■51■
理容ラッシーで2年半を迎えました。
もの凄い量のCUTをこなしすっかり自信もつけました。
これ以上この店にいると「格安店感覚」に染まってしまう・・
そろそろ「次」を考えないと・・。
実際、初めて来た頃の「おぞましい臭い」にも慣れていたり、
「安けりゃ客は勝手に来る」と錯覚も起こしはじめ、
自分で正気を保つのにも限界がきていました。
「ターニン」での若者の顧客の感覚、
ラッシーでは禁じられた「時間と手間を掛けた丁寧なCUT」、
イメージでは常に残しつつも、忘れるのでは?という不安に襲われます。
「ラッシー」で随分と上がった給料は食べるには十分過ぎるくらいで、
居心地はいいのかもしれない・・。
でも、自分の店を持つまでは給料よりも修行・経験。
「高給技術者」となった僕は「大衆理容」以外で働くとこはあるだろうか?・・
「関美に行って相談してみるか・・」
久しぶりに学校に顔を出しました。
実習室は相変わらず理容部の職員の溜まり場です。
古尾先生が僕の顔を見たとたんに大きな声を出しました、
古尾「長島先生!上田がいました!」
「上田がいいんじゃないですか!?」
長島「おお!そういや~、上田がおったな」
どうやら学校が1階にテナントとして本格的に理美容店を構えるらしく、
「任せられる人」を探しているということでした。
「美容院」の方は既に決まっていて準備に入っているようで、
「理容店」を僕に・・という話です。
関美職員出身の僕は会社の事情にも精通しており、
まさに関美側からすると、うってつけの人材のようです。
上田「とりあえずお店を見せてください」
実習室の通路は以前と違い、裏側へと延びていました。
クランク状の細い角を曲がるとつきあたります。
右・左にドアがあり、理容店は右側のドアを開けます。
お店の裏手から入った僕は、お店の雰囲気に呑まれました。
天井が高く、照明はオシャレに吊り下げられていました。
理容イスが5台も並んでして、受付カウンターがどっしりと構えられています。
誰にも手をつけられていない綺麗なお店でした。
遅れて入ってきた長島先生が言いました、
長島「上田、ここの会社のやり方は知ってのとおりや」
「条件はいい事ないかもしれないけど・・」
「将来お店出すんやったらTOPに立って経理の勉強もしといたほうがいいと思うんやけど」
「それにこっちはお前やったら誰も文句ないし・・・」
「どうや?・・・」
『やってみるか?』
下腹に「グッ」と力が入りました。
期待の大きさに不安もありましたが、
何よりこの難波のド真ん中で腕試しがしたくてたまりませんでした。
上田『やらせてください!』
ついに【最後の修行】の決心をしました。
お店を辞めることを中川マスターに伝えました。
中川マスター「今までケツ割って辞めて行ったモンは多かったけど、」
「そんな前向きなものは止められへん」
「・・頑張ってこいや!」
『武ちゃん』が1年研修でイギリスの美容院で働く事になりました。
『福嶋』は松山の厳しい散髪屋で頑張っているようです。
『健ちゃん』は難波花月の舞台にレギュラー出演する事になりました。
僕は新しい店の大きな鏡の横で静かに道具を並べました。
『初任給で買った鋏』、『富長の鋏』、『水落君の櫛とカミソリ』・・・
ガラス張りの玄関の向こうには、大阪の出発点になったあの『ホテル南海』が見えました。
道具の横に塩を盛り終えると柏手を打ち、目を閉じそっと手を合わせました。
平成7年、27歳の春。
難波『バーバーヘアテック』店長スタートです。
■51■
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます