節分も 大晦日と言い 福拾い
梅士 Baishi
今日は朝から晩まで10℃を越える暖かな節分となった。
節分は大晦日、立春は元旦なのだという。
新暦、旧暦の正月につづいて、立春元旦とは有り難い。
拾いものというか、まさに福をひらう節分であることよ。
寺や神社では豆まきで賑わったらしい。
勤め人にはなかなかキャッチしにくいのが豆まきである。
勤め帰りに立ち寄ったお櫛田さんには、勤め帰りのOLや今からお
勤めというお姉さんたち、それからチャイナ人も来ていた。
チャイナ人たちも、宗教を求めて来日するとよい。
イスラムの女性たちはベールを脱ぐために日本に来るとよいのだ。
日本は公務員社会主義の国であるが、比較的自由な国ではある。
宗教的な自由と、新しい世界宗教を求めて観光に来るとよいので
ある。
JTBも外国客を招くのに「信仰の自由を満喫する旅」として企画し
てはいかがか。
【 忍耐するべき実学とは何か 】
学生としての甘えもあるが、学生として学ぶことに辛抱できないで
辞めるという学生もいる。
「早く働きたいんです」というのである。
働くことは良いことだが、金にならない学問の時間に耐えるのが学
生の時期である。
役に立たない学校ならば時間の無駄であろうが、学生として、ある
意味抽象的論理の学習や、問題意識を持って思考するという学習
の時間は、人生を開拓する余白の時間でもある。
その余白の時間に耐えるということは、収入の時間を減らし、自立
を遅らせると言う意味では損失にも見えるが、人生の豊かさとは一見
無駄に思える時間によって生み出されるとも言える。
実学とは、人さまの役に立つ学問ということであるが、必ずしも金
儲けの損得では図られないものなのではないのか。
金をたんまり稼ぎ、子育ても終わり、一仕事終えたという人生はあ
る意味小市民的成功を収めたと言えるだろう。
良かったですねえ、という人生である。
しかし、人生の大義とは、どのような思想を学んだのかというところ
にもある。
生涯収入では図られない部分である。
文化人という生き方である。
清貧をよしとはしないが、実学をこの世的な成功で計られることに
も釈然とはしない。
学生時代はバカなことをしてすごした時期であっても、人生に大い
に豊かさをもたらすことがある。
ノウハウを求めて学校に来るべきではない。
学ぶということは遅々とした学習の時間に耐えるという体験である。
しかし、基礎学力が低下していることは大問題である。
学問への憧れを醸成するのが基礎教育の使命である。
その憧れが足りないのではないかと思える。
何かしら、子供たちの裾野が薄っぺらくなっていることに未来への
危機感を覚えるのである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党