盆の日に 本仏を置く 場を浄め
中村 梅士 Baishi
待ち人来たらず、台風も来たらず、盆の中元にそわそ
わとして掃除を始めた。
掃除と言うのはいい室内運動になるのだ。
それに、穢れを祓う修行にもなる。
長年積み上げていた幸福の科学初期の頃からのご講演
カセットやビデオなどをお蔵入りにして片づけた。
ダンボ―ル箱4個分にもなった。
本仏を置く祭壇の安置場所も浄めて場を整えた。
それだけで、5時間はかかっただろう。
再び祭壇に光が点ったような神聖さが戻ってきた。
亡き父や叔父、叔母にも良い供養となったであろう。
心のもやもやがすっきりと晴れたようだった。
客人を泊める余裕もない狭苦しい住宅だが、不満に思
うことはなかった。
客人はホテルに泊めればよいのだ。
分際相応の住まいであり、邸宅に住んでいる人をうら
やましいと思ったこともない。
あの世に還れば、邸宅に住もうと思えばそのような霊
界に住めるであろう。
しかし、あの世に還っても、邸宅の主になりたいとは
思わない。
祭壇を置く神聖な空間にいられるだけで満足である。
今日は長年気になりつつも放置してきた「雑然」を掃
き清めることができた。
よい盆となった。
鐘があれば、ご~~~んと鳴らしたいくらいである。
母の誕生日だがまだお祝いは言っていない。
終戦記念日が誕生日とは、覚えやすい。
戦争の悲惨を目の前で見てきた母は天皇を嫌った。
責任を取らなかったということもあるだろう。
父は、戦後にシベリア抑留されたのだ。
国が敗戦によって滅亡するということは、戦ってきた
国民にとってはなんともやるせないことであろう。
同じ国名で形骸の天皇を残してサンフランシスコ条約
とやらで統治権を回復したとはいえ、そんな統治権力に
わが祖国と思えるはずもない。
むしろ、恨み心が残るのもやむをえないのではないか。
だから、戦中派の高齢者が反日的になるのは仕方のな
い所があるのだ。
しかし、戦後の日本人としては、国が滅亡したのであ
れば再興したい。
再び戦前の日本に恥じない気概を持った国民として、
独立国家日本を再興したいではないか。
それが、日本を守って戦場に散った軍人への義理でも
あるだろう。
母は、長々とお祈りをするクリスチャンであるが、幸
福の科学の影響で、あの世は信じている。
それだけでも十分だ。
先祖の霊よ、迷いし霊があるならば、悪口憎言、不平
不満、足ることを知らない欲望、ねたみや嫉妬、信仰の
不足を反省して、光を受け入れてください。
神の前に、正々堂々と潔く、他人の喜びを喜びとして
生きるのが人間の幸せであるはずですから。
祈願
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party