龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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教員のメンタルヘルス

2012年08月07日 21時28分58秒 | インポート
知人・友人たちの中に、「鬱病」で戦線離脱を余儀なくされる人が相次いでいる。

ここ一年のうちに知り合いの教師が四名も心を病んで現場を離れてしまった。

教員のメンタルヘルスの調査統計については、以下のデータを参照のこと。

教員のメンタルヘルスの現状
平成24年1月22日
文部科学省
初等中等教育局初等中等教育企画課
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/088/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2012/02/24/1316629_001.pdf

病休全体の6割以上を精神疾患が占めており、教員全体を分母としても全体の0.5%に達している。

0.5%精神疾患って、200人に一人ということか。

しかし、被災した教員の範囲に限って言えば、その比率では到底収まらない印象を抱く。
親しい人達の中でも、真面目で尊敬に値する人達が、精神的にしんどい、といってリタイアしていくこの状況は、普通ではない。

自分も他人事ではない、と思う。
仕事がうまくいかなかったり、忙しかったり、責任が重かったりして、その重圧に悩む、ということはどんな職場でもあり得ることだろう。

しかし、教師は「感情労働」の最先端にある。
管理強化が進む職場の中で、被災した裂け目を自分の存在でなんとか「普通」に保とうとして引き裂かれていくと、

「もうダメだよ」

という声は、リタイアした知人の心からばかりではなく、自分自身の心の中からも聞こえてくる。

特に、震災以後、みんながいっぱいいっぱいになっているときは、余計なことをせず、じっと身を潜める身振りも大切なのではないか。

3.11から一年半が経って、いよいよ精神的にしんどい時期になってきた、という思いは深い。

どこまでこのままやっていけるのか?
いや、むしろ、どうやったらきちんと戦線を縮小していけるのか?

四〇代、五〇代の教師は、日本全国正念場らしいしね。




東電は、事故後の記録映像を全面公開すべきだ。

2012年08月07日 20時49分07秒 | インポート
東電から、東京電力福島第一原子力発電所の事故直後の映像が一部公開された。

内部資料だから、公開するかどうかの裁量権は東京電力にある、というコメント付きでごく一部。
しかもモザイク。
さらに公式の事故調査が出揃った後での公開。

たいそう不満である。
事故原因の究明を国民と共にやりきろうという姿勢はみじんもない。
そういうことは最初から考慮の外、なんだろうね。

単なる私企業なら、それを消費者が判断して買うなり買わないなりすればいい。
でも、電力は事実上の独占企業。しかも半分「国策的」。

端的にいって、私(一人の福島県民=国民)は大層不満だ。

モザイクは社員のプライバシーを守るため、ともあった。
それは分かる。
裁量権がほとんどなく、命令によって動くしかない下っ端社員の一挙手一投足をあげつらうことだってマスコミは平気でやっちゃうだろうから。

でも、一〇〇時間以上あるものを数十分のみ、しかも編集後のものを、録画/録音を禁止して、期間を区切って一部のマスコミのみに公開するっていう手法は、多くの人が、情報の共有さえ厭い、渋々いやいや限定公開しているという印象を抱かざるをえないのではないか。

守秘義務を持ったしかるべきメンバーが観る、とか、数種類ある事故調に提出し、公開の基準を委ねるとか、未曾有の原発事故と真摯に向き合うなら、やれることはもっとある。

法律上、自分達の裁量の範囲内だ、と言っておきたい企業防衛の「欲望」が、こんな中途半端な「公開」を選ばせたのか?
そうかもしれない。

だが、これは極めて短期的な戦術として有効なだけだろう。
必要か必要でないかは、東京電力の裁量範囲ではなくなるべきだ。

刑事告訴の捜査範囲として、押収し、吟味するという方法もある。

ただ、刑事責任だけがこの事件の責任の全てでもあるまい。

ひたすら残念だ。国民がこの事件の課題を共有するために情報公開すべきだ、ととりあえず書き付けておく。