先週は親戚のお葬式があって、少し忙しかった。
一段落ついて、二日ぐらいしたら、今度は腰が痛くなってきた。
まだ寝込むほどではないが、「あの前兆」といえば経験した方は「あああれね」と納得してくださるかもしれない。
あの腰のあたりに「ざわざわ」というか「びりっ」というか、嫌な感触がわだかまってきている。
昔、一生分の怒りを一度に放出したとおぼしき瞬間があって、そのときは背骨から腰にかけて電気がビリビリと走ったような感触があり、腰が痛くなった。
今日TV(クローズアップ現代)で腰痛の主因はストレス、みたいな番組をやっていたが、うなずける。
もちろん、腰をかがめたまま重いモノを持っていわゆる「ぎっくり腰」になることはある。
しかし、重いモノなど持っていないのに、腰が痛くなることは確かにあって、老化といえばなるほど小学生の時は腰痛など無縁だったのだから、老化なのかもしれないが、どうもストレスが大きく関係しているというのは実感として納得できる。
しばらくはおとなしくしていなければいけない、とも思うが、周囲の筋力が弱ると今度はそれがいけない、とも言われそうだ。
結局、年が関係してくるのはこのあたりからだ。
若い時は無理も利いたし、回復する幅も広い。
年をとると、無理はできないし、普通に無事な運動ができる範囲が狭まってくる。
多少やり過ぎても若者なら大丈夫なのに、年寄りはそれが自らの身を壊す遠因になりかねない。
かといって、刺激を与えなくては体も心も確実に衰えていく。
年をとるに従って、やれることの下限と上限が狭くなって、バランスをとり続けるためには、身体の精緻なコントロールが必要になってくるのだ。
自分の自覚で足りなければ薬を飲む必要も出てくる。
そして、その、運動・体力・精神の間で取り得る幅が狭まって一点に収斂すると、それが「お迎え」ということになるのだろう。
体力の低空飛行が始まったら、できる範囲で無理なく続けることが以前以上に重要になる。
コントロールされた振る舞いこそが、年寄りの美学=必然性ということか。
やれやれ。
今まで「多動児」として生きてきた直球勝負から、コントロールされた変化球勝負に、常に打席に立ち、ぶんぶん振り回していたレギュラーから、
たまに代打で打席に立つ助っ人に、と勝負の場所の幅が狭くなっていくのだ。
それを自覚した上で、何ができるか。
とりあえず、一度に眠れる時間が短くなったことは間違いない。休憩さえ、休み休み取らなくてはならないとは(笑)!
しかし、これが笑い事ではないんだなあ。
一段落ついて、二日ぐらいしたら、今度は腰が痛くなってきた。
まだ寝込むほどではないが、「あの前兆」といえば経験した方は「あああれね」と納得してくださるかもしれない。
あの腰のあたりに「ざわざわ」というか「びりっ」というか、嫌な感触がわだかまってきている。
昔、一生分の怒りを一度に放出したとおぼしき瞬間があって、そのときは背骨から腰にかけて電気がビリビリと走ったような感触があり、腰が痛くなった。
今日TV(クローズアップ現代)で腰痛の主因はストレス、みたいな番組をやっていたが、うなずける。
もちろん、腰をかがめたまま重いモノを持っていわゆる「ぎっくり腰」になることはある。
しかし、重いモノなど持っていないのに、腰が痛くなることは確かにあって、老化といえばなるほど小学生の時は腰痛など無縁だったのだから、老化なのかもしれないが、どうもストレスが大きく関係しているというのは実感として納得できる。
しばらくはおとなしくしていなければいけない、とも思うが、周囲の筋力が弱ると今度はそれがいけない、とも言われそうだ。
結局、年が関係してくるのはこのあたりからだ。
若い時は無理も利いたし、回復する幅も広い。
年をとると、無理はできないし、普通に無事な運動ができる範囲が狭まってくる。
多少やり過ぎても若者なら大丈夫なのに、年寄りはそれが自らの身を壊す遠因になりかねない。
かといって、刺激を与えなくては体も心も確実に衰えていく。
年をとるに従って、やれることの下限と上限が狭くなって、バランスをとり続けるためには、身体の精緻なコントロールが必要になってくるのだ。
自分の自覚で足りなければ薬を飲む必要も出てくる。
そして、その、運動・体力・精神の間で取り得る幅が狭まって一点に収斂すると、それが「お迎え」ということになるのだろう。
体力の低空飛行が始まったら、できる範囲で無理なく続けることが以前以上に重要になる。
コントロールされた振る舞いこそが、年寄りの美学=必然性ということか。
やれやれ。
今まで「多動児」として生きてきた直球勝負から、コントロールされた変化球勝負に、常に打席に立ち、ぶんぶん振り回していたレギュラーから、
たまに代打で打席に立つ助っ人に、と勝負の場所の幅が狭くなっていくのだ。
それを自覚した上で、何ができるか。
とりあえず、一度に眠れる時間が短くなったことは間違いない。休憩さえ、休み休み取らなくてはならないとは(笑)!
しかし、これが笑い事ではないんだなあ。