読むべし。
第二次世界大戦中ソ連では100万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医ばかりではなく兵士として武器を手にして戦った。しかし、戦後は従軍の体験を(女性たちは特に)ひた隠しにしなければならなかった。その従軍女性からの聞き書きの本である。
『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アクレシエーヴィチ(岩波現代文庫)
を読み出した。
こういう重い主題の本は苦手だ。読まなくてはならないという思いはある。正面から考えかつ語るために必須の「修行」だと考えもするのだが、読んでいて心がおれやすい。
実際、私は『はだしのゲン』も読み通せない軟弱モノである。
だが、この本は違う。一ページ目を開いた時から「聴き手」=「語り手」の息づかいが感じられ、読者として一瞬でこのテキストの誘いに身を委ねてみよう、という気持ちになれる。
とりあえず前書きに相当する「人間は戦争よりずっと大きい」の、
「人間は年をとってくると、今まで生きてきたことは受け入れて、去っていくときの準備をしようとする。ただ、誰にも気づかれずに消えていってしまうなんてあまりに悔しい。何事もなしにそのまま消えていくなんて。過去を振り返ると、ただ語るだけではなく、ことの本質に迫りたくなってくる。何のために、こんな事が自分たちの身に起きたのかという問いに答えを見つけたくなる。すべてをある意味では許しの気持ちで、そして悲しみをもって振り返る。死のことを思わずには人間の心の中のことは何も見えない。死の神秘こそがすべての上にある。」P9
たとえばこんな部分にも惹かれてしまう。むろん、こういう警句的な表現だけが重要なわけではない。
この文章の最も重要なポイントの一つは、「書き手=聴き手」が「語り手」に寄り添うその姿勢にある。
「男たちは歴史の陰に、事実の陰に、身を隠す。戦争で彼らの関心を惹くのは、行為であり、思想や様々な利害の対立だが、女たちは気持ちに支えられて立ち上がる。女たちは男には見えないものを見いだす力がある」P13
思わず本を手に取ったら手放せなくなってしまった。