竹山聖
1 NOV 2007
影国社
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「小林さんは決して京大がよいところだとは言わなかったし、ぜひにとも言わなかった。東京でおしゃれにやってる建築家が京都くんだりまで落ちてくることはないと思うんだけどね、まあ考えてみたらどう、断ったら断ったなりに君らしい生き方なんだ、とみんな思うから、と。こんなふうに押しつけがましくない誘いに、心が動いた。」
という本を読みました。自分が建築学科の学生だった頃、憧れの建築家といえば、磯崎新でも伊東豊雄でも安藤忠雄でもなく竹山聖でした。AMORPHEという組織を構えて設計するスタンスが、それまでの巨匠と言われた建築家達とは決定的に違うと思いました。建築というのは、もっともっと軽やかでオシャレなものなのだ。時代の気分と相まって、そんな雰囲気がとてもかっこ良く見えました。D-HOTEL大阪、OXY乃木坂、TERRAZZA青山、それから箱根の強羅花壇も見に行きました。それらの設計の背景が書かれたこの本を読んでいるうちに、自分の学生時代を思い出しました。建築を学び始めたあの頃です。
当時通っていた学校では、4年生になると自由に使える製図室を与えられるのですが、自分もアトリエ気取りでBOMBERSというグループを作って活動をしていました。だからその頃の製図の課題には、学籍番号と氏名の横に必ずBOMBERSというクレジットが入っています。夏休みだろうが春休みだろうが、とにかく授業がない日もこの製図室で過ごしていました。とても古くて汚い校舎でしたが、そこには自由がありました。たくさんスケッチをして、たくさん模型を作って、たくさん図面を描きました。実際会社での実務となると、自由はものすごく小さくなってしまいます。それでも、どんな仕事にでも、自由は絶対存在すると思っています。その姿勢だけは、今でも変わっていない自信があります。
あの頃かっこいいと感じた建築が、実際どのようにして誕生したのか?多分、今だから理解できることがこの本の中にたくさんあります。それはクライアントの存在であり資本の在処であり、そしてバブルという時代背景で起こった出来事の解釈です。軽やかでオシャレな建築の行く末を見た時、果たしてそのデザインはどうだったのか?と首を傾げたくなる部分もあります。そういう建築が良いのか悪いのか、正直判断に迷うこともあります。僭越ながら、自分はそういう設計をしないだろうなあと思ったりもします。でもやっぱり憧れであることには変わりないのも事実です。OXYやTERRAZZAを見ると今でも胸がときめきます。
自分が憧れた建築と自分がつくりたい建築は違うのだ。そのことがわかってきたということは、それなりに建築について考えて、それなりに設計というものを続けてきたからなのかなあと思ったりもします。竹山ファンにとっては、心の奥にズン!と響く本でした。もう一回読もう。いや、何回でも読み直そう。一生大切にしよう。そういう本です。