風月庵だより

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余暇と趣味

2008-03-10 23:20:48 | Weblog
3月10日(月)久々の雨【余暇と趣味】(数年前母と訪れた仏オルレアン)

私の師匠は「余生」という言葉はおかしいとよくおっしゃっていました。「余った人生などあるものか。最期まで全分の人生じゃろう」とおっしゃるのが口癖でした。「全分」という表現は、禅的には全部を意味します(一般的には「全てに分ける」というような意味)。刻一刻、全て命の働き、人生ですから、定年退職した人や、それを送る人が「余生を」などと言うたびに、「余った人生などあるのかなあ」とおっしゃっていたのです。

このログの題は「余暇」ですが、それと同じ事で、「余った時間などあるのかなあ」と言われてしまいそうですが、ここでは『広辞苑』には「自分の自由に使える、あまった時間。ひま。いとま。」。ユニークな『新明解』には「仕事と仕事の間の、ひまな時間。レジャー」と書いてあるように「仕事やなすべきことをして、自分が自由に使える時間」というような意味で使わせて頂きましょう。ということで、一日のうち、自由に使える時間は人それぞれでしょうが、私は、夜の9時か10時くらいになりますと、ようやくなにか自由に使える時間になります。これを一日のうちの余暇と呼びましょう。忙しくなさっている方からみれば、かなり余暇のあるほうかもしれません。

この3ヶ月ほどはこの余暇を使いまして、書道に打ち込んでいました。書道は私の唯一の趣味です。この4月に東京都美術館で所属している書道会の書作展があり、それに出品する作品に取り組んでいました。6尺という長さの大きい作品で、40文字を書き入れます。

呉襄という人の五言律詩で、そのなかには「趙州」という字も入っています。禅宗の歴史のなかで、馬祖道一ばそどういつ(709~788)の弟子南泉普願なんせんふがん(748~834)の弟子趙州從諗じょうしゅうじゅうしん(778~897)は大変にユニークな方です。年齢からして驚きですが、世寿120歳です。

「趙州喫茶去」の話は特に茶道をなさっている方で知らない人はいないでしょう。この話については以前当ログに書いたことがあります。まあ、なんとかこの趙州 という字だけでも思うように味のある字を書きたいものと思い、毎日毎日書き続けました。欲を言えば、40文字全て、パーフェクトに書きたいところですが、残念ながら未熟ですから、この字が良ければあの字が悪し、あの字が良ければこの字が悪し、で思うようには一枚の作品として書けません。

時には筆を持ちながら、眠ってしまっていることもありました。そんなにして頑張りましたが、ついに時間切れになり提出の期限が来ましたので、「これまで」と諦めて提出しました。無心に書き続けた数ヶ月が終わりました。

さあ、これからは「余暇」を何に使いましょう、と思うまもなく次の予定が入っています。皆さんはどのような趣味をお持ちですか。「余った時間などなかろう」と師匠の声が聞こえてきそうです。

しかし、人生は短いのですから、のんびりと空を眺める時間を失わないようにしたいものです。空を眺められるのは、この世に命のある間かもしれません。空のなかに入ってしまっては、眺めることはそのときはできないかもしれません。自分が自分の顔を絶対に見られないように。