満蒙開拓平和記念館は平成25年4月25日に開館した。
所在地は阿智村駒場711番地10。入館料500円。
中国東北地方に13年間存在した満州国。そこに日本から農業移民27万人が渡っていった。
「20町歩の地主になれる」国策として夢を抱いて渡った新天地。
昭和20年8月9日突然のソ連侵攻で戦場と化した。
開拓団の人々は広野を逃げ惑い、終戦後も祖国に帰れず、
難民収容所では飢えと寒さで大勢が亡くなった。
この施設は満蒙開拓の悲惨な歴史を風化させることなく後世に伝える拠点。
いただいたパンフレットに詳しい内容。
長野県がなぜ飛び抜けて開拓移民が多かったのか。
と疑問を感じたので調べてみたら満蒙開拓青少年義勇軍送出も全国一番。
これに関する書物「満蒙開拓青少年義勇軍と信濃教育会」を今紐解いている。
1933年2月4日起きた教員赤化事件も背景に。
二・四事件:1933年(昭和8年)2月4日から半年あまりの間に、長野県で多数の学校教員などが
治安維持法違反として検挙された事件。検挙者608人中230人が教員で教員赤化事件といわれる。