初梅や めじろ歌いし やふに咲き
中村 梅士 Baishi
昨日は仕事始めだったので登城初詣をと思ったが、会
社関係者の長蛇の列だった。
日本人は縁起というものは大事にするらしい。
初講義はいささか脱線が多かった。
単純に見える論理でも、そこに至る因果関係は単純で
はない。
「スポーツは国民を一つにする求心力である。多民族
国家アメリカのアイデンティティーは、コンカッション
のリスクを冒してでも燃えるアメフトである。では日本
はどうか。」
「相撲です」
「最近それも怪しくなってきたが、その歴史は三万年
前に遡るらしいのである・・・」
で、身長25mの関取型宇宙人が登場するのである。
特に歴史の理解は重要である。
日本の場合は、戦後の植民国家の歴史が大きな歪を遺
しているのである。
本来はという部分が、日本が独立国家として成熟して
きた数千年の歴史である。
帰り道、そういえば、初梅探しをしていなかったと気
づいて、公園の梅林を目指した。
まだ咲いていないだろうと思っていた。
ところが、遠目にもちらほらと白い花が見える。
早咲きの梅が初梅の花を咲かせていたのだ。
もはや初春である。
学生たちに愛国心について問いかけた。
愛国心はあるという。
しかし、特攻にはゆきたくないと。
もっとも、ゆきたくても飛行機を操縦できないから行
けないのではあるが。
2017年9月出版の大川隆法著に『自分の国は自分で守
れ』という政治改革論が出されているが、あえてそれを
言わなければならないほど、日本には主権意識が失われ
ているということでもある。
国民主権主義とは、国民が国家に責任を持つという事
であり、国防責任の所在であることを意味する。
国から補助金をもらう権利などではないのである。
それが戦後、奪う愛の民主主義に堕落したのである。
教育が悪すぎるのだ。
日本は未だに敗戦の卑屈と不条理を引きずっている。
日本弱体化の占領政策として、宗教教育の禁止、武道
教育の禁止、共産主義の導入が行われ、それが教育に色
濃く残っているのである。
特に共産主義者が生き残れる道は、公務員と学校教育、
そしてマスコミである。
幸福の科学総裁の憲法試案には、この憲法の発布をも
って、日本国憲法を廃止するとある。
新憲法の発布である。
革命の精神を学ぶべきである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party