龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

腰を痛めた。

2013年07月03日 00時23分30秒 | 大震災の中で
先週は親戚のお葬式があって、少し忙しかった。
一段落ついて、二日ぐらいしたら、今度は腰が痛くなってきた。

まだ寝込むほどではないが、「あの前兆」といえば経験した方は「あああれね」と納得してくださるかもしれない。

あの腰のあたりに「ざわざわ」というか「びりっ」というか、嫌な感触がわだかまってきている。

昔、一生分の怒りを一度に放出したとおぼしき瞬間があって、そのときは背骨から腰にかけて電気がビリビリと走ったような感触があり、腰が痛くなった。

今日TV(クローズアップ現代)で腰痛の主因はストレス、みたいな番組をやっていたが、うなずける。
もちろん、腰をかがめたまま重いモノを持っていわゆる「ぎっくり腰」になることはある。
しかし、重いモノなど持っていないのに、腰が痛くなることは確かにあって、老化といえばなるほど小学生の時は腰痛など無縁だったのだから、老化なのかもしれないが、どうもストレスが大きく関係しているというのは実感として納得できる。

しばらくはおとなしくしていなければいけない、とも思うが、周囲の筋力が弱ると今度はそれがいけない、とも言われそうだ。

結局、年が関係してくるのはこのあたりからだ。
若い時は無理も利いたし、回復する幅も広い。
年をとると、無理はできないし、普通に無事な運動ができる範囲が狭まってくる。

多少やり過ぎても若者なら大丈夫なのに、年寄りはそれが自らの身を壊す遠因になりかねない。
かといって、刺激を与えなくては体も心も確実に衰えていく。

年をとるに従って、やれることの下限と上限が狭くなって、バランスをとり続けるためには、身体の精緻なコントロールが必要になってくるのだ。
自分の自覚で足りなければ薬を飲む必要も出てくる。

そして、その、運動・体力・精神の間で取り得る幅が狭まって一点に収斂すると、それが「お迎え」ということになるのだろう。

体力の低空飛行が始まったら、できる範囲で無理なく続けることが以前以上に重要になる。

コントロールされた振る舞いこそが、年寄りの美学=必然性ということか。
やれやれ。
今まで「多動児」として生きてきた直球勝負から、コントロールされた変化球勝負に、常に打席に立ち、ぶんぶん振り回していたレギュラーから、
たまに代打で打席に立つ助っ人に、と勝負の場所の幅が狭くなっていくのだ。

それを自覚した上で、何ができるか。
とりあえず、一度に眠れる時間が短くなったことは間違いない。休憩さえ、休み休み取らなくてはならないとは(笑)!

しかし、これが笑い事ではないんだなあ。





エチカ福島第2回セミナーが無事終わりました。

2013年07月03日 00時09分36秒 | 大震災の中で

6月22日(土)、福島県立美術館で開催された
エチカ福島第2回セミナーに参加されたみなさん、ありがとうございました。

アートと倫理という、一見遠く離れて見えるものを結びつけるアイディアに賛成してくれ、発表を快く引き受けてくださった丹治先生にも感謝です。

丹治先生は「限界集落」と呼ばれる新潟県の山村で継続しているアートプロジェクトの発表をしてくださいました。
なんでもないことのように語っておられましたが、
最初は議員の方にも、村の古老にも
「そんなことをやって何になる?」

という厳しい拒絶と批判、非難がある中で一つ一つ持続的な活動を積み重ねた結果として、報告されたようなプロジェクトが成立・継続している、という点は、あまり触れてはおられませんでした。
でも、会場の方々の

「そんなことをやっても限界集落は変わりはしないよ」
「福島でアートなんてあり得ると思いますか?」
「田舎なんて最悪だよ」

という声たちは、丹治先生のアートプロジェクトの否定になるのではなく、結果として、

むしろ丹治さんが語らなかったそのプロジェクトを成立させるまでの「人と人との出会い方」その紆余曲折を、エチカ福島の場で、

「人と人との間にもやもや?モクモク?ボワボワ?と立ち上がるもの」

という丹治先生が言っておられたその、「間を満たし」、「間に響き合うもの」の感触に繋がる

「それ」

として再=現出させてくれていたのかもしれません。

発言されていた方々の意図はもちろん、単純にアートプロジェクトの否定を目的としていたのではなく、それが「いかにして可能か」という「エチカ」を共有する基盤への呼びかけにあったのだと、勝手に理解しています。

うまく通じることだけが、物事を動かすわけではない。

そう、エチカ福島は、「強い説得」から身を引きはがしつつ、なおもそこに共有基盤を探そうとする営みであったのでした。

丹治先生の発表と、それに続く会場の方々の議論を聞いていて、これはやっていかねば、と改めて思いました。

次回の計画は、今相談中です。

秋口になりそうですが、またぜひ、ご参加くださいますよう。
今回おいでになれなかった方々も、ぜひ。

すぐには役に立たない営みでしょうが、積み重ねていこうと思います。