5月8日(月)曇りのち雨【風樹の歎き】
まだ風邪が治りきらないようであるが、寝てばかりもいられないので、たまたま目の前にあった『あなたと健康』という小冊子を手にした。二頁程めくったところで、私の目はその頁の一文に釘付けになってしまった。なんと昨日見失ってしまった言葉がそこにあったのである。
昨日、諸橋の『大漢和辞典』に書き留めておきたい言葉を見つけたのだが、うっかり閉じてしまって分からなくなってしまった。それも悲しいかな何という言葉であったかも思い出せない。他の言葉の意味を探していて、たまたま出逢った言葉、良い言葉だったのだが、はて何であったか、なんとしても思い出せない。
あーあ、忘れっぽくなったものよ、と我が記憶力の低下を嘆いていたのが、昨日のこと。その失った言葉があったのである。『あなたと健康』三月号に。常岡一郎先生の文章の中にありました。
「樹欲静而風不止。子欲養而親不待也。」
「樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず」
子が親に孝養を尽くしたいと思うときには、親ははやこの世にはなく、その思いを果たすことはできない、樹が静かにしていようとしても風が吹き止まない。思い通りにはいかない嘆きである。この言葉は『韓詩外伝』(漢代に韓嬰が伝えたもの)のなかにある。「風樹」といえば、父母に孝養を尽くせない喩えとされる。
中唐の詩人、白居易(香山居士772~846)はこの言葉をもととして「風樹の歎」「風木の悲」をその詩に詠んだ。白居易の詩集が手元にないので、『大漢和』の引用文をあげておきたい。
庶使孝子心皆無風樹悲。 「贈友詩」友に贈る詩
[訓読]庶(こいねがわ)くは孝子の心、皆風樹の悲、無からしめんことを
斯可以載揚蘭陔之光、輟風樹之歎耳。 「柳公綽父子、温贈尚書右僕射文」
[訓読]斯(すなわ)ち、蘭陔の光を載揚するを以て、風樹の歎きを輟(やめ)るべきのみ。 * 蘭陔:孝子が親を養うこと
*訳については前後の文が分からないので、訓読のみ。
「親孝行したいときには親は無し」
「樹欲静而風不止。子欲養而親不待也。」この言葉を見て昨日は心に感じるものがあったのである。再びこの言葉にたまたま出会えて本当に良かったと思ったので、ご紹介しました。
父にはなんの孝養も尽くさないうちに去られてしまいました。母はお陰様で存命です。まだ間に合います。皆さんはいかがですか。「風樹」の方には、この一文がお辛いかもしれませんが、お許しを。
*常岡一郎師:明治2年(1899)福岡県に生まれる。慶応大学在学中結核に倒れ、以来15年間闘病生活を送る。その間、求道の生活に目覚め、病を克服する。その後中心社を創設。社会福祉に貢献する。昭和25年(1950)51歳の時、参議院議員に当選。以後12年間国政に携わる。
まだ風邪が治りきらないようであるが、寝てばかりもいられないので、たまたま目の前にあった『あなたと健康』という小冊子を手にした。二頁程めくったところで、私の目はその頁の一文に釘付けになってしまった。なんと昨日見失ってしまった言葉がそこにあったのである。
昨日、諸橋の『大漢和辞典』に書き留めておきたい言葉を見つけたのだが、うっかり閉じてしまって分からなくなってしまった。それも悲しいかな何という言葉であったかも思い出せない。他の言葉の意味を探していて、たまたま出逢った言葉、良い言葉だったのだが、はて何であったか、なんとしても思い出せない。
あーあ、忘れっぽくなったものよ、と我が記憶力の低下を嘆いていたのが、昨日のこと。その失った言葉があったのである。『あなたと健康』三月号に。常岡一郎先生の文章の中にありました。
「樹欲静而風不止。子欲養而親不待也。」
「樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず」
子が親に孝養を尽くしたいと思うときには、親ははやこの世にはなく、その思いを果たすことはできない、樹が静かにしていようとしても風が吹き止まない。思い通りにはいかない嘆きである。この言葉は『韓詩外伝』(漢代に韓嬰が伝えたもの)のなかにある。「風樹」といえば、父母に孝養を尽くせない喩えとされる。
中唐の詩人、白居易(香山居士772~846)はこの言葉をもととして「風樹の歎」「風木の悲」をその詩に詠んだ。白居易の詩集が手元にないので、『大漢和』の引用文をあげておきたい。
庶使孝子心皆無風樹悲。 「贈友詩」友に贈る詩
[訓読]庶(こいねがわ)くは孝子の心、皆風樹の悲、無からしめんことを
斯可以載揚蘭陔之光、輟風樹之歎耳。 「柳公綽父子、温贈尚書右僕射文」
[訓読]斯(すなわ)ち、蘭陔の光を載揚するを以て、風樹の歎きを輟(やめ)るべきのみ。 * 蘭陔:孝子が親を養うこと
*訳については前後の文が分からないので、訓読のみ。
「親孝行したいときには親は無し」
「樹欲静而風不止。子欲養而親不待也。」この言葉を見て昨日は心に感じるものがあったのである。再びこの言葉にたまたま出会えて本当に良かったと思ったので、ご紹介しました。
父にはなんの孝養も尽くさないうちに去られてしまいました。母はお陰様で存命です。まだ間に合います。皆さんはいかがですか。「風樹」の方には、この一文がお辛いかもしれませんが、お許しを。
*常岡一郎師:明治2年(1899)福岡県に生まれる。慶応大学在学中結核に倒れ、以来15年間闘病生活を送る。その間、求道の生活に目覚め、病を克服する。その後中心社を創設。社会福祉に貢献する。昭和25年(1950)51歳の時、参議院議員に当選。以後12年間国政に携わる。