2015年8月19日、読書会を終えて福島市からいわき市に戻るのに、途中船引を通ってみようと思い、高速道路を使わずに、一般道で三春まで走ったのだが、そのときふと
「あ、常磐道も国道6号線も通じているのだから、もしかしたら国道288号線を東に降りていったら富岡町までいけるかもしれない」
と思いついた。
コンビニに寄って確かめてみようかとも思ったが、行けるところまで行って、もし交通止めになっていたら戻ってこようと思って、国道288号線を常葉から東に向かった。
このあたりは34年前、初任者として船引高校に着任してからの5年間、よく走った道だ。
家庭訪問もしたし、当時は地域の中学校や公民館などに担任が出向き、出身中学の地元で三者面談をしていたから、地域の主な中学校の学区は知っている。
個人的には都路村(今は田村市の都路)の岩井沢小学校の前で自損事故を起こして死にそうになったことがあるので、このあたりは忘れられない風景になっている(苦笑)。
都路を過ぎると、道はしだいに下り坂になる。しばらくいくと、この看板が目に入った。
「この先帰還困難区域 四輪車のみ通行可」
最初何気なく見過ごしたのだが、3枚、4枚と立て続けにこの立て看板が並んでいて、思わずクルマを止め、Uターンしてシャッターを切った。
当たり前のことだが、未だに帰還困難区域がある。この道路は、そこに続いている。
ただ、その周辺の地域は立ち入りが可能になっている部分も出てきたため、ここでは封鎖されていない。クルマだけが通れる道、ということだ。
人が歩けない道とはどういうことだろう。私たちの住んでいるところと、この帰還困難区域とは、歩いてはたどり着けない道でだけ繋がっている……看板一つで動悸がし始める。胸が苦しくなる。
今朝(8/23日曜)の民友新聞一面に、(素人は)原発事故以前に見た画像の種類によって、原発事故の受け止め方が違う。(そんな<愚かな>素人)を無理矢理専門家は説得するのではなく、データを正確に提供して、市民で議論してもらうことが必要だ、という記事が載っていた。
放射性物質を連想 原発事故前の視覚体験が影響 (2015.8.23民友新聞)
http://www.minyu-net.com/news/news/0823/news7.html
子どもの頃の印象が残っていて、それを原発事故と結びつけ、結果として理解が不十分で、風評被害の原因の一つになっているみたいな記事だ。
なるほど、遠くにいる人にとっては、この語り方は理があると思う。きちんと線量を測って出荷している安全な作物を、根拠なく拒否されてしまうのは福島県民として悲しく、切ない。
それと同時に、ざっくりとした「危険」の印象でフクシマを受け入れたり拒否したりするのではなく、リアルな現場の感覚もまた、どこかで共有できたら、と思う。
私はたまたま現場を通り過ぎただけの人間だけれども、この看板一つとって見ても、福島の事故は深刻であり続けている、ということを、見ていない人と共有しておきたい。
それは、風評被害を払拭するということと無関係のことではない。福島は当然のことだが一つではないからだ。一つの印象でまとめようとするのは、思考の怠惰だし貧しさだ。
福島は、間違いなく「危機」の中にありつづけている。だから、一つのざっくりしたイメージだけでは掬い取れないたくさんの「課題」なり「局面」がある。
降りていくと、熊川海水浴場の看板が見えた。
その脇の細い道は、入ることができないように封鎖されている。大きい道は、作業のクルマだけを通すため、こんな看板が立っている道路もあった。
「あ、常磐道も国道6号線も通じているのだから、もしかしたら国道288号線を東に降りていったら富岡町までいけるかもしれない」
と思いついた。
コンビニに寄って確かめてみようかとも思ったが、行けるところまで行って、もし交通止めになっていたら戻ってこようと思って、国道288号線を常葉から東に向かった。
このあたりは34年前、初任者として船引高校に着任してからの5年間、よく走った道だ。
家庭訪問もしたし、当時は地域の中学校や公民館などに担任が出向き、出身中学の地元で三者面談をしていたから、地域の主な中学校の学区は知っている。
個人的には都路村(今は田村市の都路)の岩井沢小学校の前で自損事故を起こして死にそうになったことがあるので、このあたりは忘れられない風景になっている(苦笑)。
都路を過ぎると、道はしだいに下り坂になる。しばらくいくと、この看板が目に入った。
「この先帰還困難区域 四輪車のみ通行可」
最初何気なく見過ごしたのだが、3枚、4枚と立て続けにこの立て看板が並んでいて、思わずクルマを止め、Uターンしてシャッターを切った。
当たり前のことだが、未だに帰還困難区域がある。この道路は、そこに続いている。
ただ、その周辺の地域は立ち入りが可能になっている部分も出てきたため、ここでは封鎖されていない。クルマだけが通れる道、ということだ。
人が歩けない道とはどういうことだろう。私たちの住んでいるところと、この帰還困難区域とは、歩いてはたどり着けない道でだけ繋がっている……看板一つで動悸がし始める。胸が苦しくなる。
今朝(8/23日曜)の民友新聞一面に、(素人は)原発事故以前に見た画像の種類によって、原発事故の受け止め方が違う。(そんな<愚かな>素人)を無理矢理専門家は説得するのではなく、データを正確に提供して、市民で議論してもらうことが必要だ、という記事が載っていた。
放射性物質を連想 原発事故前の視覚体験が影響 (2015.8.23民友新聞)
http://www.minyu-net.com/news/news/0823/news7.html
子どもの頃の印象が残っていて、それを原発事故と結びつけ、結果として理解が不十分で、風評被害の原因の一つになっているみたいな記事だ。
なるほど、遠くにいる人にとっては、この語り方は理があると思う。きちんと線量を測って出荷している安全な作物を、根拠なく拒否されてしまうのは福島県民として悲しく、切ない。
それと同時に、ざっくりとした「危険」の印象でフクシマを受け入れたり拒否したりするのではなく、リアルな現場の感覚もまた、どこかで共有できたら、と思う。
私はたまたま現場を通り過ぎただけの人間だけれども、この看板一つとって見ても、福島の事故は深刻であり続けている、ということを、見ていない人と共有しておきたい。
それは、風評被害を払拭するということと無関係のことではない。福島は当然のことだが一つではないからだ。一つの印象でまとめようとするのは、思考の怠惰だし貧しさだ。
福島は、間違いなく「危機」の中にありつづけている。だから、一つのざっくりしたイメージだけでは掬い取れないたくさんの「課題」なり「局面」がある。
降りていくと、熊川海水浴場の看板が見えた。
その脇の細い道は、入ることができないように封鎖されている。大きい道は、作業のクルマだけを通すため、こんな看板が立っている道路もあった。