龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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久しぶりの同級会で(2)

2012年08月14日 14時01分37秒 | 大震災の中で
この機会にもう少し考えをまとめてみたい。
まず、開沼博も指摘している「植民地的状況」を考えよう。
過疎化が進んだ「田舎」は、慢性的に雇用不足だった。
出稼ぎや集団就職でそこをしのぎ、高度経済成長のなかで現金収入を得て行ったのはそんなにむかしのことじゃない。

私たちは、そんな田舎の当たり前の現実さえ忘れさせてもらっていた(苦笑)。
つまりは、原発誘致よって地元の雇用が生まれ、人を都会に奪われなくてすむようになった、という現実がある。

福島以外の原発設置地域自治体が今なお再稼働を容認していくことと深い関連がある。

もちろん、誰だって危ない橋は渡りたくない。故郷を、

東電福島第一原発周辺地域のように

「住めない場所」

にしても平気だ、構わないと思っている人はいまい。

だが、「安全です」と「お上」が言うなら、それを受け入れたいと思う心性は確実に存在する。

それが開沼の指摘する「植民地的状況」だ。

あたかもプランテーション農業のように、宗主国のもとめるもの、この場合は「電力」を提供しつづけ、現金収入を得て雇用も安定していく。けれど結果としてはその土地に住めなくなってしまうリスクを一方的に背負わされている。

最初から対等な経済的取引ではなく、
Nimby(Not In? My? backyard =必要は分かるけど、うちの裏じゃないところにしてね)施設を受け入れるのは、いつだって一つの例外もなく宗主国=中央からみると貧しい地域であったし、今もそうであり続けている。

「原発立地自治体も経済的に潤っていたじゃないか」、という言い方はだから、いささかならず幼稚な意見といわざるをえない。

金にあかせて自分たちが背負いたくないひどい 役割を押しつけておいて、「おまえも同罪だぜ」というのは、頭の悪いいじめっ子の論理と対して変わらないのだから。

その誘致を拒むためには、それができるだけの「相応の準備」が必要だ。
そして、雇用が十分に確保できない貧しい地方が、登場原発誘致を拒む手だては、そう多くはないのではなかったか。

第一、拒み得るところに「宗主国」は手をださない。
もっと困っているところ、もっと弱いところを探すだけだ。

それが福島の双葉郡だったのだし、青森県の六ヶ所村だったのだし。

ある意味では、アメリカに侵攻され、占領されつづけ基地を戦後背負い続けていた沖縄と共通する面さえある。

原発事故の問題は、戦後の経済=政治システム全体を問い直すことを私たちに迫っている。

問題は電力供給量の話ではないのだ。
もっといえば、単なる原発施設の危険度の問題でもない。

安全基準の問題が取り沙汰される。それはそれとして重要だが、お墨付きがほしい「植民地」と、「宗主国」の首都に住む人間とでは基準値ひとつとってもおそらく溝は埋まるまい。

きっと、「宗主国」の首都に住む人たちは、原発施設の設置自治体の住民や政治家たちを実は「愚か」だとどこかで思っているか、もしくはその「宗主国」面をしている政府とか東電とかだけが悪いとでも思っているのかもしれない。

福島市でも、いわき市でも大飯原発再稼働反対の決議が議会で否決された。

それは、この問題が、原発の安全性のレベルではないところで今も推移していることを明らかにしてくれている。
これを単純な議員の知能レベルとか、個人的な利権に矮小化しているうちは、問題の在処さえ見えてこないと思う。
議員は、誤解を恐れずに言えば、地域の利益を守ろうとしてさえいる。

結果として住めなくなってしまうとしても、棲めるうちは住みたいじゃないか?
原発施設の反対派が「転向」していく理由が郷土愛だ、という逆説は、せめてハイデッガーでも読まなきゃいられない状況だ、と思いませんか?