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+ 初びわ・・・ 日本民族の劣化には警察規制強化で手当てすべし。

2008年06月07日 21時55分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 

 

 目白らと 結びし枇杷の 香りかな   


         馬糞 Bafun  

 

 

 

 

 

 

 

 

  黄色く輝いていた琵琶が、あれっ、ない!

 メジロに代わって枝に止まるようになった鳥がいた。

 

 こら~っ、カラス!

 

 なんということだろう。

 カラスのゴロゾウが外側の熟れた枇杷から食べていたのだ。

 

 枇杷と言っても、店に売っている立派なものとは違う。

 鶉の卵のような小さな実である。

 

 しかし、その香りの高さ、味の上品さ!

 そこに目をつけていたゴザエモンの目利きも流石だが、枇杷にカラス

は似合わない。

 

 

 カラスに突かれて、もいだ枇杷の味は絶品というべきものだった。

 

 

 

 

 

 

 初枇杷を 目付け烏に さらわれて 

      馬糞 Bafun   

 

 

 

 

 だからと言って、世の中は食うか食われるかなどとは思わない。

 ああ、おいしい枇杷だった。

 烏のおかげで、食べ頃を教えてもらった。

 

 また、厳しい夏になる。

 せっせと、水遣りをしなければ。

 

 

 

 

マナー劣悪社会には、教育再生と警察規制強化を

 

■ 日本民族のマナー劣化には、教育建て直しと警察規制強化の両輪で。


■ 登録免許制の提案
  ① 自転車免許
  ② 喫煙免許
  ③ 民間警察・準警察業務免許

 


 博多は自転車交通が活用できる地形である。

 ところが、自転車をとめる場所がないので、自転車で買い物に行くこ

ともままならない。

 自転車で走ることはできても、とめてはいけないという街づくりが福岡

市によって推進されている。

 

 それも、駐輪マナーの悪さが祟っているともいえる。

 歩きタバコについても同様だ。

 喫煙そのものが迷惑と感じられるようになっているのだから、どこで

も吸ってよいというわけにはゆかない。

 そこで、タバコ一箱千円という制裁価格が提示されることになった。

 

 

 

 

 日本人のモラルの低下は、日本民族の恥というべきものである。

 他人の迷惑を顧みない結果、禁止されざるを得なくなる。

 こうした民族の劣化という状況をみれば、警察規制の強化は必然で

ある。

 そうであれば、法の整備と、監視と罰則もまた強化すべきである。

 こうした取り締まり規制の監視と取締りは、民間警察(警備会社)に

委託してもよい。

 

 ただし、駐輪の便利は無料にすべきである。

 十分な駐輪スペースを道路沿いに確保指定するべきである。

 その上で、ルールに反する駐輪については、即時撤去、制裁金を科

しても納得できるであろう。

 また、自転車は、原則車道を通行することになっているが、実際は、

あいまいだ。

 車道を右側通行で走る自転車はきわめて迷惑かつ危険である。

 

 こうした、自転車交通ルールも明示して指導する必要がある。

 

 このような警察規制を強化するためにも、自転車免許、タバコ免許な

どを義務化し、写真つきの証明書で責任所在を明確にさせるべきでは

ないか。

 

 モラルの低下を嘆くだけではいけない。

 残念ながらであっても、取締り強化の警察力を断行するべきであるの

だ。

 警備保障会社の準警察教育もまた、国家資格にして、法整備するべ

きであろう。

 

 教育の建て直しと警察規制の強化とは、当分、両輪で補うべきマナー

劣悪社会の不可避の対策である。

 

                             梅士 Baishi                   

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

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+ ベニシジミ・・・ 憂鬱を排除せよ。人は所詮未熟な入門者である。

2008年06月07日 08時26分55秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  花の香を   蝶の   小さな風にして

    馬糞 Bafun   

 

 

 

 

 

 

 ベニシジミは小さい蝶だが、紅色があでやかで、はっとする。

 その紅色の羽は、花の香りを小さな風にして舞っている。

 花と蝶とは別物ではないかのようである。

 花の思いが蝶になって春風を舞っているのではないか。

 

 蝶よ花よと、楽しんで山野を歩ける健康に感謝である。

 

 

 

※ 「蝶のいろいろ」
   http://www.mitomori.co.jp/tyou/tyou_itiran2.html

 

 

 

 

 

 

 アルバムの   春野にあそび   紅シジミ 

  馬糞 Bafun   

 

 

 

 

 変化してやまないこの世のことである。

 その蝶も花も、この世にはあるまい。

 あの犬も、あの猫も、心楽しませてくれた生き物たちも、この世を去っ

て久しいことである。

 

 しかし、あの世は永遠の世界である。

 転生輪廻はあるが、変化とは永遠の命の営みであると知ればむなし

くはない。

 その花も蝶も、犬も猫も、あの世に楽しそうに暮らしている。

  

 アルバムの世界は、単なる過去ではない。

 あの世のリアリズムでもある。

 人は、あの世を知ることによって、心豊かに生きることができる。

 この世の死の直前までも努力してやまない生きがいを追求できるの

である。

 

 信じることのできない心の貧しさを恥じるべきであろう。

 その空想力、創造力は、この世のものではないのである。

 

 しかし、地獄もまた身近にあることを恐れよ。

 すでに心に巣くっている地獄世界を恐れるべきである。

 ネット社会の闇もまた、地獄人間たちの作り出した闇であるのだ。

 

 自分の心に花は咲いているか、蝶は舞っているか、犬がうれしそう

にかけているか、鳥たちが囀っているか、魚たちが生き生きと泳いでい

るか、自分の心が天国であるか地獄であるかを常に思うべきである。

 

 

        

 

 

 

 

 風の神 蝶に画きたる 花景色 

   
    馬糞 Bafun   

 

 

 

 

 

憂鬱を排除せよ、人間は所詮未熟である

 

  蝶は花の精なのだという。

 蝶よ花よと言う言葉もあるが、咲く花と舞う花のようである。

 蝶も花も、風の神が画いた花景色であることよと思う。

 どの花も、喜びにあふれて咲いている。

 

 試練がなければ育たないであろうが、その努力は憂鬱ではない。

 人はなぜ、憂鬱になる人があるのだろうか。

 この世の花として生まれているのに。

 その花も、やがては色あせて枯れる。

 しかし、それは、命の終わりではない。

 花の命が、抜けていった跡である。

 

 人が憂鬱になるのは、罪を犯した自責の念であろうか。

 人は、時として恥ずべきことを行う。

 それに気づいたときは、いたたまれない気持ちになるのではないか。

 それが、憂鬱なのではないか。

 

 しかし、所詮、人は不恰好なのだ。

 未熟にバスケットをするように、未熟にバレーをするように、未熟に

水泳をするように。

 いかにもちぐはぐで、不恰好である。

 

 人の罪もそのようなものなのではないか。

 すなわち、入門者の未熟なのである。

 神のごとく成長したいと願う人間の未熟なのではないか。

 

 その結果、職を失い、生活にも困ることがあったとしても、

 人を傷つけ、牢につながれ、世間の非難を浴びることがあったとしても、

 それでも、神を目指す入門者の未熟なのではないか。

 

 そう思えば、素直に反省して、鍛錬を積むほかはないのである。

 

 人はおおむね未熟である。

 不恰好であり、無様であり、恥ずべきである。

 

 しかし、憂鬱になることはない。

 素直に反省し、心機一転、人一倍努力すればよいのだ。

 

 心地よく疲れ、満足げに、この世を去りたいものである。

 

                               梅士 Baishi                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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