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+ キキョウの夏・・・ デール・カーネギーに学ぶ感情の大切さ  感情への配慮と礼の心得  冒涜の罪

2015年06月13日 07時56分19秒 | 日本独立運動


 

 

   

 紫の  桔梗も梅雨の  傘さして 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 桔梗と言えば秋を思い浮かべるが、夏の花である。

 野には桔梗草が咲いていたが、それも終わったであろう。

 庭園には本桔梗が咲いている。

 庭園も、8月はおやすみになり、見るべき花もない。

 夏は、一年の後半である。


 さて、今日は土曜出勤である。

 教材であるデール・カーネギーは良い反省材料となった。

 つまり、人間関係は理論ではなく、感情で動くというのである。

 他人に対して、感情よりも論理を要求し、自尊心よりも正義を

要求してきたのだった。

 しかし、何より自分も感情で動いていたのではないかとも思う。


 感情で動くと言うことを認めるのは自尊心を害される思いが

するが、それがすなわち感情なのである。

 確かに、感情とは魂の表面にあって、魂の姿でもある。

 内面が豊かであれば、感情もそれほど波立たないが、小石を

投げいれただけで波立つ性質もまた持っている。


 感情といものを軽視してはならないのだと思う。

 恐怖、猜疑、怒り、嫉妬、不安、好き嫌い、安らぎ・・・、これは

感情の景色であろう。

 魂を波立たせては、人間関係がうまくつながらないというのは

理屈でもある。

 

 営業の心得として訓練されてきたことであったが、営業から離

れて、批判精神の論理思考を中心にしている内に、感情への

配慮を見失っていたかもしれない。

 批判精神は発展には欠かせない要素であるが、人間関係は

論理では動かないということである。


 政治の世界にも、これが見失われがちになっているように思

われる。

 フェアプレイの精神であり、スポーツマンシップの部分である。

 人は、感情を波立たせたくはないものだ。

 穏やかでありたいと願うものだ。

 それが、他人への配慮であり、礼儀でもあろう。


 感情というものは、自他共に厄介なものである。

 しかし、荒れた風景に接するのは辛い。

 穏やかな風景には安らぎがある。

 感情のない人間は怖い。


 そうしてみると、感情は、軽蔑すべきものではなく、他人に対

する柔軟さであり、味わいでもある。

 人の景色としての感情を大切にすることは、礼の心得である。 

 

 



 

 

 親を冒涜する者は子を冒涜するものであり、神を冒涜する者

は人を冒涜するものである。

 国を冒涜する者は、神を冒涜するものであり、国民を冒涜す

るものである。

 神仏を無視するほどの神仏への冒涜はあるまい。

 

 神を冒涜し、日本を冒涜する者たちよ、ずいぶんと愚かなこ

とであった。

 その言動は愛から出たものではなく、自己保身と神に取って

代わろうとする野望から出たことであろう。

 抹殺されるべき者たちに対して、その罪を明らかにすることは、

せめてもの礼儀であろう。

 そのようなわけである。 

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         幸福実現党応援隊・ 梅士党  

 

          

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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