予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
きのうの晩ごはん
・・・バレンタインデイ・キ~ッス♪バレンタインデイ・キ~ッス♪
----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.暮れ~
「それじゃぁいつものやりますか。100から7を引いていって下さい。」
「100、93、86、75、・・・あれ?」
回診の時のいつものやり取りだ。
透析治療でK病院にいた頃から、Fせんせいが来るたび、やっていた。
H病院での移植手術後も、いつからか復活していた。
この病気の外見的な指標として、こういった脳の働きを診るのが有効らしい。
今考えるととても不思議だが、いつも86、79と言えない。
必ずといっていいほど、79で引っ掛かってしまう。
たまに79、72、65と順調に言えても、頭の中で本当にいいのかな、と
悩みながら答えている。
そして、それにも増して答えられなかったのが、「きのうの晩ごはん」。
「Mさん、きのうの夜の食事は何食べました?」
「え~~~~~~~?」
「たしか、魚か。」
「いや、肉だったかな」
いくら思い出そうと思っても思い出せない。
医師や看護師や、周りにたくさんいて、「あ~ぁ」ってな顔をして
こちらを見ているので、悔しいやら情けないやら。
あまりに悔しいので、意味が無い、と思いつつも、その時食べたものを
メモして残しておくようになった。
そして回診の直前に見直して、バッサリ答えてやるのである。
すると、「オー良く思い出せたね」 などと言ってくれるので、その時だけは
気持ちがいい。
その事を妻に話すと、「全然意味ないっしょ」 と言われ撃沈。
しかしながらこのメモ、その後結構役にたったりするのだ。
外泊や一時退院の時など、食べて良い物、だめな物に迷った時、このメモの
おかげで、食べて良い物だけはハッキリとわかる。
病院食として出ていた物は安心して食べられた。
そんなこんなで2005年も暮れていき、年末で入院から4ヶ月半、
体調は良いものの検査値は高め安定。
医師達も思ったような改善が見られず、退院の予定も立たないまま、
「Mさんの場合、何かが引っ掛かっているんだよね」
とか言われながら、2006年を迎えようとしていた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )