ウンランの 春霞立つ 野を隔て
梅士 Baishi
淡い紫の妖精の花を春霞のように初夏の野に群生
させるマツバウンランの花畑は幻想的である。
毎年、五月の連休に訪れていた雲仙の草原を見る
のが楽しみだった。
草藤の曲りに立ち寄り、ウンランの野にほっとして
宿に入るのだった。
母を連れてゆく習わしだった。
その母も年老いて、長崎を引き払った。
長崎の実家がなくなった。
いずれ去るべき仮の世のことではある。
長崎が遠くなった。
九州を震撼させている熊本大分群発地震は4日目
を迎えて沈静化しつつある。
と言っても、熊本では震度3~4の地震が快速電車
の本数並みに群発し続けている。
このまます~っと終わりにしてよいものではあるまい。
阿蘇、九重、由布の火山こそは、神々の怒りを天下
に示すであろう。
道路も鉄道も、寸断されて容易に復旧しない状況で
あるが、日本の正念場を知らしめるには至っていない。
神の沽券にかけても、中途半端に終わらせるわけに
はゆくまい。
モーセの十戒も、神の怒りが不信仰なる民に下さ
れた神話である。
神話とは架空のフィクションなのではない。
語り継がれるべき神との遭遇である。
実際、現代日本は神話となるべき歴史の中にある。
愚かにも、人々は神を侮辱してやまない。
今、人々の罪と神の辛抱が綴られているところであ
るが、神々の怒りは決定的となっている。
人類にとって、不信仰の罪ほど重い罪はない。
キリストの十二使徒でさえ、その不信仰の罪を後世
に残したのだ。
現代のクリスチャンもまた、救世主の現在を信じな
い罪を踏襲している。
戦後71年の日本の不信仰と神々への冒涜をよくよく
反省するべきである。
神を教育から排除し、経済から排除し、政治からも
排除してきたのである。
幸福実現党は神々が作った政党であるにもかかわ
らず、マスコミは結託して情報を遮断する暴挙にでて
いる。
最大の天罰、それは電気を止めることであろう。
補助電源を充実するというのが対策なのか。
電源を切れば立ち行かなくなる国家であるならば、
なんと脆弱な文明であることか。
すでに信仰なき暗闇を物理的に知るがよい。
しかし、停電国家を襲うのは単なる闇ばかりではない。
隣国にもいる。
朝鮮とチャイナである。
そのことも考えて、ライフラインの地域分散を進める
必要がある。
リサイクル型小型原子力発電装置を置くことだ。
放射線を最後まで使い切るリサイクル発電を開発
して、早急に配置することだ。
リサイクルの必要な核廃棄物を燃料にできる発電
所は新しいビジネスにもなるだろう。
やると言えばよいのだ。
これに反対するマスコミは報道の分際を越えている
のだから、国会に喚問して、徹底的にその言論責任を
追及するべきである。
これは恐怖政治ではなく、責任民主主義の正論で
ある。
神々の政党、幸福実現党に委ねたい。
神々の政党というに恥じない働きをしてほしい。
内弁慶では困るのである。
分身を多く作って、街頭に立つべきである。
旗をもって立つだけでも良いではないか。
幸福実現党を世に知らしめよ。
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党