龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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年下の知人が亡くなった

2010年04月03日 00時56分33秒 | インポート
 50歳を過ぎてくればそんなこともある、と頭では分かっているつもりだが、実際に知り合いが死んだ、と聞かされると、ぐっとノドから腹にかけて重いものが身体の中を下っていくような異物感を感じずにはいられない。
彼は、その訃報を教えてくれた45歳の友人と52歳の私の間の年齢だったはずだから、たぶん48歳ぐらいだったろうか。
中年世代の進行する癌は多くその速度が速く、診断から半年と保たずになくなるケースも少なくない。

仕方がない、寿命だ、と言うのは簡単だけれど、身近にいる人であればあるほど、その喪失を心の中で組み替えて思い出にためには、時間もエネルギーも多量に必要とする。

たぶん、身近な他人というのは、いくぶんかは「自分」なのだ。少なくても、その関係性に支えられて「人間」たり得ている面が確実にあるのだろう。そうでなければ、あんな馬鹿馬鹿しい儀式のために、どうして何百人もの人間が黒い服を着て集い、思い出話で盛り上がる意味が分からない。

自分の中の他者を喪失することは、自分自身の改変・組み立て直しを必然的に要求される、ということだろう。
他者は自分の一部、といってもいいし、自分はもうすでに、ふれあっている他者の「部分」なのだ。
そうでなければならない。

にしても今年は、身近な人の葬式や法事に追われていう印象が強い。

どこまで生きられるのかあらかじめ人生に目盛りが刻印されているわけではないとすれば、中年の私たちはいつ終わりが来ても対応できるような覚悟が要るのだろう。

さて、これから何をしようか、と迷うまでもない。目の前の仕事のクオリティを少しでも上げる、それしか今やるべきことはないのだ。