というわけで、本から魂を抜いてPC上に魂(PDF)だけを残す作業に疑問を覚えてきたのだが、一方、PDF化した「本」をiPadで読み始めてみたら、これがとても便利なのである。
なんといっても、書斎に閉じこもる必要がなくなる。
「書斎」
すいません、うそつきました。
本置き場兼寝床です(笑)。
しかし実際何かを考えようとすると、どうしても同時に何冊か本を持ち歩く必要が出てくる。
大きくかさばる本を何冊も持って歩くのはかなりの苦行だ。
加えて私は多動傾向があり、落ち着いて集力を持続しつつ一冊の本を読み通すことがかなり難しい。
研究とか関係なくても常時数冊の本は持って歩きたい。
iPadは、いったん裁断してしまえば、全てをこの700グラム足らずの筐体一つでもちあるき、いつでもどこでも閲覧が可能だ。
というわけで、最近は、今読む(あるいは読もうとしている)新刊書を購入したら片っ端からザクザク裁断し始めた。
正直最初はかなり抵抗がありました。
買ったばかりの美しい装丁の本を無惨にもバラバラにしてしまうわけですから。
同僚の国語教師にこの話をしたら、得体の知れないイキモノを見るような視線を返されてしまいました。
でも、たとえば『スピノザの政治学』などといった本はいくら待っていても電子書籍化など期待できません。
いったん全てをタブレットで携帯し、どでも快適に読める体験を味わってしまうと、これはもう戻れません。
本棚には、どうしても複数一度に参照しなければならない本や、それ自体に価値のある本を残すようにしています。
そして大切なテキストは裁断しても残しておくか、二冊買い。
ま、そういうものです(笑)
もちろんiPadもその重さに問題はあって、文庫本を読むように片手で持って長時間、というわけにはいかない。7インチ画面のタブレットが必要になる所以です。
しばらくはiPad 3とiPhoneのセットで乗り切りつつ、薄型軽量タブレットの動向を見守る感じかな。