花道を 花雪に染め 花吹雪
梅士 Baishi
春爛漫を演出した桜だったが、昨夜の雨風に打たれて、
雪のように花道に降り積もっている。
なんともあっけないことである。
大濠の西公園も海ノ中道公園も、東長寺の桜も、降り
積もったことであろう。
その花吹雪に心打たれるのは、この世を去るべき時な
のではないか。
花見は散る前にするものである。
昨日の日曜日が最後の花見となったであろう。
もはや花の感傷にふけっている場合ではない。
会社では新人たちの四月が始まっている。
不慣れではあるが勢いがある。
新鮮である。
それがいい。
それにしても、周りの男たちが陰気で弱弱しいのが増
えて嫌気がさす。
職場で大きな声でしゃべるのは職場のマナーだが、大
きな声でしゃべっているのは女と昔の男だけである。
男たちは、ひそひそと小さな声でしゃべるのである。
女にはそれが心地よいのだろうか・・・。
ささやく者の恋は成就しないというのだがなあ。
女のマネジメントは男を一層矮小化し、陰湿にしている
のかもしれない。
気を付けることだ。
公務員半減、地方自治の廃止、消費税廃止、税体系
の単純化、福祉予算の半減、金融自由化と国家保証制
度、医療保険の上限設定、日本軍再編、日本独立宣言、
それぞれについて、態度を明確にしてほしい。
それが国民選挙に対する、各候補と政党の説明責任
である。
選挙に対するマスコミ特権を認め、政治表現の自由と
いう民主主義の根幹を規制する公職選挙制度を改めな
いというのなら、もはや自由民主主義はないというべきで
あろう。
それが、自民党政権の体質でもある。
もちろん、左翼政権ほどの亡国政治よりはましだが、
それでは政治の正義が通らない。
もはや、神々も、今度の選挙に期待してはいないであ
ろう。
神々の意思表示は、幸福の科学によっても国民には
伝わらないのであるから、天地を揺るがすほかないので
はないか。
それを短慮とは言わないであろう。
神々の明確な意思表示を求めたい。
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党