京都鉄道博物館は、京都市下京区観喜寺町に位置する鉄道博物館です。
JR西日本(西日本旅客鉄道)及び公益財団法人交通文化振興財団が運営しています。
同館は、平成26年4月6日に閉館した交通科学博物館(大阪市港区波除)の収蔵物の一部と、平成27年8月30日に
閉館した梅小路蒸気機関車館(京都市下京区観喜寺町)の収蔵物を展示し、梅小路蒸気機関車館を拡張・リニューアルを
行い、平成28年4月29日にグランドオープンしました。
1階フロアにある鉄道のあゆみでは、鉄道の歴史を紹介しています。
画像の模型は、「ワットの複動式蒸気機関」(縮尺3/5)(復元制作1987年、鷹取工場)
「230形233号機」(明治36年度、汽車製造)
国産初の量産型蒸気機関車
「1800形1801号機」(明治14年、イギリス・キットソン社〉
イギリスから輸入された最初の勾配線区用の蒸気機関車
「EF52形1号機」(昭和3年、日立製作所)
日本で最初に製造された大型電気機関車
「キハ81形3号車」(昭和35年、近畿車輛」
上野から青森間特急「はつかり」の無煙化を目的として開発された日本初の特急形ディーゼルカー
昭和43年まで「はつかり」専用として使用され、以降は「つばさ」「いなほ」「ひたち」「くろしお」に使用
「100系122形5003号車」(平成元年、日立製作所)
0系新幹線電車のモデルチェンジ車として製造されました。
「昭和乃駅」
昭和初期に建てられた駅をモデルにしています。
“駄菓子屋/タバコ屋”
駄菓子屋は、子ども達の社交場でした。
“赤電話”
正式名称“委託公衆電話”として、電気通信事業者が駅・公共施設・テーマパーク・ショッピングセンター
などの構内に設置し、施設の運営者に管理を委託している公衆電話でした。
当時のテレビのチャンネルは、VHF帯(1~12ch)のみだった記憶があります。
“ダイハツ ミゼットMPA”(昭和34年、ダイハツ)
小口貨物の運搬用に製造された軽三輪トラック。
展示車両は、アメリカへの輸出用に製造された車両です。
“丸型ポスト”
郵便法による正式名称は、『郵便差出箱』とのこと。
「昭和30~40年代の駅舎」
昭和30年代に入ると、昔ながらの木造の駅にも蛍光灯がともり、木枠だった窓がサッシに変わるなど、
次第に近代化されました。
切符を買う他に手荷物を預ける窓口や改札を出るまでに予めホームで乗り越し精算を行う窓口がありました。
“目盛り量り”
“乗車券日付刻印機”
“黒電話”
正式名称は、4号自動式卓上電話機だそうです。
“運賃精算用レジスター”
“改札口”
些か鉄道とは無関係と思われそうですが、この時代があってこそ、現在における鉄道の発展があると思います。
昭和の時代にどっぷり浸かりました。
この後もさらに他の展示エリアを見学します。つづく・・・・・(^_^¥
JR西日本(西日本旅客鉄道)及び公益財団法人交通文化振興財団が運営しています。
同館は、平成26年4月6日に閉館した交通科学博物館(大阪市港区波除)の収蔵物の一部と、平成27年8月30日に
閉館した梅小路蒸気機関車館(京都市下京区観喜寺町)の収蔵物を展示し、梅小路蒸気機関車館を拡張・リニューアルを
行い、平成28年4月29日にグランドオープンしました。
1階フロアにある鉄道のあゆみでは、鉄道の歴史を紹介しています。
画像の模型は、「ワットの複動式蒸気機関」(縮尺3/5)(復元制作1987年、鷹取工場)
「230形233号機」(明治36年度、汽車製造)
国産初の量産型蒸気機関車
「1800形1801号機」(明治14年、イギリス・キットソン社〉
イギリスから輸入された最初の勾配線区用の蒸気機関車
「EF52形1号機」(昭和3年、日立製作所)
日本で最初に製造された大型電気機関車
「キハ81形3号車」(昭和35年、近畿車輛」
上野から青森間特急「はつかり」の無煙化を目的として開発された日本初の特急形ディーゼルカー
昭和43年まで「はつかり」専用として使用され、以降は「つばさ」「いなほ」「ひたち」「くろしお」に使用
「100系122形5003号車」(平成元年、日立製作所)
0系新幹線電車のモデルチェンジ車として製造されました。
「昭和乃駅」
昭和初期に建てられた駅をモデルにしています。
“駄菓子屋/タバコ屋”
駄菓子屋は、子ども達の社交場でした。
“赤電話”
正式名称“委託公衆電話”として、電気通信事業者が駅・公共施設・テーマパーク・ショッピングセンター
などの構内に設置し、施設の運営者に管理を委託している公衆電話でした。
当時のテレビのチャンネルは、VHF帯(1~12ch)のみだった記憶があります。
“ダイハツ ミゼットMPA”(昭和34年、ダイハツ)
小口貨物の運搬用に製造された軽三輪トラック。
展示車両は、アメリカへの輸出用に製造された車両です。
“丸型ポスト”
郵便法による正式名称は、『郵便差出箱』とのこと。
「昭和30~40年代の駅舎」
昭和30年代に入ると、昔ながらの木造の駅にも蛍光灯がともり、木枠だった窓がサッシに変わるなど、
次第に近代化されました。
切符を買う他に手荷物を預ける窓口や改札を出るまでに予めホームで乗り越し精算を行う窓口がありました。
“目盛り量り”
“乗車券日付刻印機”
“黒電話”
正式名称は、4号自動式卓上電話機だそうです。
“運賃精算用レジスター”
“改札口”
些か鉄道とは無関係と思われそうですが、この時代があってこそ、現在における鉄道の発展があると思います。
昭和の時代にどっぷり浸かりました。
この後もさらに他の展示エリアを見学します。つづく・・・・・(^_^¥
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