12月28日(水)風寒し【読書 水木しげる、橋田信介】
昨日、紀伊国屋で求めた本をご紹介したい。
橋田信介氏の『戦場の黄色いタンポポ』、島田洋七氏の『佐賀のがばいばあちゃん』これは若き友人たちへのプレゼント用である。私のためには水木しげる氏の『ほんまにオレはアホやろか』を買いたかったのだが、残念ながらなかったので、なんとなくギリシャを思い出して塩野七生氏の『サロメの乳母の話』を買った。
水木しげる氏の『ほんまにオレはアホやろか』は私の愛読書である。何回読んだか判らないほど読んだ。そして勇気づけられてきた。今で言えば落ちこぼれのガキ大将が、好きな絵だけは描き続け、戦争に行って片腕を失っても、南の島を楽園のように現地の人々と交流をし、戦後、赤貧洗うがごとき貸本マンガ描き時代を経て『ゲゲゲの鬼太郎』(この歌も実に楽しい)を生み出していくまでの水木氏が書かれている。この本を読み終わると私は人間を本当に賞賛したくなるし、楽しくなるのである。それで、ついにこの大事な本を将来ある若者に譲ったのだ。 しかしまた手元に置きたいと思って、紀伊国屋で探したのであるが、なかった。お正月でも終わったら、新潮社に問い合わせたいと思っている。ありますように。一月九日まで川崎市民ミュージアムで「水木しげる展」をやっているはずなので、観にゆきたいと思っている。
橋田信介氏の『戦場の黄色いタンポポ』は『走る馬から花を見る』の再刊である。橋田さんがイラクで亡くなられた後に、奥さんの幸子さんによって再刊された。ベトナム戦争時代そしてその後のベトナム、ポルポトに痛めつけられたあとのカンボジア、今でも軍事政権下のミャンマーなど東南アジアの国々をフリーカメラマンとして活躍した橋田さんのお元気な頃の話が詰まっている。なんと言っても現地の人々との交流の話題が、橋田さんの人柄が偲べて心温まる本である。
今の若者たちにとっては橋田さんの『イラクの中心で、バカとさけぶ』よりも、『世界の中心で愛を叫ぶ』のほうが、人気があるようだ。私は橋田さんの「イラク」を読んでから、試しに「世界」を読んでみた。「世界」は、私に全く何の心の揺さぶりを感じさせてくれなかった。恋愛小説には感覚が鈍くなったとは私は思わない。試しにサガンの『ブラームスはお好き』を読んでみたら、なかなか感じるものがあった。それぞれの好みというものだろう。古いとは言いたくない。とにかく「イラク」は何回も読んだ。戦場カメラマン橋田さんに敬意を表して。イラクの今も続く戦乱状態を誰が引き起こしたか、我々は誤魔化されてはならない。騙されない目を持つことが橋田さんに対する供養であろう。
「9.11」の映像がテレビに流れたとき、夜遅い時間であったと記憶しているが、アナウンサーの説明が流れない前に、私は「テロだ!」と叫んだ。そのぐらいの危機感は常に持っている。人は尼僧というと、静かに尼寺で花鳥風月を相手に暮らしているような先入観をお持ちのようだが、私はそのイメージには全く当てはまらないであろう。
若い僧侶の友人たちに、橋田さんのような人のいる(現在形としたい)ことを紹介したいと思って、『戦場の黄色いタンポポ』を買ったのである。どう受け取るかはそれぞれの自由ではある。
島田洋七氏の『佐賀のがばいばあちゃん』は、どんなに貧しくても楽しく生きることを教えられる、人間の宝物のような話である。島田氏は私とほぼ同じぐらいの年代で、同じような時代を生きてきたようだ。私が子供であった頃、やはりどこの家もお金はなかった。隣近所でお醤油を借りたり、お米を貸し合って暮らしていた。がばいばあちゃんのような明るさはなかったが、それほどの暗さもなかったように思う。貧乏が当たり前だったからであろう。 しかしがばいばあちゃんのような明るさと智恵があったら、なにも恐いことはないと更に思う。これからどんな時代がくるかも判らない。これからの人々に明るく生きていってもらいたいと願う。私自身も明るく生きていきたいと願う。時折にこの本を開いたら勇気と、そして真の智恵があれば、明るく生きられるということを学べることだろう。
仏教書ばかりを読んでいた時期もあるが、この頃はまた別のジャンルの宝物を時々に読んでいる。
文字盤をたたいている傍らで、母が私の本棚を勝手に空けたようである。食料をしまうのに便利だから本は移動したという。ポッカリとあけられたところは、私が好きで集めた白洲正子氏のコーナーである。まだ読んでいない本もあるが、生きているうちに全て読みたいものと一番目に入るところに置いておいたのだが、母にはどの本も同じである。目に入らない奥にしまい込まれていた。これではツン読のまま終わるかもしれない。皆さんも蔵書の全てを読みきってはいないことでしょう。人生は短い。今年も終わろうとしている。
昨日、紀伊国屋で求めた本をご紹介したい。
橋田信介氏の『戦場の黄色いタンポポ』、島田洋七氏の『佐賀のがばいばあちゃん』これは若き友人たちへのプレゼント用である。私のためには水木しげる氏の『ほんまにオレはアホやろか』を買いたかったのだが、残念ながらなかったので、なんとなくギリシャを思い出して塩野七生氏の『サロメの乳母の話』を買った。
水木しげる氏の『ほんまにオレはアホやろか』は私の愛読書である。何回読んだか判らないほど読んだ。そして勇気づけられてきた。今で言えば落ちこぼれのガキ大将が、好きな絵だけは描き続け、戦争に行って片腕を失っても、南の島を楽園のように現地の人々と交流をし、戦後、赤貧洗うがごとき貸本マンガ描き時代を経て『ゲゲゲの鬼太郎』(この歌も実に楽しい)を生み出していくまでの水木氏が書かれている。この本を読み終わると私は人間を本当に賞賛したくなるし、楽しくなるのである。それで、ついにこの大事な本を将来ある若者に譲ったのだ。 しかしまた手元に置きたいと思って、紀伊国屋で探したのであるが、なかった。お正月でも終わったら、新潮社に問い合わせたいと思っている。ありますように。一月九日まで川崎市民ミュージアムで「水木しげる展」をやっているはずなので、観にゆきたいと思っている。
橋田信介氏の『戦場の黄色いタンポポ』は『走る馬から花を見る』の再刊である。橋田さんがイラクで亡くなられた後に、奥さんの幸子さんによって再刊された。ベトナム戦争時代そしてその後のベトナム、ポルポトに痛めつけられたあとのカンボジア、今でも軍事政権下のミャンマーなど東南アジアの国々をフリーカメラマンとして活躍した橋田さんのお元気な頃の話が詰まっている。なんと言っても現地の人々との交流の話題が、橋田さんの人柄が偲べて心温まる本である。
今の若者たちにとっては橋田さんの『イラクの中心で、バカとさけぶ』よりも、『世界の中心で愛を叫ぶ』のほうが、人気があるようだ。私は橋田さんの「イラク」を読んでから、試しに「世界」を読んでみた。「世界」は、私に全く何の心の揺さぶりを感じさせてくれなかった。恋愛小説には感覚が鈍くなったとは私は思わない。試しにサガンの『ブラームスはお好き』を読んでみたら、なかなか感じるものがあった。それぞれの好みというものだろう。古いとは言いたくない。とにかく「イラク」は何回も読んだ。戦場カメラマン橋田さんに敬意を表して。イラクの今も続く戦乱状態を誰が引き起こしたか、我々は誤魔化されてはならない。騙されない目を持つことが橋田さんに対する供養であろう。
「9.11」の映像がテレビに流れたとき、夜遅い時間であったと記憶しているが、アナウンサーの説明が流れない前に、私は「テロだ!」と叫んだ。そのぐらいの危機感は常に持っている。人は尼僧というと、静かに尼寺で花鳥風月を相手に暮らしているような先入観をお持ちのようだが、私はそのイメージには全く当てはまらないであろう。
若い僧侶の友人たちに、橋田さんのような人のいる(現在形としたい)ことを紹介したいと思って、『戦場の黄色いタンポポ』を買ったのである。どう受け取るかはそれぞれの自由ではある。
島田洋七氏の『佐賀のがばいばあちゃん』は、どんなに貧しくても楽しく生きることを教えられる、人間の宝物のような話である。島田氏は私とほぼ同じぐらいの年代で、同じような時代を生きてきたようだ。私が子供であった頃、やはりどこの家もお金はなかった。隣近所でお醤油を借りたり、お米を貸し合って暮らしていた。がばいばあちゃんのような明るさはなかったが、それほどの暗さもなかったように思う。貧乏が当たり前だったからであろう。 しかしがばいばあちゃんのような明るさと智恵があったら、なにも恐いことはないと更に思う。これからどんな時代がくるかも判らない。これからの人々に明るく生きていってもらいたいと願う。私自身も明るく生きていきたいと願う。時折にこの本を開いたら勇気と、そして真の智恵があれば、明るく生きられるということを学べることだろう。
仏教書ばかりを読んでいた時期もあるが、この頃はまた別のジャンルの宝物を時々に読んでいる。
文字盤をたたいている傍らで、母が私の本棚を勝手に空けたようである。食料をしまうのに便利だから本は移動したという。ポッカリとあけられたところは、私が好きで集めた白洲正子氏のコーナーである。まだ読んでいない本もあるが、生きているうちに全て読みたいものと一番目に入るところに置いておいたのだが、母にはどの本も同じである。目に入らない奥にしまい込まれていた。これではツン読のまま終わるかもしれない。皆さんも蔵書の全てを読みきってはいないことでしょう。人生は短い。今年も終わろうとしている。