「久しぶり!ヒロトのお母さんの湯布院の宿はZENで合ってる?」
「久しぶり!ZENは姉さんのところです」
SNSのメッセージとはいえ、まともに連絡を取り合ったのはどれぐらいぶりだろう・・・。
私には幼馴染がいる。
3軒隣のフジさんは幼稚園からの友達で、
通りの向かいの病院の息子ヒロトと、その隣りで同じく病院の息子ヒサノッチは小学生からの友達。
幼馴染達はそれぞれ勉強が良く出来て、中学高校あたりから高知市内の進学校へと進んだ。
その後ヒロトは東大に合格して、私は就職で同じ東京で再会したりと、
ヒロトは大人になってからも交流のある親友でもある。
小学校の5・6年は同じクラスで、徒歩通学の行き帰りはいつもヒロトと一緒だった。
運動が苦手だが、頭が良くて明朗活発。
通学では、くだらないダジャレを楽しそうに披露しては私の顔を覗き込んだ。
ヒロトの家は立派な屋敷で、石段を少し上がった門のインターホンを押すと、
お手伝いさんから「家庭教師の日だから遊べません」とよく言われたものだった。
遊べる日は、プッチとリリーという2匹の白いプードル犬に吠えられながら家に上がり込んだ。
通路で繋がっている病院には、お母さんが描かれた大きな油絵がたくさんあった。
ヒロトのお母さんは、くせ毛のショートカットが似合う色白の美人さんで、
いつも姿勢の良い上品な人だった。
サラサラな直毛のヒロトの散髪は、そんなお母さんの愛情たっぷりなセルフカット。
しかし、前髪を一直線に揃えたオカッパ刈のせいで、いじめっ子からは「カッパ」とあだ名が付いた。
一方、私はというと母がやっていた美容院の息子。
美容院の名前はリラ、当然最初のあだ名はリラだった。
リラ先生と呼ばれる母は、たいして綺麗好きなわけではないが、
小学生の私の半ズボンのポケットにハンカチを入れ続けた。
それがいじめっこ達の目に留まり、「綺麗好き」から変に縮められて「キレジ」というあだ名が付いた。
「カッパ」と「キレジ」。
ある日、学校からの帰り道がいじめっ子達と一緒になった。
「カッパ」「カッパ」と大声で連呼するいじめっ子達、
カッパはきちんと「やめて」と言葉に出して意思表示するが、相手の反応を楽しむという目的がある連中は止めるはずがない。
下を向き、耐える事を決め込んだカッパ、
面白くないいじめっ子達は、目的を「泣かすこと」に変えた。
「おいキレジ!お前もカッパ言えー!」
逆らう勇気なく、一緒になって連呼に加わってしまった。
唇を噛み、涙を浮かべて耐え続けるカッパ。
いじめっ子達と別れてからは二人無言で歩いた。
私の家を通り過ぎ、気になった私はその先までついて行った。
ヒロトは家に帰るなりお母さんのもとで泣き始めた。
あらかたの事情を説明した私に、お母さんは険しい顔で言った。
「ジュンくん、あなただけはヒロトを守ってあげて」
守る、友達を守る、守れなかった、守らなかった、
初めての感情に涙ぐみながら家まで帰った。
小学生の時のそんな罪悪感を心の奥でしまっている。
いや、罪悪感の一つや二つはだれにでもあるだろう、
私は「あなただけは・・」と大切な事に気付かせてくれたその一言にひそかに感謝しているのだ。
~ キレジより ~
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余談、
この記事を書くにあたって昔の写真を探してみたが、男同士の写真なんて数枚しか見当たらなかった。
小学生の冬休み、家族でスキーするから一緒にどう?と誘われた行先はカナダだった。
(ウチの母が丁重にお断りした)
中学の夏休み、病院のパソコンでゲームっぽいことが出来ることに気付き、
キレジ「遊ぼう!」、カッパ「いや、作ろう!」
一ヶ月かけてプログラムを打ち込んでシーソーのようなワケワカランもんが出来上がった。
高校の頃、キレジは原田知世が好きで、カッパは柏原芳恵が好きだった。
カッパが東大生の頃、仕入れた裏ビデオを興奮気味に鑑賞させると「これが大〇唇でこれが小〇唇か~」と期待と違った冷静すぎる反応に、キレジは停止ボタンを押してしばらく無言になった。
二十歳になり、カッパに初めて飲ませた酒で吐きまくって、翌朝「二日酔いの特効薬を作る」という宣言をした。
カッパ「風邪の特効薬を作る」「エイズの特効薬を作る」
キレジ「おう天才、頼んだぞ」
「カッパとキレジ」
この後、
カッパは頭のてっぺんだけが禿げ上がり本当のカッパに、
キレジはマラソンの練習しすぎて本当のキレジ(切れ痔)になったとさ。
めでたしめでたし・・・ちゃうかーーー(笑)