芝東照宮の後、「芝公園」一帯を歩いてみました。
事前に何も調べていない、本当に当てのないぶらり歩きです。
いきなり飛び込んできた「銀世界」という文字が刻まれているこの石碑。
何かなと思ったら、この辺は梅の名所なんだそうで、かつて新宿(西新宿3丁目)にあった梅屋敷に咲いていた白梅が、一面銀世界(雪景色と似た景色ということかなと)だったことから「銀世界」と名付けられ、そこから1908年(明治41年)~翌年にかけて、芝公園に梅が移植された経緯があるんだそうです。
小さな石柱と解説板があります。
古墳があるんですね。
解説板にもあるとおり、全長106メートル前後という、都内でも最大級の規模の古墳だそうで、パワースポットとしても人気なんだそうです。
誰が埋葬されていたかは判っていないそうですが、解説板にもあるとおり南武蔵の有力な族長の墓であったという説があるようです。
5世紀頃の築造とされていますが、これも定かではないようです。
同じ場所には、貝塚の解説板もありました。
貝塚といえば、やはり縄文時代ですが、こういう場所を訪ね歩き、知られざるエピソードを発掘するというのも、ロマンがあって楽しんだろうなあと思います。
町ブラもいいですが、そういう活動にも興味があるので、この解説には見入ってしまいました。
句碑があります。
「星野高士」という、「高浜虚子」の曾孫に当たる人物の俳句だそうで、2009年3月に建立されたそうです。
そしてこちらが、句碑の建立を記念して詠まれた、句碑の発起人の方たちの句だそうです。
ちょっと読み取りにくいですが、かの「伊能忠敬」の「測地遺功表」というもの。
伊能忠敬が日本地図を作成するため測量の旅に出かけるとき、測量の原点とした場所がこの近くにあったということで、この辺りで最も高い場所である、先程の「芝丸山古墳」の頂上部に、1889年(明治22年)に、「東京地学協会」によって記念を建立されたそうです。
我が北海道にも、箱館をはじめとして、多くの場所に足跡が刻まれています。
小さな稲荷大明神がありました。
隣接する「増上寺」の裏鬼門に位置し、鎮守の役割を果たしています。