エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

第19回四万十川ウルトラマラソン 奮闘記「最終回」

2013年11月03日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

79km関門を通過。

すぐ横にある公園のトイレに駆け込む。
下痢。
急に胸焼けがひどくなる。
吐きそう・・、我慢して走るのはとても辛い。
口の中に指を突っ込んで嘔吐。
(酒飲み高知県人の得意技でもある)

すぐには立てない。
上下の第2波がないのか様子をみる。

手洗いで口をゆすぎコースに戻る。
トイレ時間17分。
これはヤバい。
もうキロ8分で行けるところまで・・

とりあえずスッキリしたがペースが上がらない。
歩かないように心掛ける。

トンネルをくぐると80km地点。
「11時間8分」

まだゴールは見えていると思うが、お腹に力が入らない。
脚だけでは思うようには走れない。
とりあえず歩かない。

「鵜ノ江地区」に入る。
恰幅のいいおじさんが大声でランナー達を冷やかしている。
「おい!ゼッケン○○○○番!お前は何処から来たー?!」
「静岡です!」
「おお!静岡かあ!あそこのワサビは旨かったな~!」
なんじゃそりゃ。

「おい!○○○○番!お前は何処から来たー?!」
「沖縄です!」
「メンソ~レーー!」
やるやんけ・・

ついに自分、
「おい!○○○○番!お前は何処から来たー?!」
「中村ー!!(四万十市の旧地名)」
「・・・、(後ろを振り返り)おい!中村言いようぞ!誰か知り合いおらんのか!」
果たして「鵜ノ江の名物オヤジ」になれるのか・・


鵜ノ江の集落に突入。
飛脚応援隊が現れる。
今度は嫁と合流している。

応援隊はここではランナー達の脚に冷却スプレーを振りかけている。
例年の事で手慣れた感じで冷却してくれる。
「どう?」
「下痢したで~、かなりヤバいね」
「まあ諦めずに行けるところまで行くけん」
最近はこの言葉を吐くことが多い。

「頑張れー!」
珍しい嫁の大声エールで送り出される。

「勝間の沈下橋」が見える。
冬に病気で死んだ親父を思い浮かべる。
ガン、糖尿、透析、肺炎、
入院中にぶっきらぼうな親父が1日だけ饒舌に喋った。
話は一方的で、何かを伝えたいのか・・必死に喋った。
今思うと、あの時すでに自分の死期を悟っていたのだろう。
親父が趣味で集めていた土佐寒蘭。
仕方なく引き継いで水やりをしている。
鉢に刺された札に「勝間」と書かれているものが花芽を付けて、
今にも咲きそうな蕾を付けている。
親父はこの勝間地区のどの山に入っていたのだろう・・、

トンネルを潜る。

田出ノ川地区に入る。
2年前に死んだオフクロの里である。
数年前にパーキンソン病と診断されたオフクロ。
普段弱気な姿を見せないオフクロが息子の前でオイオイと子供のように泣いた。
それからは日に日に手足の自由が奪われていく恐怖との戦いだった。

ウエストポーチには両親の写真を忍ばせてある。
旅行嫌いだった親父。
仕事が忙しくて旅行に行けなかったオフクロ。
結局家族旅行なんて一度も出来なかった。
せめてもの思いで100kmの旅を共にする。

辺りは早くも暗くなった。

川登地区に入る。
関門を「1分前」に通過した。

膝に手をついてうなだれた。
川登の関門が閉鎖された。

「最終ランナー」となった。
2年前はゴール付近で最終ランナーと告げられた。
来年は「最終ランナーTシャツ」作るか・・

給水をとって走り出す。
腕に書かれた子供達からのメッセージは暗くて見えない。
ゴール地点では3人の子供達がボランティア参加している。
せめて「あきらめない姿」だけは見せたい。

最終関門を目指して走る。

三里地区に入る。
真っ暗。
おそらくボランティアの車だろうが、
キロ9分のランナーに併走して道を照らしてくれる。
申し訳ないが随分助かる。

歩くランナーをどんどんと交わす。

90km地点通過。
ボランティアさんに問いかける。
「最終関門閉まるまであと何分ですか?」
申し訳なさそうに答えがかえる。
「残り4kmであと20分です・・」

「キロ5分か・・くそ~」

悔しいけど走る。
諦めない。

エイドで蛍光スティックを渡される。
もう走っているランナーがいないのか、応援がアツい。
大声で叫んでくれる。
「お兄さん!その調子ー!!」
「絶対にゴール出来るけん!頑張ったよーー!!」

心に突き刺さり涙が出そうになる。
ここにきてまだ「頑張れ」と言ってくれる・・

ここまでたくさんの応援を頂いてきたのに・・、
ゴールを約束した子供達がまだ待っているのに・・、
頑張れなかった情けない父・・。

真っ暗な山道を走りながら涙が出た。

最終関門が見えた。

94km佐田最終関門。
「10分オーバー」

悔しいがちゃんと走ってここまで頑張れた。

気持ちを切り替えてバスに乗り込む。
バスの中はすでに満員。
最終関門のバスの中はみんな明るくよく喋る。
悲壮感というよりも頑張った満足感のほうが感じられる。

5kmのバスの旅はたったの5分で終わる。
ゼッケンの端をちぎられたランナーは、リタイアタオルを片手に最後の難関に向かう。
体育館までの下りの階段。
ギットンバッタンと体を揺さぶって下る。

飛脚応援隊と合流。
「残念やったね~」
「来年も挑戦するで!っていうか来年はみんなで走るぞー!」

嫁に聞く、
「子供達は?」
「お父さんダメやったらしいで、って言うたら、ふ~んって」

「ふ~ん」か。
娘は表彰式のボランティア。
息子は体育館内の荷物班。
次男はゴールしたランナーのレーシングチップを外している。

応援隊・完走飛脚ランナーと記念撮影。


「ウルトラマン家族」と「チーム飛脚」の四万十川ウルトラマラソンは
来年へと続く・・。

     【終】

~あとがき~
長文失礼しました。
しかもかなり私的な奮闘記で申し訳ありません。
第19回四万十川ウルトラマラソンは無事に終了しました。
おおかた「曇り」というのは初めてではないでしょうか。
完走したランナーの皆さん、「おめでとうございます」。

私は残念ながら完走できませんでしたが、
それもまた語り草で、頑張った武勇伝でもあります。
10月20日の携帯電話の歩数計が「13万5480歩」を記録しました。
やっぱり100kmマラソンってすごいですね~

私は地元のランナーですが、走るたびに四万十の良さを再発見します。
四万十の景色、四万十の人、
やはりこの大会は「四万十市が全国に誇れるもの」の一つだと思います。
来年は第20回の記念大会でもあり、
何とか定員を増やして、多くの人に走ってほしいものですね。

~四万十川ウルトラマラソン~(数年前のRUNNETより)
ウルトラマラソンは『旅』である。
山を登り、川を眺め、橋を渡り、人とふれあう。
その全ての要素を十分に堪能させてくれる当大会。
もちろん長い道中は楽しいことばかりではない。
辛くて痛くてしんどくて、辞める理由ばかり考え出した時、
四万十川の美しい景色と、地元の心温まる声援が、
折れそうな心に深く染み渡る。
「何故100kmなんてとてつもない距離を走るの?」
という質問をよく聞くが、
その答えはこの大会の中にあるのかもしれない。
最後の1時間、
フィニッシュ会場に帰ってくる選手達を見れば、不思議なくらい誰もが
『私もこんな風になりたい』
という気持ちになるのだ。
そしてまた一人、四万十で新しいウルトラランナーが生まれていく。

後日、立派に咲いた親父の「勝間の寒蘭」。

何かを語り掛けてくれているようです・・。


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