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種まき後の様子。左茶豆、右黒豆。
被せたネットを少し持ちあげると芽が出ていた。
『深町流枝豆の緑化作業』
緑化とはネットをどけて太陽にさらす。ベイビー状態で日光浴という感じ。
薄曇りだったので午後3時まで。
その後ネットを使わずストレートに土をかぶせる。
葉が出てくるまで待つ。
大相撲五月場所二日を両国国技館で初観戦した。家族連れで。
相撲の聖地国技館。総武線両国駅からすぐのところだ。
入口に向かうと関取達が続々タクシーから降りてきた。
小結御嶽海も大栄翔を押し出して二連勝。
横綱戦は盛り上がりものすごい。
夜から降り続く雨。田畑にとっては恵みの雨。
庭の花々も同じ。外に出ると大きな声で歌っていた。
上はしたたるメロディー、スズラン。
ニホンオダマキ 紫が綺麗
満天星躑躅(どうだんつつじ)
藤の花
梅の双子(花ではないが⋯)
午前11時38分郭公の鳴き声を聞く。郭公鳴いたら豆を蒔け。
露地栽培の時期の目安にしている。
モグラが嫌う地中の音の響き。
これを奏でる空き缶と細い鉄の棒&それと針金。
これが楽器である。五月の優しい風が奏でる音。
暖かくなって地中の世界も小動物が活発になっているのだろう。
モグラ―がやってきた。畑に。
旧広丘村のメンバーだった広丘・吉田・高出地区の奉賛会が主催する追悼式に参列した。
例年だと歌碑公園内にある忠魂碑の前で行われるが雨模様との予報で、広丘体育館で行われた。
遺族会、市議会議員、区長会、公民館、日赤奉仕団、消防団員らが出席。
この地区で明治・大正・昭和時代の戦争で亡くなられた軍人は248人。満蒙開拓者26人。
忠魂碑の裏面にお名前が刻まれている。
第2次世界大戦後72年平和に過ごしてきたわが国。平和憲法を守り育ててきた賜物である。
その憲法を変えようとする多数集団が日本を動かす。
北朝鮮、シリア難民を錦の御旗にして。
立春から数えて八八日目。「夏も近づく八十八夜」茶摘みの始まる頃。
種蒔きに最適な季節と言われている。が、この辺りでは2週間後くらい。
ちなみに立春から二百十日目は9月1日あたり。台風がよく発生する。
富山のおわら風の盆は、この風が穏やかなれと踊る。
昨日の雨で田川の水量が増えたためであろう、取り入れ口にゴミがかたまっていた。
この固まりをクワですくい取りどける。
たちまち勢いよく流れ始める。
もう一つの取水口もこの有り様。
土筆もにっこり。
北アルプスの北の方へ。
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