クリスマス 若き父母など 思い出し
梅士 Baishi
今朝はクリスマスである。
朝八時になってもまだ薄暗い。
枕元になにかしら置いてあるような・・・。
床の中で、つい、「ぼくにもプレゼントをください」、とお願いした。
「何がほしい?」
「う~ん、チョコレート」
「チョコレートでいいのか?」
「はい」
窓越しの会話だった。
「あ~、でも煙突がないなあ・・・」
サンタクロースはぼやきながら通り過ぎて行った・・・。
そうかあ、煙突がなかったなあ・・・。
子供の頃は釜戸があったから煙突もあった。
でも、北欧のような大きな煙突ではない。
サンタクロースも宇宙人も入れそうにない細い煙突だった。
それでも、クリスマスの朝には、ぴかぴかのプレゼントが置いてあった。
嬉しそうな子供たちをもっと嬉しそうに眺めている父母の若い笑顔
を思い出す。
実は、それがサンタのプレゼントだったかもしれない。
【 民主主義イノベーションの課題 】
民主主義の定義は、リンカーンの演説に象徴される。
「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉である。
しかし、現代民主主義は本質的ではないように思う。
北朝鮮は「朝鮮人民民主主義共和国」である。
日本は、公務員社会主義とマスコミ独裁体制である。
選挙権があると言っても、情報はマスコミに支配され、いいように操
作されている。
これを国民による政治というのは、擬制である。
国民のための政治というのは、中国や朝鮮、公務員のための政治
に置き換えられている。
さて、それでも民主主義なのか。
民主主義の良いところは、「国民のための政治」という表題が付い
ていることだろう。
教育が上がってゆけば、国民もマスコミの支配を受けなくなるだろう。
しかし、会社は社長が経営するように、国家は大統領が経営をする
という現代的王政の原理は認めなければなるまい。
その王たる者に信仰がなく、神意を忖度することのない独裁政権
に劣化した時、それをどうイノベーションするかという安全装置が問
題なのである。
日本のように、王権が確立されないと衆愚制となり、マスコミのよう
な民間企業に支配されることも起こる。
国民のための政治は徳治政治である。
徳のある王が選ばれなければならない。
その王が不適切だったときは、失脚させられなければならない。
大統領制はそれに近いシステムかもしれないが、結局は宗教が政
治の根幹になければ、徳が担保されない。
そこに、大きな課題があるような気がする。
もう少し考えてみたい課題である。
『宗教立国の精神』、『政治と宗教の大統合』をよく読みこんでみた
いと思う。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党