白梅の 風にまじりて 散る花は
春に敷きたる 白雪の花
梅士 Baishi
建国記念日の今日、風の冷たい一日だった。
日中の気温も5℃くらいだったろう。
天神の駅前では時代錯誤かと思えるほど相も変らぬ共産党の
亡国勢力が街頭演説をやっていた。
建国記念日に反原発をやることに意味があったのだろう。
すなわち、亡国運動である。
「福島の被爆牛を殺せなくて、売れないままにそのまま育てて
いるんです・・・。あまりにもかわいそうではありませんか。」
被爆って、自分もこの間被爆したばかりなんですけど・・・。
もっとも肺臓のレントゲン記念写真ではあるが、被爆した。
福島の牛よりも被爆線量は多かったのではないか。
しかし、元気な肺臓がにこにこと笑顔で写っていたぞ。
詐欺のようなお涙頂戴風の古臭いアジ演説をいまだにやって
いる共産党青年が愚かしく、不快であった。
他方で、みっともなくビルの柱にしゃがみ込んでケイタイしてい
る青年をみても、これでも日本人なのかと不快に思う。
建国記念日に日の丸を見ることもなかったが、愛国心のない商
店街で買い物などしたくもない。
と言いつつも、幸福の科学出版の新刊『恋愛学』と『日本国憲
法論』を購入したのだが・・・。
スローに走りながら通り過ぎた梅の花は早散り始めていた。
白い息を吐きながら、もう、冬が散り始めているんだなあと、何
かしら切なく思えたことである。
散る花は、体系的廃棄というイノベーションでもある。
決別しつつ、心機一転、新しい人生を始めたいものである。
【 貧困は子供を死なせ、不景気は堕胎する 】
江戸時代の人口はほぼ3000万人にとどまったと言う。
鎖国経済はデフレ経済であり、貧困で不景気である。
堕胎以上に、生まれてからの間引きが多かったのだろう。
現代は貧困とは言えないが、若気の至りという貧乏が堕胎に
走る。
若気の至りでも何でも、子宝には違いない。
若気の至りを推進しているのが現代の学校教育の退廃でもあ
ろう。
ならば、若気の至りを裏返して、おめでたいことにすればよい
のだ。
若気の至りというのはある意味神仕組みである。
至りたれば責任をとるということを少子化時代の新しい倫理に
すればよい。
できちゃった婚を祝福してあげたい。
そんなことが身近にも起こっていることでもある。
これも新しい国づくりといえなくもないではないか。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党