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+ チャンポンの風景・・・ オリンピックのメダル獲得競争の弊害  アスリート育成の盲点

2015年06月05日 10時16分27秒 | 日本独立運動

 


 

 

   

 ちゃんぽんの  値段も同じ  つゆの湯気

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 昨日は梅雨の晴れ間だった。

 去年の今頃と同じように、ふらりとちゃんぽん屋に吸い込まれて、

いつものチャンポンを注文した。

 漫画家の先生に借りている手塚治虫のガロン①を読みながらチャ

ンポンの湯気を待った。

 

 汚い店だが、野菜たっぷりで旨いチャンポンである。

 物価高騰の折柄にもかかわらず、いまだに580円ぽっきりの値段

を維持している。

 梅雨時のチャンポンの湯気は蒸し暑く感じて足が向かないのだが、

食べたいものも思い浮かばず、ガロンを持って栄養満点のチャンポ

ンの席に着いたのだった。


 いつものように、大きなフライパンをカンカンとガスコンロに転がし

ながら手際よく仕上げて行くのである。

 毎日、同じ動作を繰り返しながら一人で、ごった返す客の注文をさ

ばいてゆく。

 そんな姿しか見ていないが、チャンポンの味と同じように、濃いくて

深い人生があるに違いない。



 


 

 

 

 東京オリンピックは、今年のリオのオリンピックから四年後のことで

あるが、すでに始まっているかのように躍動している。

 施設の問題もあるが、メダル対策にアスリート育成にも力が入って

いる。

 メダル獲得競争はオリンピックの正念場であり続けている。


 確かに、オリンピックといえば、メダル獲得に歓喜する。

 しかし、勝利至上主義によるスポーツの腐敗ががん細胞のように

広がってきた。

 その典型がドーピング問題である。


 ドーピングとは、努力によらず薬物等の効果を利用して運動能力

を高めようとする行為である。

 スポーツの精神に反する不正行為であり、生命健康に危害を及ぼ

す危険な行為として禁止されている。

 ただし、健康のために風邪薬を飲んでドーピング違反に問われた

ケースもある。

 

 しかし、他力に依存することを不正であるとは言えない。

 現代スポーツは選手のみの力で戦っているわけではないからであ

る。

 道具があり、支えるスポーツチームがあり、人為的なスポーツ環境

が支えてこその選手活動である。

 国力の差によっても大きなハンディーとなっている。


 飲み物、食べ物も、薬物との限界にはグレーゾーンがある。

 コーヒーはOKらしいのだが、カフェインの量にもよりけりである。

 こうした日常的摂取物についてまでドーピングを恐れなければなら

ないと言うのは行きすぎた規制である。


 本来ドーピングは巧妙に仕込まれる。

 人体の運動能力を高めるために、人口ヘモグロビンを注入した例

もある。

 その血液を遠心分離器にかけても分離せず、真っ赤なままなのだ

という。

 こうなるとサイボーグではないか。


 さらには遺伝子ドーピングの問題に発展してきている。

 これからは、薬物ドーピングは影を潜め、遺伝子ドーピングの時代

になるだろうと予測されている。

 人体改造の生命倫理が問われるケースである。

 確かに、スポーツエスパーを作って行くことがスポーツマンシップと

は別の合意事項となる時代が始まっているのかもしれない。

 これは、発展向上をめざす競争社会の宿命と言うべきかもしれない。


 しかし、正々堂々とした戦いを通して友情を生むスポーツマンシップ

や礼節の精神あってこそのスポーツ文化である。

 そうした、スポーツの神聖や潔い精神を教育することが大事なことな

のだ。








 こうした勝利至上主義の弊害は、アスリート育成事業にもある。

 国はもちろん、アスリート育成責任がある。

 スポーツは国家国民の基礎体力と健康を養う公的事業だからであ

る。

 しかし、今の考え方は、選手の使い捨て型育成なのである。

 いわば、養殖思想であるところに倫理的な問題がある。

 選手の引退後の仕事については無関心なのである。

 

 選手は二十代には大半引退を余儀なくされる。

 しかし、スポーツ人材として活用する職業化の仕組みはなく、一般

就職するにもその準備を犠牲にしてきているために活路がないので

ある。

 だから、フェンシングのようなマイナースポーツは特に、早期引退

が常識である。

 アスリートスポーツを委縮させている原因が、メダル獲得までの使

い捨て思想にあるということである。


 所詮、スポーツは趣味娯楽にすぎないと言うのが、官僚の本音で

ある。

 だから、予算も組まないし、スポーツギャンブルの上りで賄えば良

いとして、サッカーくじや野球くじで手当てするのである。

 

 こうした、スポーツ文化への蔑視、医療重視の姿勢が改まらない

限り、オリンピックも国家的商売の域を出ないであろうし、スポーツ

基本法もまやかし法という評価が確定するであろう。

 アスリートスポーツが天狗仙人を主役とするものであるとしても、

それは、勝利至上主義の反映だともいえる。

 

 彼らもまた、スポーツにおける愛の思想というべき武士道精神な

いし、スポーツマンシップを学ぶべくして修行しているのだ。

 愛を伴わない強さは偽物である。

 強さを伴わない愛もまた偽物である。

 スポーツ文化には、愛と教育が肝要である。

 目先の勝利に走るのではなく、優れた人材を育てなければなら

ない。

 

 体育教育の形骸化にも現れているこうしたスポーツ軽視の軽率

は反省されるべきである。

 武士道精神を忘れて久しい日本であれば、なおさらであろう。


 高齢化社会にあっては、元気に朗らかに死ぬというスポーツマ

ンシップにのっとった人生観が幸福な最期をもたらすに違いない。

 関係者の反省を求める。 

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         幸福実現党応援隊・ 梅士党  

 

          

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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