広瀬すず主演の「ちはやふる-上の句-」を観た。「海街diary」以来だったが、彼女はもちろん良かった。でもここで書いておきたいのはカルタ競技映画、のことだ。
縁あって、去年からカルタ競技のサークルの顧問をしている。といっても地方少子化に伴う学校規模縮小が進む昨今、正式な部活として認められてはおらず、取りあえずは
①校舎内で練習が許可するための監督要員
②大会出場のための引率要員
として、生徒から依頼されてやっているだけの
顧問だ。まあ生徒から頼まれてやる顧問というのは、そう悪くない。少なくてもお互いに自分たちで枠組みを一から作る楽しみがあるしね。
顧問をやるまでカルタ競技のことは何も知らなかったのたが、去年一年福島県のカルタ競技関係の人々にお世話になって、ようやくどんなものかか分かってきた。
その上で今日、大会引率帰りに「ちはやふる-上の句-」を観た。
泣けた!いろいろ泣けた。
明日、まだ大会の続きがあるのでもう寝なきゃならないんだけど、日本の「部活物」という創作ジャンルは、なかなか侮れない成長ぶりだと思った。
県大会で真剣に札を取っている若者たちと、映画の広瀬すずたちがとうしても重なってくる。そのシンクロ度合いが半端ではない。
「部活物」のノウハウは、漫画やアニメの世界ではもう何十年と培われてきたのだろうし、小説(森絵都の「Dive!」とか、あさのあつこ「バッテリー」)なとでも一大事ジャンルを構成しているのだろうけれど、考えてみれば映画でも吹奏楽やらシンクロやら、卓球やら合唱やらと、「部活物」はしこたまあるのだった。
それにしても、今日見てきたばこりの競技を映画で観るのは不思議な感覚だ。そしてこの「ちはやふる」はそんな中でも「映画的」だと感じる。
たとえば、執拗なまでに飛ばした札を拾いにいく動作が何度も何度も撮られているのだが、その繰り返しが、なんだかとてもリアルなのだった。
もしかすると映画的というよりもむしろある種「教育的」とでもいうべきなのだろうか。
この映画を観て「カルタ競技部」を立ち上げたいと思う生徒たちが出てくるのがとてもよく分かる、そういう「雰囲気」がよく出ている映画なのだ。
もちろん、メディアに流れれば流行りはいつも起きる。その流通のメカニズムの限りにおいては、取り上げられたら題材としての競技がなんであっても同じと言えば同じだろう。
だが、このカルタ映画は、なんだか見ていて楽しくなってくる。
どうしてなのか、もう少しかんがえなくちゃ。
縁あって、去年からカルタ競技のサークルの顧問をしている。といっても地方少子化に伴う学校規模縮小が進む昨今、正式な部活として認められてはおらず、取りあえずは
①校舎内で練習が許可するための監督要員
②大会出場のための引率要員
として、生徒から依頼されてやっているだけの
顧問だ。まあ生徒から頼まれてやる顧問というのは、そう悪くない。少なくてもお互いに自分たちで枠組みを一から作る楽しみがあるしね。
顧問をやるまでカルタ競技のことは何も知らなかったのたが、去年一年福島県のカルタ競技関係の人々にお世話になって、ようやくどんなものかか分かってきた。
その上で今日、大会引率帰りに「ちはやふる-上の句-」を観た。
泣けた!いろいろ泣けた。
明日、まだ大会の続きがあるのでもう寝なきゃならないんだけど、日本の「部活物」という創作ジャンルは、なかなか侮れない成長ぶりだと思った。
県大会で真剣に札を取っている若者たちと、映画の広瀬すずたちがとうしても重なってくる。そのシンクロ度合いが半端ではない。
「部活物」のノウハウは、漫画やアニメの世界ではもう何十年と培われてきたのだろうし、小説(森絵都の「Dive!」とか、あさのあつこ「バッテリー」)なとでも一大事ジャンルを構成しているのだろうけれど、考えてみれば映画でも吹奏楽やらシンクロやら、卓球やら合唱やらと、「部活物」はしこたまあるのだった。
それにしても、今日見てきたばこりの競技を映画で観るのは不思議な感覚だ。そしてこの「ちはやふる」はそんな中でも「映画的」だと感じる。
たとえば、執拗なまでに飛ばした札を拾いにいく動作が何度も何度も撮られているのだが、その繰り返しが、なんだかとてもリアルなのだった。
もしかすると映画的というよりもむしろある種「教育的」とでもいうべきなのだろうか。
この映画を観て「カルタ競技部」を立ち上げたいと思う生徒たちが出てくるのがとてもよく分かる、そういう「雰囲気」がよく出ている映画なのだ。
もちろん、メディアに流れれば流行りはいつも起きる。その流通のメカニズムの限りにおいては、取り上げられたら題材としての競技がなんであっても同じと言えば同じだろう。
だが、このカルタ映画は、なんだか見ていて楽しくなってくる。
どうしてなのか、もう少しかんがえなくちゃ。