予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
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プロフィール
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自己紹介 | |
2005年8月劇症肝炎発症、10月移植手術、2006年8月再手術、6回の入退院、延べ1年間の入院生活を送り、現在無事回復、わたし「かんぞう」の今も続く、激動の闘病体験記です。 |
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北海道新聞連載漫画、「ほのぼの君」1万3千14回での勇退、御疲れさまでした。
・・・
明日は定期検診。どんな結果が待っていることやら
----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.12月
この年の師走、寂しいばかりの年末となった。
意識が回復してきて、リハビリも開始。
退院に向けて、気持ちも徐々に高まっていた。
薬の副作用で血糖値が高くなっていたが、インスリン注射も自分で打てるよう
訓練も始めた。
しかし、一度「退院」という言葉が医師から聞かれたのだが、相変わらず検査値
は好転せず、クリスマスに外泊することさえできなくなってしまったのだ。
残された目標は、正月に外泊できるようになる事。
まだまだ退院できない状況にあるということに段々と気付かされ、ストレスは
溜まっていった。
12月22日、大部屋に移って以来、自分にとっての最大の理解者だったSさん
が退院する。
何度目かのきつい手術を乗り越え、黙々と廊下で歩行訓練を続けていたSさん。
理解者であると共に、最初の目標となる方だった。
晴れやかな表情で去っていく姿に「本当にありがとうございました。くれぐれも
体に気を付けて下さいね」と必死に涙をこらえて言ったものの、正直なところ、
心は複雑だった。
そして、23日には気のいいKさんが退院し、28日には今も付き合いのある
Kさんが退院していった。
自分はというと、年末の外泊に向け検査に次ぐ検査。
しょうがないから年末だけは帰らせるか、といった感じで、着々と、事務的な
感じで事が済まされていった。
そうして、ようやく大晦日に、4ヶ月半振りに帰宅できることとなる。
そう、なかば強引に。
2005年は悪夢の様な一年になった。
そして2006年、さらにさらに、混迷と泥沼、痛みと苦しみの年明けとなる。
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退院に向けて、気持ちも徐々に高まっていた。
薬の副作用で血糖値が高くなっていたが、インスリン注射も自分で打てるよう
訓練も始めた。
しかし、一度「退院」という言葉が医師から聞かれたのだが、相変わらず検査値
は好転せず、クリスマスに外泊することさえできなくなってしまったのだ。
残された目標は、正月に外泊できるようになる事。
まだまだ退院できない状況にあるということに段々と気付かされ、ストレスは
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12月22日、大部屋に移って以来、自分にとっての最大の理解者だったSさん
が退院する。
何度目かのきつい手術を乗り越え、黙々と廊下で歩行訓練を続けていたSさん。
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晴れやかな表情で去っていく姿に「本当にありがとうございました。くれぐれも
体に気を付けて下さいね」と必死に涙をこらえて言ったものの、正直なところ、
心は複雑だった。
そして、23日には気のいいKさんが退院し、28日には今も付き合いのある
Kさんが退院していった。
自分はというと、年末の外泊に向け検査に次ぐ検査。
しょうがないから年末だけは帰らせるか、といった感じで、着々と、事務的な
感じで事が済まされていった。
そうして、ようやく大晦日に、4ヶ月半振りに帰宅できることとなる。
そう、なかば強引に。
2005年は悪夢の様な一年になった。
そして2006年、さらにさらに、混迷と泥沼、痛みと苦しみの年明けとなる。
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