初行脚 飯盛山の 藪を割り
梅士 Baishi
新春二日目の朝も穏やかに晴れている。
昨日は初行脚に標高356mの秘境、飯盛山の開拓行脚に
挑戦した。
桜餅三個しか食べていなかったせいもあって、体力を消耗
する5時間の厳しい行軍となった。
予定が狂って、とりあえず篠栗駅から歩き始めた。
とてもいい天気で、田圃道は心地よかった。
今は青いイヌフグリやルビーのようなホトケノザが絶好調
である。
彼岸花の葉が元気良く繁っている。
菜の花が咲き始めている。
このまま一気にあたたかな春になりそうないい感じである。
篠栗から樹芸の森に続く街道の入り口に龍泉寺(弘照院)
がある。
梅雨時の紫陽花が素晴らしい寺である。
その裏手の地蔵道に、「飯盛山登山口」という小さな標識
がある。
だれも登ろうとはしない閉ざされた登山口である。
ここから飯盛山に登頂しようという気分になった。
入口から竹藪に塞がれ、通せんぼの枝に行く手を塞がれる。
左手にピッケル、右手に龍の鉈を持って切り開きながら登
るつもりである。
ところが、鉈で竹藪を切り払い、シダをたたき切りながら
の難行苦行に、もう帰り道はないと覚悟した。
ところどころ道らしきものが開けるのだが、再び道筋が藪
に覆われてしまうのである。
鉈で枝を払うと言うのは簡単ではないことが分かった。
まして、竹を切り倒すなど無理だった。
藪には鎌、竹や灌木にはのこぎりが必要である。
武蔵なら一振りで切り払ったであろう生木の枝がなかなか
断ち切れない。
やがて頂上らしい形が見えた。
直登ルートをとることにした。
ものすごい急斜面はピッケルなしには登れなかった。
竹や灌木に塞がれた急斜面にピッケルを打ちながらよじ登
った。
頂上かとおもったら、また上り坂になった。
視界のない密林を尾根伝いに登っているらしい。
三つくらい頂上を越えたところに木を切り払った頂上広場
が現れた。
もちろん展望は全くない。
飯盛山356mというぶら下げ札に気が付いた。
それ以外に何の標識もなく、下山ルートもない。
下をのぞくと、切り落としの急斜面に木がびっしりと生え
ている。
ザイルでもない限り下降できそうもない。
できるだけゆるやかな斜面を選んで下降を続けた。
一体どこに着くのだろうか・・・。
写真を撮るどころではない難行苦行の急斜面に立ちふさが
る木や枝をたたき切っていいるうちに、ピッケルが折れてし
まった。
あらららら・・・。
足元には茨がからみついてきた。
とそのとき、車道が見えた。
やっとの思いで藪を抜けると、なじみの自然歩道に出た。
ホッとしつつも、既に4時間以上歩き続けている。
なじみの自然歩道を通って、篠栗に帰ることにした。
人里近い六角堂で一休み・・・。
博多の街がmade in CHAINAの大気汚染物質pm2.5にけ
ぶっている。
そのままま下までころころと転がって、チャポンとお湯に
つかったのだった。
わが旧暦元旦は、試練の初登頂となった。
ほとんどの人が登らない山だけに、猪しか知らないルート
になってしまった。
登山道を拓けなかったのは残念だったが、頑張ったと思う。
祝、生還!
【 フランスの国際漫画祭の反日 】
フランスのアングレームで開催されている「国際漫画祭」
で、韓国の「従軍慰安婦」の悲劇を訴える漫画展示に対抗し
た日本の漫画ブースが一方的に撤去され、排除されたと言う。
おそらくは主催者が韓国に買収されたのだろう。
フランスがコリアに買収されて反日国になったといっても
よい。
フランス国内で行われた国際問題であり、国家責任だから
である。
もともと、フランスはいけすかない国である。
狡猾な死の商人というイメージが強い。
自己顕示欲の強い欲深い国である。
英雄ジャンヌダルクを処刑した国でもある。
フランスは自由の国なんかではない。
フランス革命の残忍さから自由が生まれるはずもない。
むしろ、狂気と恐怖の政治を演出した。
「自由・博愛・平等」に象徴されるものはギロチンである。
無邪気な王妃だったと言われるマリーアントワネットを誣
告してまでギロチンにかけたのである。
フランス革命は最初の社会主義革命だったのではないかと
思う。
従軍慰安婦というコリアのあさましいでっち上げに関心を
持つ前に、フランスの血ぬられて狡猾な歴史に立ちつくすべ
きである。
フランスは、公式に謝罪して、国際漫画祭を中止するべき
であろう。
フランス語ができる人は、ただちに反論、批判を開始して
いただきたいと思うものである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党