道の声援もお年寄り達が少なく感じた。
過疎地区のエイドではテントを組み立てる男手も足りないらしい。
ランナーも沿道の皆さんもボランティアスタッフもいつの間にか高齢化しているのだ・・。
リタイアバスは出発し、やがてまだ走るランナーの横を進みだす。
下を向き、まだ前に向かって進むランナーの姿に心が締め付けられる。
バスはゴール地点に到着し、降りるときにボランティアスタッフからリタイアタオルが配られる。
ボランティアは知り合い、「こっちから帰ってきましたか~(笑)」
「ハハハ」
S君の嫁さんに連絡してみると、どうやらまだS君はコース上を頑張って走っているらしい。
一緒に彼の帰りを待つ。
彼は今、明かりの無い暗がりの山道を蛍光スティック片手に不安の中で進んでいるはずだ。
何とか完走してほしい。
ゴール関門の10分前、ついにゴール地点に現れた。
S君、100kmの初ゴール!おめでとう!
S君夫婦、若いっていいな~
間もなくゴール関門も閉められ花火が打ちあがる
こうして今大会は幕を閉じた。
自転車でゴール地点に駆け付けた嫁とダラダラと歩いて家に向かう。
さてさて、私は79.5km関門アウト。
休日のロング走は何とかこなしてきたが、基本的なランは全くの練習不足。
だがしかし、80km近くも進めたのも事実。
今回ダメなら来年から60kmの部に変更も考えていたが・・、もう一年頑張ってみますか・・。
「あ~~、四万十川ウルトラの100㎞って中毒性があるな~」
アケボノソウのような夜空を眺めながらそう思った。
【あとがき】
見事完走されたみなさん、おめでとうございます!無念のリタイアをされたみなさん、お疲れ様でした。
レース中に「ブログみてますよ」と声を掛けて下さったみなさん、ありがとうございます。
また来年四万十でお待ちしております。
そして、毎年のボランティアや沿道で声援をくださるみなさん、お陰様で今年も素晴らしい大会でした。
ありがとうございました!
私にとって10回目となる出走の四万十川ウルトラマラソン100kmの部。
今回は少し短めにまとめた出走記です。(それでも長い)
【前日】
商売人の私、前日は当然お仕事。
これが何とも忙しく、朝の8時から強引に予約を打ち切った午後6時までほぼ立ちっぱなしだった。
夕方、我が家に宿泊する高知市内の知り合いランナーS君も顔を出し、仕事の合間に受付会場へ・・
何とか受付間に合ったが・・もう夕暮れ間近
楽しみにしていた持ち帰り自由の石(地元の子供達がペイント)は全く無かった・・
翌日の臨時休業の張り紙をして晩飯を済まし入浴後にバタバタと就寝。
予想外の仕事疲れで腰が痛く、寝返りも多くてなかなか寝付けない。
最低3時間くらいは寝たいところだが・・
【当日】
朝3時起床、少しは寝られた気がする。
夜中に運転して応援に来たS君の嫁さん、ノリちゃんカーで会場に向かう。
100㎞の部のスタート地点は市街地から車で10分の山あいの集落蕨岡地区。
車から降りると口元から白い息が出る。
例年よりかなり寒い。
澄んだ夜空には星が浮かぶ。
先週山歩きで見つけたアケボノソウ
その美しい花は、花びらの模様から明星の星空を見立てて名付けられたらしい。
明星の星空は終日の好天を確信させる。
このウルトラは2年連続で雨に見舞われた。
久しぶりに青い四万十川が見られそうだ。
しかし、寒い。
タイマツの炎、出来れば聖火ランナーのように持ち歩きたい。
一條太鼓も活気がある。
暗がりの鶏小屋から鶏が上手に鳴いた。
いつも通りのスタート前の風景に酔いしれる。
スタート会場は蕨岡中学校の校庭。
ストレッチ中、TVクルーに撮影されているランナーもいた。
息子も到着して仲間で記念撮影。
息子は去年たいした練習もせずに60kmの部を完走。
今年は会社の上司から100kmの部に誘われてしぶしぶの出走。
S君は以前数回100㎞に挑戦したが、持病の膝痛で完走歴は無し。
私は完全な練習不足で体重も例年よりも5kg増。
「今回この3人、誰がゴール出来るのか分からんな~~(笑)」
開会式が始まりゲストの岩崎恭子さんがランナー達に声援をくれる。
荷物をボランティアスタッフに預け、グランドを後にして公道のスタート地点に並ぶ。
目の前にうずくまっているランナーの背中に見覚えのある文字が・・
どうやらNHKのランニング番組「ランスマ」の撮影らしい。
タレントの宇野けんたろうさんと記念撮影。
今回で10回目の100㎞。
私には3人の子供がいる。
長女は就職も決まり来春に大学も終えるし、長男は去年から地元就職。
次男は高校で野球部キャプテンを務めあげ、つい最近就職内定をもらった。
昔はこんなに小さかった息子達
まさか自分の息子(長男)と共にこの100㎞のスタート地点に立てる日がくるとは・・
もうそれだけで十分な幸せ者だ。
スタート!!
賑やかで明るいスタートゲート付近を出発して暗闇を多くのランナーと共に走る。
タイマツの明かりはやがてキャンドルに変わり、歩道の足元を幻想的に照らす。
やがて明かりはなくなり、ボランティアスタッフの自家用車のライトに頼ることになる。
赤いペンライト応援の3人衆を通り過ぎてから気が付く。
「しまった!アレは嫁達や・・」
嫁、キク、マユ、嫁の職場3人衆のペンライト応援・・、全く反応出来なかった。
これは後から怒られるパターンや・・(汗)。
後ろから追い付いてきた息子「さっきお母さんおったでね」。
「おお気づいたか、キロ6分半を切らんように行けよ!」
息子は若々しく前に消えていった。
さて自分、10㎞通過、GPSウォッチはキロ6分半を表示し続けている。
練習不足で脚の痛い所は全く無い。
好調で前に進み続ける。
空は明るくなったが、山あいは気温がなかなか上がらず寒い。
仮設トイレに並んでる息子に手を上げて先に進む。
13kmすぎ、少し上り始める。
これから標高600mの堂ヶ森の峠を越え。
なるべく体力を温存して脚を進める。
17kmすぎ、一気に峠らしく坂道が急になる。
これは私より随分後ろを歩いている息子の姿。(S君撮影)
息子は上りでもう脚が攣りまくっていたらしい。
20km通過、「2時間25分31秒」。
上出来!
明るい兆しが頑張れる材料となる。
「ブログの方ですか?」「いつも綺麗な写真を見させて頂いて、楽しませてもらっています!」
愛媛県のランナーに声を掛けられる。
「ありがとうございます!」「絶対完走しましょうね!」
うれしい、相手の顔も見えない中で書いている日常を綴っただけのこんなブログでもやっぱり見ている方がいる。
頂上まで残り1kmの勇気を頂いた。
一度も歩くことなく頂上エイドに到着。
頂上エイドはオアシスエイド、おにぎりなどのごちそうが並ぶ。
おにぎりをしっかりと噛んで食べる。
固形物が摂取できるのも調子がいい証拠。
少し屈伸して長い下りに向かう・・
~後半へつづく~