秋無常 ある日の花は 山の萩
梅士 Baishi
今日は雨に濡れながら、年末の買い物をした。
帰郷列車の乗車券、レンタカーの手配、ロシア帽子、正月用の下
駄、蜜柑、大根葉の漬物、コチと鯛の刺身、長ネギ、春菊・・・である。
これでおしまい。
今年せっかく買ったのに使わなかったものは、ウクレレだった。
ハワインアンコア単板仕様の高級品だったが、コードを覚えるのが
面倒だった。
いつかはフラダンスの伴奏をしたいものだが・・・。
三島由紀夫の短編全集もまだ読んでいない。
ジョギングシューズは一回履いただけだった。
今日は雨宿りついでに自分の下駄をつくづくと眺めた。
長崎桐下駄、一枚板を削った立派なものだった。
もうずいぶん歯がすり減ったが、これでバンコクやアユタヤを歩き
回ってずいぶん人気を博したものだった。
そんな歴史が刻まれている。
食生活は肉食が増え、魚や味噌汁やご飯を食べなくなっているという。
たしかに・・・。
下駄も雪駄も絶滅危惧種のように見なくなった。
これではいかんのではないか。
武道と共に、下駄を再興するべきである。
坂本竜馬は袴にブーツだったが、これからはズボンに白足袋と下駄
というのがビジネスマンのスタイルでありたい。
すると、街中に下駄の歯音がしてリズミカルで景気が良くなるので
はないか。
幸福実現党の街頭演説も、下駄と袴でやるとよい。
釈量子も紺袴と高下駄で街宣するとPR効果があるだろう。
日本の再評価、神聖・日本の建国に関わる活動でもある。
ドクター・中松ほどの奇抜さがあってもよいのではないか。
馬印もいるな。
秀吉は千成瓢箪、家康は大扇子というように馬印がある。
幸福実現党もそういう度派手な馬印と応援歌を立てるとよいのだ。
美学がなければならない。
選挙は戦でもある。
そこにはジョークと美学があるべきなのだ。
和の伝統にはそうした美学があると思うがなあ・・・。
やっぱり、ドクター・中松は遊び心があって、クリエイティブだと思う
なあ。
【 選挙の最大争点 】
国難ということが分かっているのだろうか。
日本の独立があいまいなままに、中華人民共和国の植民地にな
る運命が確定しようとしているということなのだ。
それが、台湾併合、沖縄併合、そして日本占領という数年内に迫っ
ている事変である。
『ファイナル・ジャッジメント』という映画は娯楽映画ではない。
日本人へのファイナル・チャンスとしての警告である。
しかし、日本国民はマスコミにマインドコントロールされたまま、こ
の警告に気づかなかった。
神であるならば最後の警告はどのように発するだろうか。
天変地異以外にはないだろう。
私が神ならば、福岡の若杉山でさえも大噴火を起こしてやりたい。
誰も火山だとは思っていない山が、大活火山に変貌するのだ。
ちょっと親切すぎるだろうか。
しかし、阿蘇、九重のマグマを福岡に引っ張ってくることくらい簡単
なことだ。
なにしろ、九州もマグマの激流の中に浮かんでいるのだから。
あまり、神を冒涜するべきではない。
宗教を十派ひとからげに冒涜し、神の警告を嘲笑い、いかがわし
いことを「宗教のようだ」と嘲笑して憚らない無教養の輩を日本人だ
というべきではあるまい。
ファイナル・ジャッジメントは下らざるを得ないであろう。
かくまで猶予を与える神の心情は、ジャッジを下す実力を持つから
にほかなるまい。
いつでも下せるからである。
総裁の獅子吼は、最後の猶予であると思う。
日本防衛のための原発推進、核武装宣言
中国包囲網としてのTPP条約締結
独自防衛戦力構築のための軍需産業投資
中国の侵略におびえるアジア諸国の擁護宣言
獅子身中の虫、悪徳マスコミの駆除宣言
その決意が問われている。
マスコミ迎合か、反マスコミか、それが問われている。
亡国の諸「政党」か、救国の「諸派」かが問われている。
諸派とは、幸福実現党である。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党