夏なれば ウォーター・ロックで ジャズを聴き
中村 梅士 Baishi
初めて心臓調査に出かけた。
ここも予約制ではなかったので、朝一でと思ったが、何
やかやが不手際で受付したのは9時半過ぎだった。
医師は院長一人のこじんまりとしたクリニックだったが、
スタッフも含めてベテランで回しているという印象だった。
体重、血圧、胸部レントゲン、問診、触診、検尿、採血
検査、心電図、エコー検査と、検査のフルコースだった。
それぞれに詳細な説明があった。
心電図を見て一発で「心房除細動」という診断だった。
悪くすると血栓を起こすこともあるという。
要するに心臓の一部に肥大傾向がみられるのが除細動の
原因だろうということだった。
ピンピンコロリの仕掛けと思えば、悪いことではない。
自覚症状もなく、ジョギングで死にそうなこともない。
元気に死ねれば言うことはない。
まあ、立派な心臓だった。
今日はマンツーマンの補講ゼミをした。
コロナに罹って本試験を受けられなかった学生のための
追試対策である。
ドーピングの実質的違法性というべき考案ができていな
かったところから、フェアネスをどう守るかという論理で
ある。
ドーピングの実質的違法性は、トレーニングの成果を偽
装する卑怯さにある。
見つからなければ不正をしてでも勝つというのがドーピ
ングの価値観である。
それで、手品のようなドーピング隠しから、遺伝子ドー
ピングまで、隠す技術が巧妙化している。
これではアンチドーピングの検査体制を強化したところ
で追いつけないし、それ自体が選手のプライバシーないし
尊厳性を侵害しているのではないか、という問題が出てく
る。
結局、フェアネスは、教育の問題なのだ。
しかも、信仰なくしては成り立たないのがフェアネスで
ある。
神の目からは隠れようがないのであり、恥ずべき行為だ
からである。
武士道もそこからきている。
信仰がないということがいかに信用のない人間であるか
を示しているのである。
そのことを、論理として考えてもらう授業だった。
スポーツのフェアネスも危機に立っている。
それは、スポーツから信仰が失われつつあるからだ。
今、宇宙的救世主が現れ、幸福の科学を主催して信仰の
危機から人類を救済しようとしている。
信仰とは、私利私欲を超えたフェアネスと言ってもよい
のである。
それが信仰の入門であろう。
アメリカを乗っ取ったディープステート(ユダヤ金融資
本独裁制)のようになってはならないし、中共のようにな
ってはいけない。
そこには、明らかに信仰によるフェアネスが成り立って
いないからである。
人間の幸福とは、信仰によって成り立つのである。
神仏に恥じない生き方を修行するべきである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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