風月庵だより

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『ヨガ行者の一生』と私の断食経験

2006-05-13 19:47:12 | Weblog
5月13日(土)晴れ【『ヨガ行者の一生』と私の断食経験】

今回の風邪はお陰様で、完治宣言を出せそうである。(しかし油断は禁物)結局ぐずぐずと十日に及んだ。その間一週間はほとんど断食状態である。風邪を引くと食欲が全くなくなるので、かえって食べないほうが胃腸にとってよいので、食べるのをやめている。

私は二十代の頃、ヨガナンダ・パラマンサの『ヨガ行者の一生』(聖者ヨガナンダの自叙伝)(関書院新社1967年刊)という本をユーゴスラビア(現セルビア・モンテネグロ)出身の友人に勧められて読んだ。この本の細かい内容については今すぐには思い出せないが、三十年以上たっていても書名も著者名も鮮明に焼き付いているほど印象深い本であった。

特に印象的であったのは、断食についてである。ママ様という五十年以上も何も食べていない女性のヨガ行者の話も印象的に覚えている。この本から、私はヨガについて興味はあまり持たなかったようだ。同じ本を読んでも、その本から受ける印象や影響は個々人それぞれであろう。もっともヨガには興味をそれほどに持たなかったが、出家して坐禅修行者となった。

この本の影響が一番強いと思うが、二十代、三十代にはときどき断食をした。一週間から十日までで、それ以上長い断食はしていない。その時々で状況は違う。ある時は大学に通い、アルバイトも通常にこなしている日常生活のなかで、ある時は友人たちと食事療法の合宿中、ある時は山奥でたった一人で、等等。

断食は指導を受けてやらないと危険なので、初めは食事療法の研究をしている先輩のアドバイスを受けながら実行した。段々に食事を減らしていき、最後は重湯にして、それから断食に入る。また断食開けは段々に重湯から食事を増やしていく。断食の期間中は私はお水を一合は飲むようにしている。水切り断食は危険なので、止めたほうがよいという意見が多い。

断食を実行すると三日目までは空腹を感じるが、それ以降は全く空腹を感じなくなる。ある時体重を量りながら断食をした時、面白いことに気づいた。三日目まで体重は減っていくのであるが、四日目からは減らなかった。三十三キロ。これが私の限界体重なのではないかと思った。根拠はない。

また三日目あたりから木々の葉の一枚一枚が鮮明に見えてくる。遠くの葉の葉脈まで見えるほどになる。私の場合、一週間ぐらいであれば、普通に日常生活を送ることができる。かえって身が軽く感じて動きやすいとさえ感じる。精神的な状況は、常とは違い非常に敬虔な思いが強くなるように思った。

一人で誰もいない山中に籠もったときの断食は、それまでとはちょっと違ったものであった。あるお寺の奥の院の山で、お許し頂いて実行した。一山のどこにも誰もいないし、小屋の所までは細い山道なので、麓からは容易には上がってこられない場所である。麓から離れたところに一軒の宿があるだけで、街からは遠く離れている。そこで十日間の断食を試みた。

山には三十三観音様の石仏が点在していて、相輪橖が頂上に建てられていたので、毎日囘峰行をして、祈りを捧げながらお参りをしたのだった。きれいな水が湧き出ているところが一カ所あり、そこで一日お椀一杯だけの清水を頂いた。

空腹は一日目から感じなかった。体中が初めから断食体勢にコントロールされていたのである。十日間は食べない、と決めれば、体はすぐにそれに順応できることが分かった。マインド・コントロールをすれば、ボディー・コントロールはすぐに可能だということだろう。

ただこのとき一度だけ恐いと思ったのは、誰もいないはずの山なのだが、夜中に小屋の戸がトントンと叩かれたことだ。おそらく狸か狢だと思うが、戸の心張り棒をしっかりと押さえたことを思い出す。翌朝、外に出てみると、清々しい山の冷気は心地良く、空は青く晴れていて、なんの危険もなかった。狸も常は真っ暗闇の山の中に懐中電灯の灯りが見えたので、おそらく誘われて訪問して来たのであろう。そんな余裕を持って、夜中の音を笑うことができた。それから夜も恐くなくなった。

漆黒の闇のなかで過ごす経験も得難いものであったし、囘峰行が終わり、一杯のお水を頂き、山の斜面に寝ころんで、見上げた空の広がり、木々を渡る風の音、時折の鳥の声、ゆったりと形を変えながら流れる雲、山に溶けこんでいくような気がした。一杯のお水で十分に満たされ、疲れも感じない十日間であったことを思い出す。残念ながらあのときのように爽やかな心身の状態を、その後感じたことはない。

しかし、このときの断食開けは失敗してしまった。麓に下りてきたとき、梅が簀の子に干されてあって、あまりにおいしそうだったので、一つ食べてしまったのだ。太陽の光と熱を受け、塩分のきつい梅干しは、陰陽という表現をすれば、極陽性の食物になる。それを断食開けに食べてしまったので、それから十日以上全く眠れなくなってしまった。目はつむるのだが、頭は冴え冴えとしていて、夜空の星が輝いているような状態である。

体は全く疲れを知らないので、昼間普通に働けるのであるが、これでは心身のバランスを欠いてしまうだろうと思ったので、針灸の先生のところで体のバランスを取って貰って、なんとか眠られる体に直して貰ったのである。このようなとき不思議な体の状態を面白がっていると、大事なバランス感覚を壊してしまうのではないかと思う。あやまたない判断が必要である。普通の人間は、夜は眠り、朝は起きるリズム<を持つことが生きていく上で大事なことだと、その時に学んだ。

この頃は、仕事の為に車の運転をすることも多いし、限界体重に近いので、これ以上痩せては風に吹かれてしまうので、敢えて断食はしない。お釈迦様も苦行は不必要と言われたように、断食は決して修行ではない。私にとっては単に趣味である。苦行としてならする必要のないことである。

この十年ぐらいは、一年に一度、風邪を引くと、自然に断食に近い状態は経験している。しかし、全くの断食ではない。咳のために蓮根の卸し汁を飲む。また一日に四,五回発汗をしてしまうので、新しい塩気の補給に梅生番茶というのを飲む。さらに玄米の重湯を飲む。薬は一切飲まないので、風邪菌の思うがままに任せているのである。そのうちに自然に治って、一年間はまた体が動いてくれることが、有り難い。

天井を仰いで寝ながら、不思議な気持ちに襲われた。いつの日か、この身が、この世から無くなるのだ、という不思議である。時々この不思議な気持ちに襲われる。この世からいなくなるということ。本当に消えるということ。………人間である間は、時々はおいしい山の幸、海の幸に感謝して、友や家族と食べることを楽しみ、そう、たまにおいしいご酒を友と飲めれば、亦楽しからず也。

『ヨガ行者の一生』は、またいつか読み返してみたいと思う。若いときとは違った目で読めるかもしれない。私が出家するのに影響のあった一冊の本である。消える前に読んでみようと思う。

梅生番茶:梅干し、生姜の卸し汁適当、醤油適当、熱い番茶を注いでよくかき混ぜる。

発汗::体に溜まった重金属の毒素は、汗でしか排出できないとなにかで読んだ気がする。サウナもその効果があるのではなかろうか。

相輪橖::九輪がかたどられた塔柱。青銅や鉄で柱が組まれたのみのものをいう。

宿便::腸内に長い間溜まった便。これを排出すると健康によいと東洋医学ではいうようである。微食にすると出やすい。産まれたばかりの赤ちゃんの腸内には、同じようなカニババと言われる宿便のようなものがあり、これは母親のにがい初乳によってしか出でないとされる。産まれたばかりの赤ちゃんに人工のミルクをあげてはならないそうだ。

*苦行実践の無益:釈尊は苦行の無益なことについて諸所で語っている。
 ▲「(前略。)このようにして半月にいたるまでも措いて回数食の実践にふけって住んでも、かれに、かの戒の完成が、心の完成が、慧の完成が修習されず、目の当たり見られないならば、かれは沙門の道から遠いだけであり、バラモンの道から遠いだけなのです。」(『長部戒蘊篇』巻8「大獅子吼経」片山一良訳パーリー仏典第二期2p175)
 ▲「(前略)また、現在のいかなる沙門、あるいはバラモンが奮発による烈しい苛酷な苦を感受しているにしても、これが最高であり、これ以上のものはないしかし、苛酷な難行によっても、私は』人法を超えた最勝智見を得ることがない。覚りへの道が他にあるのではないか」(『中部根本五十経篇』第36ー18「大サッチャカ経」片山一良訳パーリー仏典第一期2p215)

身を保つ食についても釈尊は語っている
 ▲「われわれは食べ物に量を知るものになろう。正しく観察し、食べ物を摂ろう。戯れのためでもなく、心酔のためでもなく、魅力のためでもなく、美容のためでもない。あくまでもこの身体の存続のため、維持のため、害の制止のため、梵行をささえるためである。このようにしてわれわれは古い苦痛(空腹の苦痛)を克服しよう。また新しい苦痛(食べ過ぎの苦痛)を起こさないようにしよう。そうすればわれわれは生き存え、過誤がなく、安らかに住むことになるであろう。」(『中部根本五十経篇』第39ー8「大アッサプラ経」片山一良訳パーリー仏典第一期2p273)