龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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徐京植『フクシマを歩いて』は「半分だけ」読める。

2012年08月21日 21時51分09秒 | 大震災の中で
『フクシマを歩いて』徐京植
を読んだ。

半分だけうなずけた。

「戦争や植民地支配によって離散者(ディアスポラ)となった人々の声を刻み続けてきた」
と、腰巻き惹句(コピー)に著者紹介が書かれている。

ディアスポラとは祖国の地を失って長く異国の地で生活を営む者、とでもいう意味だろう。(狭い意味ではユダヤ人の状態のことを指すか?)

作者は在日朝鮮人。
「私のような在日朝鮮人も、植民地支配と民族分断という外的な圧力によって離散させられたディアスポラであるといえる。」(P11)
とある。

「フクシマに住んでいたものもまた、あの事故以後ディアスポラとなった」

という含意が、この著作には込められているだろう。
また、それが「半分」うなずけた理由でもある。

郡山市の朝鮮初中級学校に著者が訪ねたくだり、

「公立学校ならば政府が~(中略)~表土の除去作業の費用を負担してくれる。しかし朝鮮学校はこのような施策の埒外に置かれており、自分達から求めなければ必要な情報も得られない。表土除去費用は700万円以上に上るというが、実施するとすればこれを自己負担しなければならないのである」

といった指摘も重要だ。
被害の中にもまだ、差別は厳然として存在し続けている。
私たちは、誰と何を共有しえるのかまたすべきなのか、真剣にその最初のところから問い直さねばならない。

一方、うなずけない残りの半分は「それでもなお、フクシマの地に止まろうとする」私たちの鬱屈・屈折には、文章が届いていないという点にある。

権力的なるもの、植民地支配と民族分断という「外的な圧力」を「敵」と設定するフレームから、この文章は十分に外には出ていない。

だから、結果として「間」や「裂け目」への「想像力」が十分に働いてはいない。
そこが不満だ。

ディアスポラという視点でフクシマを見ることは必要であり、重要だ。
そういう意義はこの本に確実に存在する。

でも、私は、私たちはその視点で回収しきれない残余にこだわっていかねばならない。


一つ苦言を。

こういう言い方をするとなんだけれど、わずかな回数、ちらりと福島を訪れただけで、しかも福島の人間との濃密な接点も感じられない程度で題名を

『フクシマを歩いて』

とするのは、ちょっと営業サイドよりの出版姿勢と取られても仕方がないだろう。
すくなくても私は、私たちはそう受け止めた。


それは、無論訪れた回数の問題ではない。
文章がどこを向いているか、の姿勢に関わる。

私たち福島の生を主題としているのではなく、材料にしている。

それはこの人のスタイルだろうし、この原稿群の真の主題は外のところにあるのだろうから、それはそれでいい。

しかしもしこの程度がこの著者のいう「想像力」だとするなら、もっと想像力の不可能性をきちんと描くべきだ。

「不可能であるのに、そこを考えずにはいられない」

私たちはそういう場所に立っている。
おそらくはこの著者もまた、本当はそういう場所に立っているのではないか?

だとするなら、のこりの半分の不足は、必ずしも福島に対する理解不足の問題ではなく、この著者の「哲学」が問われることでもあるかもしれない。