すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 蛙を聞かず・・・ 亡国運動の主体は公務員であるという実態を明らかにせよ!

2015年06月14日 09時20分23秒 | 日本独立運動


 

 

   

 蛙さえ  鳴かぬ雨かな  田の遠く 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 六月も中旬になると、梅雨とはいっても蒸し暑く、さすがに

気温が上がる。

 今年も蛍を見ることなく、終わりそうである。

 蛍どころか、田の蛙の賑わいも遠い世界のことである。

 青ガエルのポン吉をペットにしていたこともあるというの

に・・・。

 田んぼが都にも思えることである。


 環境左翼に与するわけではないが、四季の自然を見失う

ようでは、人間中心の都市計画ともいえないのである。

 公務員の事なかれ主義、先例主義はコンクリートの護岸

工事と同じで死の町を広げるばかりである。

 公務員発想の街づくりが、生命の住み着く隙間のない窒息

社会の闇を広げている。


 コンクリートとアスファルトで塗り固められた都市では、土は

窒息し、街路樹も苦しそうである。

 それで、都市部を直下型地震で破壊したくなるのである。

 公務員の既得権益を破壊するためには庁舎ごとせん滅す

るほかないのであれば、そうせざるを得なかろう。


 反日左翼・反戦運動の参加者をつぶさに調べてみよ。

 それがマスコミの仕事ではないか。

 大半は公務員関係者であるはずだ。

 公務員によって亡国運動が推進されているということである。

 公務員が増殖しすぎたのである。







 反日左翼型公務員制度に革命を起こさなければならない。

 なぜ、共産党が財政的に潤沢であるかと言うと、党員・支持

者が公務員だからである。

 市場原理の外にあって、増税体質を進め、公務員貴族制度

を護る公務員労組の政党として潤っていると見て間違いなか

ろう。

 共産党の責任追及は、同時に公務員社会主義への政治責

任追及でなければならないということである。


 本来、公務員を必要とするのは、軍隊、治安警察、消防、裁

判所のほかは、高度情報産業としての行政専門職だけである。

 それ以外は、知能ロボットと企業委託で十分である。

 組織再編するだけのことである。


 厚生労働省などいらぬことだ。

 文科省もいらない。

 白書をつくるのに、公務員でなければならない理由はない。

 予算を取って、民間に委託すればもっとわかりやすい報告

書が作れるだろう。

 同時に、公務員不経済白書も作ってくれるだろう。


 日本独立のためにやらなければならないことは公務員社会

主義体制の転覆にほかならない。

 いわば、シロアリの巣窟になって日本の屋台骨を空洞化し

ているのである。

 おぞましい光景である。


 公務員社会主義の巣窟と化した日本の行政組織は、もは

や防虫処理を施して挿げ替えるほかあるまい。

 これが、国防問題の本質でもあるのだ。

 内閣でこれができないのであれば、革命か、壊滅的な天変

地異しかあるまい。


 その直後、NHKと地方自治体の解散命令を発することだ。

 続いて、日本独立宣言と、「日本国憲法」無効宣言を発すこ

とである。

 革命は、覚悟を持った宣言に始まる。


 人為的な革命は禍根を残す。

 天変地異の力を借りるのがよかろうと思う。

 

  

      立憲女王国・神聖九州やまとの国

        幸福実現党応援隊・ 梅士党  

 

          

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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+ キキョウの夏・・・ デール・カーネギーに学ぶ感情の大切さ  感情への配慮と礼の心得  冒涜の罪

2015年06月13日 07時56分19秒 | 日本独立運動


 

 

   

 紫の  桔梗も梅雨の  傘さして 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 桔梗と言えば秋を思い浮かべるが、夏の花である。

 野には桔梗草が咲いていたが、それも終わったであろう。

 庭園には本桔梗が咲いている。

 庭園も、8月はおやすみになり、見るべき花もない。

 夏は、一年の後半である。


 さて、今日は土曜出勤である。

 教材であるデール・カーネギーは良い反省材料となった。

 つまり、人間関係は理論ではなく、感情で動くというのである。

 他人に対して、感情よりも論理を要求し、自尊心よりも正義を

要求してきたのだった。

 しかし、何より自分も感情で動いていたのではないかとも思う。


 感情で動くと言うことを認めるのは自尊心を害される思いが

するが、それがすなわち感情なのである。

 確かに、感情とは魂の表面にあって、魂の姿でもある。

 内面が豊かであれば、感情もそれほど波立たないが、小石を

投げいれただけで波立つ性質もまた持っている。


 感情といものを軽視してはならないのだと思う。

 恐怖、猜疑、怒り、嫉妬、不安、好き嫌い、安らぎ・・・、これは

感情の景色であろう。

 魂を波立たせては、人間関係がうまくつながらないというのは

理屈でもある。

 

 営業の心得として訓練されてきたことであったが、営業から離

れて、批判精神の論理思考を中心にしている内に、感情への

配慮を見失っていたかもしれない。

 批判精神は発展には欠かせない要素であるが、人間関係は

論理では動かないということである。


 政治の世界にも、これが見失われがちになっているように思

われる。

 フェアプレイの精神であり、スポーツマンシップの部分である。

 人は、感情を波立たせたくはないものだ。

 穏やかでありたいと願うものだ。

 それが、他人への配慮であり、礼儀でもあろう。


 感情というものは、自他共に厄介なものである。

 しかし、荒れた風景に接するのは辛い。

 穏やかな風景には安らぎがある。

 感情のない人間は怖い。


 そうしてみると、感情は、軽蔑すべきものではなく、他人に対

する柔軟さであり、味わいでもある。

 人の景色としての感情を大切にすることは、礼の心得である。 

 

 



 

 

 親を冒涜する者は子を冒涜するものであり、神を冒涜する者

は人を冒涜するものである。

 国を冒涜する者は、神を冒涜するものであり、国民を冒涜す

るものである。

 神仏を無視するほどの神仏への冒涜はあるまい。

 

 神を冒涜し、日本を冒涜する者たちよ、ずいぶんと愚かなこ

とであった。

 その言動は愛から出たものではなく、自己保身と神に取って

代わろうとする野望から出たことであろう。

 抹殺されるべき者たちに対して、その罪を明らかにすることは、

せめてもの礼儀であろう。

 そのようなわけである。 

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         幸福実現党応援隊・ 梅士党  

 

          

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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+ 太陽の法の思いで・・・ 大震災予兆リーディング  大日孁貴神の警告

2015年06月12日 14時51分55秒 | 日本独立運動


 

 

   

 太陽の  法を開きし  梅雨の頃 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 初めて幸福の科学の書を手に取ったのは1988年の冬だっ

たろうか。

 一カ月ほどで当時出版されていた書籍全てを読み、居ても

立ってもいられず上京して西荻窪を訪ねたのだった。

 休日でだれとも会えずに終わったが、その秋には誌友会員

となり、翌年には正会員として認定された。

 

 『太陽の法』を読んだのは薄暗い梅雨の季節だったように

思う。

 自分の認識がビッグバンのように広がり、文明の栄枯盛衰

を走馬灯のように追ったのだった。

 第一回東京ドーム講演会は、「悟りの極地とは何か」という

激しいメッセージだった。

 茫然として、その場に泣き崩れたことを思い出す。

 トゥワイスボーンの体験であった。


 それから25年以上がたつ。

 この世離れした人生観を立て直すことにしたが、自分が縮

小してしまった感じがする。

 いかにこの世を去るべきかという課題に直面して、現状維

持の茹蛙状態であることに危機感を感じている。

 まずは、鍋の外に飛び出さねばなるまい。







 『大震災予兆リーディング』を早速購読した。

 小笠原沖地震の原因関係として、環太平洋の天変地異を

も司るという大日孁貴神(オオヒルメノムチノカミ)が登場した。

 今年5月30日に発生した小笠原沖地震の震源は観測史上

最深の深さ68万2千メートル、マグネチュードは8.1という日本

列島を揺るがす地震だったと言う。


 売国奴がのさばる今の日本の状況に対する神々の怒りが

爆発しそうな段階に来ていることを警告しておられた。

 それは、良識のある愛国者に共通の感情であろう。

 自分としては、もう、いつでもよいと思う。

 マスコミは当然、官僚も政府も国民も、とうてい幸福の科学

の警告を受け止める心境にはないし、むしろ嘲笑ってもいる。

 

 自分が大日孁貴神なら、再び東北大震災・津波を起こす

であろうし、合わせて箱根山の大噴火を起こしたいところで

ある。

 徹底的に地を揺るがさなければ分からないだろう。

 沖縄近海の海底火山をも大噴火したい。

 こうした一連の警告は、今年の計画である。

 戦後70年を何事もなく過ぎ越すことはできない。


 驚いて、自分も鍋から飛び出すことだろう。

 

  

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+ 雨傘・・・ 公営ギャンブル、カジノ導入を断じて許すな  賭博経済を懺悔せよ  

2015年06月11日 07時44分28秒 | 日本独立運動


 

 

   

 雨傘も  雨の花かな  梅雨の中 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 今年は梅雨らしいつゆである。

 昔はうっとうしい梅雨だったが、久しぶりのような気がする。

 しばし、つゆを楽しみたい。


 

 

 


 

 

 125円を挟む過激な円安相場だったが、今朝は一気に122円台ま

で値を戻した。

 黒田総裁が、「あんまり調子に乗んなよ」と一喝したからだと言う。

 こんな為替相場の性質こそが問題だとは思わないのか。

 通貨を商品にしてよいのか。

 価値基準であるはずの通貨を博打にしているのである。


 カジノ解禁などと博打を公認する動きがあるが、賭博罪を何と心得

ているのか。

 スポーツを公営ギャンブルにし、商品から為替まで賭博にし、さらに

カジノを広めようとしている。

 まさに、賭博経済ではないか。

 資本主義の終わりというべき終末現象である。


 市場原理を支えているのは神の調和である。

 神を汚すような経済を増長させてはなるまい。

 キリスト教社会も、十字架の前で懺悔して悔い改めよ。

 神の国日本は、断じて賭博経済に染まってはならない。 

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

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+ 十日恵比寿の茅の輪くぐり・・・ D・カーネギーの「人を動かす」も後の祭り  ナンダコリアの後の祭り

2015年06月10日 20時44分16秒 | 日本独立運動


 

 

   

 巫女来たる  茅の輪をくぐり  夏参り 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 今朝は午前6時から十日恵比寿神社で青々とした茅野輪

が待ち構えた。

 朝一番にくぐろうと思ったが、くぐったのは7時40分頃だっ

た。

 ずらっと赤袴の巫女シャンが並んでお出迎えしてくれるの

かと駆けこんだが、紺袴の禰宜が一人待ち構えていただけ

だった。


 あの世をくぐる時もこんな風かもしれない。

 くぐったときの霊感はなく、拝礼だけして再び駆けだした。

 出勤してきたばかりの巫女シャンと思われる女性がにっこ

りあいさつしてくれたのが御利益ではあった。


 通勤帰りの時にはもう、撤去されて跡形もなかった。

 貴重な茅の輪くぐりだった。

 そういえば、今日は十日だった。

 それで、十日恵比寿の茅の輪くぐりだったのか・・・。

 

 

 




 D・カーネギーの「人を動かす」は、自分にとっては後の祭

りの感が強い。

 自分がいかに人間嫌いというか、好き嫌いがはっきりして

いるかが分かる。

 自分に正直になったともいえるが、我儘ということかもしれ

ない。

 それまでは、性善説で、とても愛そうの良い人間だったか

ら。


 後の祭りは、朝鮮も同様であろう。

 今さら、日本を味方につけることはあり得ないことである。

 愛国の国民が許さないであろう。 

 朝鮮人は国民たりえない。

 日本人のままにしてもらっておけばよかったものを。

 愚かである。


 朴槿恵(パク・クネ)大統領も度が過ぎた。

 直前世は、伊藤博文を暗殺した真犯人の男だったそうで

ある。

 アジアにこれほど卑劣な民族が住み着いていたとは・・・。

 政治的には、もはや許されない領域に達したが、それでも、

許容すべき余地があるのだろうか。


 人間嫌いの自分が判断すべきことではないのだろうが・・・。

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

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+ 菩提樹の花の香り・・・ 過激な円安に見る賭博経済の罠  増税の墓穴  高齢社会にみる公務員天国

2015年06月10日 07時09分19秒 | 日本独立運動


 

 

   

 菩提樹の  花を香りて  目を閉じぬ

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 筥崎宮の恵光院は、今が菩提樹の花の頃であり、とても良

い香りがほのかに広がっている。

 その花に鼻をくっつけてしばし香りを楽しんだ。


 そのまま魂が抜けてあの世に渡ってもよさそうなのだけれ

ども、まだ魂が西瓜のようにどっかりと居座っている。

 天命に任せるしかなさそうである。


 さて、今日は午前6時から、十日戎神社で茅の輪くぐりがある。

 夏の健康祈願である。

 少し早めに家を出て、くぐって行きたい。

 これも、季節の楽しみである。 

 

 




 一ドル76円台まで円高が進んでいた頃から一転して、今

は125円を挟む円安の展開となっている。

 これは、巨大なファンドが投機的に仕掛けているのだろう

としか思えない。

 アナリストはさまざまな経済指標を見て予想するが、仕手

の手筋を読むための指標にすぎないのではないか。

 いわば、コンピュータゲーム型賭博経済である。


 賭博経済は、一歩間違うとスッテンテンになる。

 しかも、国の単位でそれが起こる。

 窮すれば鈍する、お大尽を気取ったナンチャイナ共和国

がその罠に嵌るのではないか。

 騎馬民族は落馬は滅多にしないだろうが、相場は得意で

はあるまい。

 しからば、過激な円安にも超限戦的な意味があるかもし

れない。


 その副産物として日本は、原発、新幹線、航空機、艦船を

世界に販売する好機である。

 その好機をものにするためには、減税をして、日本で商売

をしやすくしてやる必要がある。

 結局は、減税こそがカギとなる。


 増税をしても、公務員が使い込んだ厚生年金は戻ってこな

いし、公務員天国を拡大するだけのことである。

 浪費型の植民地経済をやめて、堅実な独立国家型経済に

戻すべきである。


 豊かな高齢者をみると、ああ、公務員上がりかと思う。

 地方に行くと、公務員に加えて、農家のお大尽が加わる。

 なんとも不公平な世の中だと思う。 

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

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+ 桔梗草・・・ 都市のテクノロジー、過疎のテクノロジー  日本の活路は日本独立宣言ありてこそ

2015年06月09日 07時39分18秒 | 日本独立運動


 

 

   

 桔梗草  妖精ほどに  吾もなり

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 季節は初夏の肌寒さを残す梅雨である。

 梅雨前線の雲の上には、真夏の太陽が燃えている。

 六月十日の茅の輪をくぐると、六月二十二日の夏至になる。

 すると、満を持して、博多祇園山笠が動き始めるのだ。

 博多はやっぱり、山笠に花開く。


 藪に迷い込んだ五月末の草遍路は、孤高の彷徨であった。

 山の中にあって方向性を見失うのが一番怖いことである。

 最近の人類はスマホとかいうものをいつも手に握りしめて

おり、それにはGPS機能が付いている。

 山中でも使えるのだろうか。

 都市のテクノロジーは進んでいるのだろうが、過疎のテクノ

ロジーにも希少性の高い技術分野が開けるのではないか。


 桔梗草を見たのは、梅雨入り前の、過疎の遍路道でのこ

とだった。

 ヒメコバンソウとの相性も良く、源氏物語の絵巻物の世界

に入り込んだような風景であった。

 山林の中で、ヤマリンドウを見つけた時も、妖精の世界に

入り込んだことを思い出す。

 山歩きには、山野草との出会いの喜びがあるものだ。

 


 

 

 


 「日本独立運動」は非公認の認識である。

 ばらばらに、憲法改正論や集団的自衛権の論点が政治

のまな板に乗ってはいるが、なし崩し戦法と言う煮え切ら

ない隠密政治に見える。

 「自分ならば、翁長沖縄県知事の公舎に日本刀で切り

込むであろう」と言った牛島満中将の霊言こそは、植民地

的日本の活路である。

 すべては、日本独立宣言に始まるべきである。


 毅然とせずして、どうして習近平を黙らせることができよ

うか。

 どうして、アジアをチャイナの侵略から守ることができる

と言うのか。

 日本独立宣言に反対することができる政治家がいるのか。

 いるならば、それがまさに獅子身中の虫、駆除されるべき

輩である。

 どうぞ、チャイナに投降してくださいと渡してやればよい。


 日本が独立しているなら、独立宣言はその再確認となろう。

 日本独立宣言にこそ、日本の立ち位置が明確になり、覚悟

も決まると言うものである。

 軍神の同調があるならば、そこに力を与えてほしい。

 憲法前文に掲げるべきは、日本独立宣言と公的人権宣言

である。 

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         幸福実現党応援隊・ 梅士党  

 

          

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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+ 初夏の苑・・・ あじさい苑  菩提樹の花まつり  百合苑祭り  国際公法における日本の半人前

2015年06月08日 20時54分58秒 | 日本独立運動


 

 

   

 ひと時を  天国におり  初夏の苑 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 梅雨の晴れ間となった日曜日、下駄を履いてあじさい苑に出かけた。

 おりしも、西南学園管弦楽チームの三重奏が奏でられていた。

 やわらかな音だ。

 花と音楽を楽しむ心の空間が広がっていた。

 あじさいは、来週ころが見ごろなのだと言う。


 菩提樹の花も満開だった。

 多くの人が、満開の菩提樹下に花の香りを楽しんだ。

 仏教を織りなす甘い香りがする。

 仏前に座り、それから星野茶を買って、ユリ庭苑に向かった。


 もう、ユリの花が咲いているのだった。

 百合の花も今が青春まっただ中というようであった。

 ひと時の、あの世の楽しみであったろうか。


 


 

 

 


 今日は国際公法入門として、国際法の実効力について論

じた。

 国内法からみた国際法の特殊性は、統一的な権力機関が

ないということである。


 国内法は、立法機関、行政機関、司法機関が権力を持って

法の実効力を担保しているが、独立国家で構成される国際社

会には統一的な権力機関がない。

 それでも、国際法が求められるのは、国際的通商の安全円

滑と、戦争防止の必要があるからである。


 国連は国際社会の議会でも政府でも、司法機関でもない。

 国際法の実効性を担保する力はない。

 いわば、社交場というべき場所である。

 その意味では、国連交響楽団、国連芸能事務所、国連芸者

検番、国連料亭などを備えるべきではある。

 東京には、国連サロンを建設して、オリンピックだけではなく、

国際会議を受け持つとよい。


 しかし、条約や国際慣習法を担保し、司法権力を持って国際

紛争を解決する能力はない。

 まして、戦勝国でもない無法国家中共が拒否権を持ってい

るようでは、話にならない。

 しかも、いまだに戦勝国のサロンであって、日本やドイツなど

は敵国条項で差別されているのである。


 だから、日本は国連に資金提供するべきいわれはない。

 中共の十分の一もいらないであろう。

 敵国条項をそのままにして、常任理事国入りにこだわる必

要も、その資格もないというべきである。

 そもそも独立国家ではないのだから、国連加盟の資格もな

い。

 なにしろ、憲法とは名ばかり、武装解除を目的とする植民地

憲法をありがたがっている有様である。




 



 しかし、成文国際法である条約や不文国際法である国際慣

習法の実効性はある程度担保されている。

 それは、国際的約束事をしないとか、守らないというのでは、

国際的信用を失い、経済的にも軍事的にも孤立することによ

る危機を招くからである。

 もう一つは、超軍事大国アメリカの制裁を受けることもありう

るからである。


 結局は、国際法を実効力ある法規範として担保しているのは

軍事バランスだということができる。

 軍事力なくして、侵略を許さないという国際条約を結んだとこ

ろで、軍事力を持つ国に支配されたら、それが既成事実になる

だけのことである。


 中共がフィリピンの領土領海を侵犯し、自分の庭だと称して

軍事施設を建設するのも、フィリピンに軍事力がないからであ

り、アメリカの助けを借りるべき安全保障条約関係を廃棄した

いきさつがあるからである。

 つまりは、沖縄のように、アメリカ出て行けという排除をに成

功したまでは良いが、中共の侵略を呼び込む形になったとい

うことである。


 これに対して、アメリカが抑止できないのは、中共の核を恐

れてのことである。

 これでは、中共の侵略行動を止められないということになる。

 アメリカの軍事力が崩れてきたということは、戦争リスクが高

まったことを意味する。

 

 国際法の目的である、戦争回避のルールは、戦後の国際

慣習法として通用力を持ってきたし、核戦争回避ルールは

キューバ危機を経験してさらに強い国際慣習法となったと

言える。

 しかし、あくまで、国際法の通用力は、相対的であり、軍事

バランスが崩れたら戦争を呼び込むことになる。


 国際的戦争ルールとして認められていた、宣戦布告のルー

ル、非戦闘員攻撃の禁止、非武装艦船等の攻撃禁止、捕虜

の人道的処遇、戦後の戦勝国による敗戦国裁判の禁止は、

ことごとく、アメリカによって破られてきたことを見ても、ある意

味、肝心な時に役に立たないのが国際法だともいえる。







 しかし、それでも国際法のニーズが国際法を支えてきたのだ。

 日本も、まずは独立国家とならなければ、国家主権に基づく

国内管轄事項への不干渉ルールを持ちだすことさえできない。

 実際、中共による尖閣諸島領有宣言だけで、領土主権を侵

害されているのである。


 防空識別圏を領空内に設定されていることを見ても、不干

渉の原則は中共によって破られているにもかかわらず、日本

はこれを撃退することができない。

 それは、日本が国家主権を認められていないからに他なら

ない。

 つまり、独立国家ではないことに由来するのである。


 日本は独立国家ではない。

 どこから侵略されようとも、本来、国家主権を放棄している以

上、文句が言える立場にはない。

 独立国家らしく見えている部分は、アメリカのおかげである。

 アメリカは、植民地として防衛してきたが、実力において、植

民地支配の大義が見失われてきた。


 であるならば、正式にアメリカに併合してもらうか、共産党や

民主党が望むように、中共の属国として併合されるか、あるい

は、独立宣言をして国際社会に正式に復帰するかの選択を決

しなければならない。

 いい加減にしなければならない。

 民主党や共産党の了見を明白にして、その政治責任を追及

するべきである。 

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         幸福実現党応援隊・ 梅士党  

 

          

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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+ バラの紅をさし・・・ デール・カーネギーの『人を動かす』  感情に支配される人間関係の心得

2015年06月07日 10時59分13秒 | 日本独立運動


 

 

   

 バラの花  娘の頬に  紅をさし  

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 バラの季節も過ぎようとしている。

 パステルカラーの庭のバラも色あせた。

 それにしても、娘たちの輝きにはバラの花も遠く及ばない

ことである。

 

 

 

 



 デール・カーネギーの『人を動かす』を久しぶりに読み返

している。

 具体例をたくさん出しているので、説得力があるのだが、

確かに、反省しつつも引き込まれてゆく人間関係論であり、

成功法則である。

 かつても、感動的に読んだはずだったが、全く逆の裁き心

に戻っていたのだった。


 無法なチャイナツアー客に対して制止するのは法の正義

であるが、倫理・道徳上の非行に対しては怒りを感じる。

 しかし、決して叱ってはならないと言うのである。

 確かに、裁き心が働いているものである。

 否、断罪しているのである。


 この断罪に対して、下品なチャイナ人が素直に詫びるは

ずもない。

 再び、非行を繰り返すのである。

 そうした下品な客人を招き入れるのが悪いのだ。

 客筋は選ばなければならない。

 チャイナ客はお断り、入国もお断りしなければならない。 

 

 威圧すれば、その場の強制はできるかもしれないが、

教育はできない。

 批判はいわば、斬り合いである。

 国の命運を背負っての言論であればともかく、スキャン

ダル合戦の場に堕しているのが国会審議の現状である。

 そこに、民主的合意などありえないことである。 


 スキャンダル的批判・非難で人を失脚させることはでき

るだろうが、組織は崩壊に向かうことになる。

 政治の世界では、感情に支配される人間関係の理を心

得なければ民主主義は成り立たない。

 その上で、私的感情を払しょくして、愛国の責任で議論

を戦わせるのが議会審議の場である。

 

 しかし、今の日本には、リンカーンのような政治家はい

ない。

 そこに、現代民主主義の空虚がある。

 野次を飛ばしたからと言って謝罪を求めるのが国会で

あってはならない。

 感情支配を国会に持ち込むべきではない。

 マスコミにも、そうした見識がなければ、取材する資格

はない。


 しかし、人間関係の理に悟りを開いたリンカーンでさえも、

南北戦争を決断せざるを得なかった。

 私を捨てても、国家的責任を捨てるわけには行かなかっ

たからである。

 




 



 しかし、確かに、人間関係としては信頼関係なくしては

教育指導はできないし、不実な社員に対してその非行を

責めても人間関係が悪化するだけで改善はない。

 強制・威圧による訓練は成功しない。

 本人が気づいて、自ら改善しようとしない限り、改善は

しない。

 

 人間関係は理屈に合わなかろうとも、感情に支配され

る。

 感情を害しては、関係そのものが悪化する。

 だから、人材を登用する時は、自ら気づいて改善する人

物でなければならない。

 しからざれば、機嫌良く働いてもらう工夫をしながら、辛

抱強く使う見切りが必要である。


 リーダーシップと言うものは難しい。

 企業責任としての危機管理上の提言であっても、これを

やると自らの失脚を招く。

 公的な問題の場で、無能者の私的感情が介入するところ

に、経営や政治の障害が発生するのである。

 その障害は、やがて組織の崩壊を招くことになる。

 それが、天の理である。

 

 

 もう一度、D・カーネギーの法則に戻ろう。

 これは、人材活用術にはとどまらない幸福論でもあろう。

 因みに、孔子の「礼」とは、謙虚に相手に対することので

きる適切な距離をとる配慮というべきであろうか。


 しかし、愛がなければ、人生は過疎になるか、争い多き

人生になるかという不幸に陥ることにもなろう。

 愛ありてこそである。 

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         幸福実現党応援隊・ 梅士党  

 

          

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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+ 雨の花・・・ 孔子の幸福論  チャイナに文明なし  癌チャイナへの処方

2015年06月06日 06時23分46秒 | 日本独立運動

 


 

 

   

 あじさいを  七色染めし  雨上がり 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 昨日は一日雨だった。

 折角の雨だったが、あじさい苑を訪ねることができなかった。

 今朝はまぶしい朝陽が上がった。

 今日のあじさいは虹色だろうか。

 雨の花は、雨ごとに色を変える。


 

 


 

 

 

 

 孔子様直伝の『孔子の幸福論』を読んだ。

 2500年の時を越えて語られる霊言は、当時の役柄から

離れた後の、いわば、役者の回顧録のような気軽なインタ

ビューであるが、本質をついた重要なメッセージがある。

 最も印象的だったのは、江戸時代に儒教精神に染まった

日本でありつつも、神道と仏教の融合されたところに日本

文明の本質があり、中国とは異質の文明だと言う指摘だっ

た。


 チャイナは、その性質において、同質的上位にはないとい

うことである。

 チャイナの朝貢的侵略論をけん制するものであろう。

 沖縄問題を見越しているかのようでもある。

 それにしても、チャイナの本質が儒教にあるとは思えない。

 その残虐性、倫理観念のなさ、下品さ・・・。

 超限戦として日本に送り込まれる中共人観光客のみっと

もなさは、到底日本に入る資格のない顰蹙ものなのである。


 ともかく、チャイナからの入国は原則禁止にしていただき

たい。

 教養と良識のある者に限定するべきである。

 今のチャイナは、到底文明国のレベルにはない。

 文明を維持することができなかったのである。

 こんな国に支配されたらとんでもないことになるとは思わな

いのだろうか。

 

 儒教に伝わるリーダー論、リーダーシップ論には学ぶべき

ところが多い。

 儒教とは、教育論でもある。

 リーダーの器は、公的志を持つものであり、誠実に学び、

努力を続ける者である。

 私利私欲にとらわれず、正義を示す者である。

 それが時に身を危険にさらし、粛清されることがあるのが

この世の愚かさであるが、それにも柔軟に対処する智慧も

語られている。


 野蛮なチャイナであるが、教育と経済があれば香港のよ

うにはなれる。

 野蛮なままに力を持たせてはなるまい。

 倫理なき経済は盗賊に堕落する。

 日本の企業は、盗賊政治に媚びながら商売をしているこ

とを恥じて、チャイナから手を引くべきである。


 教育者として、今何をなすべきかをよく考えるべきである。

 盗賊の首領の下で、果たして、良識ある教育ができるか。

 まずは、その盗賊の殻を割るほかはあるまい。

 がん治療のように、栄養補給を止める必要があるという

ことだ。


  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         幸福実現党応援隊・ 梅士党  

 

          

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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+ チャンポンの風景・・・ オリンピックのメダル獲得競争の弊害  アスリート育成の盲点

2015年06月05日 10時16分27秒 | 日本独立運動

 


 

 

   

 ちゃんぽんの  値段も同じ  つゆの湯気

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 昨日は梅雨の晴れ間だった。

 去年の今頃と同じように、ふらりとちゃんぽん屋に吸い込まれて、

いつものチャンポンを注文した。

 漫画家の先生に借りている手塚治虫のガロン①を読みながらチャ

ンポンの湯気を待った。

 

 汚い店だが、野菜たっぷりで旨いチャンポンである。

 物価高騰の折柄にもかかわらず、いまだに580円ぽっきりの値段

を維持している。

 梅雨時のチャンポンの湯気は蒸し暑く感じて足が向かないのだが、

食べたいものも思い浮かばず、ガロンを持って栄養満点のチャンポ

ンの席に着いたのだった。


 いつものように、大きなフライパンをカンカンとガスコンロに転がし

ながら手際よく仕上げて行くのである。

 毎日、同じ動作を繰り返しながら一人で、ごった返す客の注文をさ

ばいてゆく。

 そんな姿しか見ていないが、チャンポンの味と同じように、濃いくて

深い人生があるに違いない。



 


 

 

 

 東京オリンピックは、今年のリオのオリンピックから四年後のことで

あるが、すでに始まっているかのように躍動している。

 施設の問題もあるが、メダル対策にアスリート育成にも力が入って

いる。

 メダル獲得競争はオリンピックの正念場であり続けている。


 確かに、オリンピックといえば、メダル獲得に歓喜する。

 しかし、勝利至上主義によるスポーツの腐敗ががん細胞のように

広がってきた。

 その典型がドーピング問題である。


 ドーピングとは、努力によらず薬物等の効果を利用して運動能力

を高めようとする行為である。

 スポーツの精神に反する不正行為であり、生命健康に危害を及ぼ

す危険な行為として禁止されている。

 ただし、健康のために風邪薬を飲んでドーピング違反に問われた

ケースもある。

 

 しかし、他力に依存することを不正であるとは言えない。

 現代スポーツは選手のみの力で戦っているわけではないからであ

る。

 道具があり、支えるスポーツチームがあり、人為的なスポーツ環境

が支えてこその選手活動である。

 国力の差によっても大きなハンディーとなっている。


 飲み物、食べ物も、薬物との限界にはグレーゾーンがある。

 コーヒーはOKらしいのだが、カフェインの量にもよりけりである。

 こうした日常的摂取物についてまでドーピングを恐れなければなら

ないと言うのは行きすぎた規制である。


 本来ドーピングは巧妙に仕込まれる。

 人体の運動能力を高めるために、人口ヘモグロビンを注入した例

もある。

 その血液を遠心分離器にかけても分離せず、真っ赤なままなのだ

という。

 こうなるとサイボーグではないか。


 さらには遺伝子ドーピングの問題に発展してきている。

 これからは、薬物ドーピングは影を潜め、遺伝子ドーピングの時代

になるだろうと予測されている。

 人体改造の生命倫理が問われるケースである。

 確かに、スポーツエスパーを作って行くことがスポーツマンシップと

は別の合意事項となる時代が始まっているのかもしれない。

 これは、発展向上をめざす競争社会の宿命と言うべきかもしれない。


 しかし、正々堂々とした戦いを通して友情を生むスポーツマンシップ

や礼節の精神あってこそのスポーツ文化である。

 そうした、スポーツの神聖や潔い精神を教育することが大事なことな

のだ。








 こうした勝利至上主義の弊害は、アスリート育成事業にもある。

 国はもちろん、アスリート育成責任がある。

 スポーツは国家国民の基礎体力と健康を養う公的事業だからであ

る。

 しかし、今の考え方は、選手の使い捨て型育成なのである。

 いわば、養殖思想であるところに倫理的な問題がある。

 選手の引退後の仕事については無関心なのである。

 

 選手は二十代には大半引退を余儀なくされる。

 しかし、スポーツ人材として活用する職業化の仕組みはなく、一般

就職するにもその準備を犠牲にしてきているために活路がないので

ある。

 だから、フェンシングのようなマイナースポーツは特に、早期引退

が常識である。

 アスリートスポーツを委縮させている原因が、メダル獲得までの使

い捨て思想にあるということである。


 所詮、スポーツは趣味娯楽にすぎないと言うのが、官僚の本音で

ある。

 だから、予算も組まないし、スポーツギャンブルの上りで賄えば良

いとして、サッカーくじや野球くじで手当てするのである。

 

 こうした、スポーツ文化への蔑視、医療重視の姿勢が改まらない

限り、オリンピックも国家的商売の域を出ないであろうし、スポーツ

基本法もまやかし法という評価が確定するであろう。

 アスリートスポーツが天狗仙人を主役とするものであるとしても、

それは、勝利至上主義の反映だともいえる。

 

 彼らもまた、スポーツにおける愛の思想というべき武士道精神な

いし、スポーツマンシップを学ぶべくして修行しているのだ。

 愛を伴わない強さは偽物である。

 強さを伴わない愛もまた偽物である。

 スポーツ文化には、愛と教育が肝要である。

 目先の勝利に走るのではなく、優れた人材を育てなければなら

ない。

 

 体育教育の形骸化にも現れているこうしたスポーツ軽視の軽率

は反省されるべきである。

 武士道精神を忘れて久しい日本であれば、なおさらであろう。


 高齢化社会にあっては、元気に朗らかに死ぬというスポーツマ

ンシップにのっとった人生観が幸福な最期をもたらすに違いない。

 関係者の反省を求める。 

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         幸福実現党応援隊・ 梅士党  

 

          

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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+ 山笠始め・・・ 韓国に広がる中東呼吸器症候群コロナウイルス(MERS-CoV)の脅威

2015年06月04日 07時23分09秒 | 日本独立運動


 

 

   

 山笠の  浴衣そぞろに  参り初め 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 六月に入ると、博多祇園山笠の男衆が山笠姿の一揃いを

整えて、歩き初めを始める。

 山男たちが、季節の主役になったのである。

 自分にはそういう伝統の社会には無縁だが、良い風景に

見える。


 しかし、今年の山笠もまた天候不順に揺れ動くのではな

いか。

 阿蘇山もたぎり始めている。

 まして、軍神の祭りであるならば、天の怒りを露わにする

だろう。


 日本独立宣言を出していただきたいものだ。

 神々の意向もそこにある。

 いつまで、日本を半植民地状態に晒すのか。

 あまりにも無礼である。


 山笠の人形の主題には武家政治の歴史ものが多い。

 竜や天狗も登場するが、風神雷神、仁王像、毘沙門天が

登場してもよいのではないか。

 神々は怒っているからである。

 

 


 

 


 中東呼吸器症候群コロナウイルス(MERS-CoV)の感染者

が韓国に1300人以上という恐ろしい状況になっている。

 症状は咳、痰、高熱で、呼吸困難で、死亡例も多い。

 もともと、中東地域に発症しており、ラクダの生乳などを媒

介して感染が広がったものらしい。

 

 同様に、中東に広がった呼吸器症候群SARSもコロナウィ

ルスによるものであるが、こうした重症の疫病が広がってい

るのは、天変地異同様、社会的心の闇が引き寄せる禍であ

り、神の怒りというべき反作用である。


 ナンダコリアと騒ぎになっている韓国だが、ナンチャイナと

は言っていられない反作用がチャイナにも発生してきたし、

これからもさらなる禍がもたらされるだろう。

 日本はこれに対して、毅然と一線を画する態度を取るべき

である。

 しからざれば、日本にも深刻な禍が及ぶことになるだろう。


 戦後70年の日本は、神国日本としての使命に目覚めなけ

ればならない。

 独立宣言をし、神国たる権威を持たなければならない。

 大陸の禍は、日本の優柔不断の結果でもあると反省する

べきである。

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

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+ 梅雨入り・・・ 憲法理解の要諦  ノモスによる「日本国憲法」の一部無効論

2015年06月03日 21時40分50秒 | 日本独立運動


 

 

   

 梅雨に入りて  あじさい青き  雨を跳ね 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 日曜日は宮地嶽神社の菖蒲祭りに泰山木(Magnolia)を訪ね、

その足で城戸南蔵院から篠栗までひたすら行軍した。

 遍路道には撮りたい風景もほとんどなく、無粋な砂防工事に

破壊された川を不機嫌に眺めながら、走り下った。

 そして、ぼんやりと水風呂に浸かって、体中の疲れを休めた

のだった。


 夏になると、すっかり花が姿を消している。

 シャガの花も、藤も、八重桜も、すっかりいなくなった。

 ただ、麦秋の終わりに、小判草がしゃらしゃらと枯れていた。

 昨日から梅雨に入った。

 雲雀の天井が低くなって、田植えまでには越さねばならない。

 また、どこぞの空で鳴くのだろうか。


 

                                                                                    


 

  憲法の理解のためにという講義をした。


 まず、憲法の本質は、独立宣言と人権宣言であるということ

である。

 憲法は、国家の根本規範である。

 すなわち、独立国家であることを前提としている。

 独立国家とは、自分の国は自分で守る責任を持っていると

うことを意味している。


 この点、「日本国憲法」は、武装解除を前文と9条で宣言して

いるのであって、これは植民地条項であることを意味している。

 これを独立国家の憲法とすることは、憲法の本質に矛盾する。

 すなわち、憲法9条および前文は無効である。

 

 因みに、憲法といえども、法の普遍的な精神に反することは

できない。

 そうした憲法の上位規範として自然法ないしノモスといわれ

る法の精神が支配する。

 これを否定する学説は、九条を護りたいという植民地主義者

である。


 次に、人権については三点注意すべきことがある。

 まず、人権の本質は自由権であるということである。

 人権の章に参政権や社会権、刑罰権力の適正についての

規定等が混じっているため、人権の本質理解を妨げているが、

整理して理解する必要がある。


 次に、法の下の平等の理解である。

 これを社会主義思想として理解しては自由人権と矛盾する

ことになる。

 すなわち、文字通り結果的な平等と解して、格差を不当とす

る趣旨に理解してはならないと言うことである。


 本来、自由に格差などはないのである。

 格差と言っているのは、金銭評価などの世俗的基準に並べ

て格差だといっているのである。

 これは、社会主義発想から来るものと言うべきであろう。


 平等思想には三つの意味が読み取れる。

 まずは、自由権の入り口であるチャンスの平等を保障する趣

旨から、身分制を廃止するという歴史的意味である。

 次に、社会的弱者へのいじめの禁止である。

 男女平等は、平等思想ではなく、女性が弱い時代において女

性をいじめてはならないという法的倫理を意味している。


 もう一つは、自立的に生きて行けない弱者に対する国家の救

済責任である。

 この点で、社会福祉の思想を含んでいるとみることができる。

 すなわち、平等思想とは、愛の思想にほかならない。

 自由といえども、愛を忘れてはならないという人権総論として

の意味があるともいえる。


 人権理解の三番目は、公共の福祉と言う人権制約原理の解

釈問題である。

 公共の福祉には二つの意味がある。

 一つは、権利の濫用をしてはならないという警察規制原理で

ある。

 もう一つは、人は社会的存在である以上、私的な権利なので

はなく、社会公共の利益のために活用する責任があるという公

的責任を意味している。

 だからこそ、国家は人権を尊重し擁護する責任があるのであ

る。


 こうした公共の福祉は人権の性質であって、内在的責任と言

うべきものである。

 この意味で、農耕放棄地は農地所有権の責任を懈怠してい

るのであって、その責任を問われるべきことになる。


 社会権の規定は人権なのではない。

 憲法に置く必要もない。

 人権総論としての法の下の平等があれば十分である。


 以上、憲法理解の要諦である。

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         幸福実現党応援隊・ 梅士党  

 

          

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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+ 花菖蒲・・・ 主権者国民に分かりやすい政治を  政治家は、親チャイナ派か、日本独立派かを明らかにせよ

2015年06月02日 20時17分58秒 | 日本独立運動


 

 

   

 花なれば  娘も咲きにけり  花菖蒲  

        梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 今朝の気温は23℃、ずいぶんと夏に近付いた。

 駆けてゆくとしよう。

 博多祇園山笠もかけ始めたところである。 




 

 

 

 おそらく国費を使って、3000人規模で朝貢団を送り込んで

いる自民党だが、チャイナに臣下の礼をとって、お助け下さい

という図である。

 こういうところには、野党の追及がない。

 つまり、野党は、チャイナの傀儡であることを示している。


 徹底的に責任追及していただきたい。

 チャイナは敵国である。

 わかりやすい政治を心がけていただきたい。

 毅然として、対抗するべきである。

 チャイナは毅然として侵略を続けているではないか。


 さらに、韓国は安倍晋三総理に対して侮辱的な非難決議を

出している。

 なぜ、日本は韓国に「戦争をするつもりですか」という打診決

議を出さないのか。

 韓国に対する一切の援助は打ち切るべきであるし、企業に

対しても、敵国と心得よと警告を発するべきである。


 こうした内政干渉や侮辱決議を出せるということには理由が

ある。

 それは、日本が独立国家ではないからである。

 だからこそ、日本独立運動を起こすべきなのだ。

 議員は、日本独立派か、投降平和主義かを明確にするべき

である。


 この卑屈外交では、東京オリンピックもあだ花になる。

 政治の争点は、チャイナの軍門に下る親チャイナ派と毅然と

して対抗する日本独立派である。

 はっきりと立場を示す政治責任があるのではないか。

 如何。

 

  

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+ 泰山木(Magnolia)・・・ 宮地嶽神社の菖蒲祭り  津屋崎ぶんぶん  財産権の保障とは

2015年06月01日 07時29分30秒 | 日本独立運動


 

 

   

 届かざる  泰山木の  太き香は 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 宮地嶽神社の菖蒲祭りのころに、泰山木の花も咲く。

 それを見に行こうと、久しぶりに宮地嶽神社を訪ねた。

 かつてはよく訪ねた津屋崎であるが、神社の高台から海を眺

めただけで、海岸には行かなかった。


 泰山木(Magnolia)はクチナシと同種だそうである。

 だから、いい香りがするというが、背伸びをしても到底届かな

い高いところに咲くので、香れない。

 なるほど、びっくりするほど巨大なクチナシである。

 ミシシッピー州の州木だという。


 泰山木は巨木なので、福岡ではそれほど見かけない。

 久山にも一本あったが、最近は見ていない。

 巨大な香りを大呼吸してみたいものだ。

 因みに、菖蒲は今が見ごろであろう。


 ついでに、庶民的な焼き物を買っていった。

 作家は高齢で、今年が最後の出品になりそうだということだ

った。

 竹細工のおもちゃも売っていた。

 「津屋崎ぶんぶん」という不思議なプロペラのおもちゃがあ

った。

 200円だという。

 ちょっと心残りになった。


 そういえば、今週土曜日(6月6日)は、JRウォーキングで朝

から賑わうのだそうである。

 ウォーキングブームの盛り上がりには、すごいものがある。







 さて、昨日の裁判所職員一般職の憲法問題は、「財産権の

保障について述べよ」だったそうである。

 財産権の自由獲得の歴史は、身分制との戦いと、課税との

戦いであった。

 身分制は廃止されたが、重税との戦いは官僚主義に押され

ている。


 さらに現代では、財産形成過程における経済活動の自由に

対する許認可行政の制約が自由性を阻害している。

 反面、都市整備や道路建設などに大きな阻害要因となって

いるのが土地所有権である。


 強制収用といっても、高額な補償金が支払われている。

 所有権の濫用と言うべきであろう。

 財産権は公共のために用いる責任があるという点が肝要

である。

 それが、自由の精神である。


 財産権の保障と言えば、制度的保障の一つというが、さて、

その制度をどのように理解するべきかは、規制と濫用の狭間

で難しい。

 しかし、相続税の重税化は、もはや財産権の侵害の域に達

しているというべきであろう。


 公務員社会主義の日本ではあっても、ナンチャイナよりもまし

ではある。

 ナンチャイナ共和国には、神仏ばかりか、法の支配も、法治

主義もない。

 約束は守られなければならないという資本主義の精神がない

のである。

 すなわち、財産権の保障も、自由至上主義の保障もない国

である。

 そんなところに、売上を求めて進出する企業は、いわば、賭

博場に出入りしている博徒のようなものである。

 もろとも、その盆をひっくり返したいものである。

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

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