風月庵だより

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チベットのジャンヌ・ダルクその4

2008-10-08 22:23:32 | Weblog
10月8日(水)雨後曇り【チベットのジャンヌ・ダルクその4】(ダライ・ラマ法王14世 撮影:亀野哲也師)

しばらく書けませんでしたので、ガワン・サンドルさんについての記事が途中で終わっていました。『囚われのチベットの少女』(フィリップ・ブルサール、ダニエル・ラン著、今枝由郎訳、トランスビゥー刊)をもとにして、ガワン・サンドルさんについてのご紹介を続けます。


11歳の少女ガワン・サンドルが、はじめに課せられた刑期は3年でした。それが前に紹介しましたように6年の追加、またさらに8年の追加で、17年の刑を勤めなくてはならないことになってしまいました。

彼女が兄に宛てた手紙の中に、なぜこれほどの犧牲を払って反抗し続けるのか、その原動力の源を伺い知れる言葉がある。「もちろんここでは戒を破らなければならないような状況がありますが、(中略)今まで以上に善業を積むことができました」と書かれています。祖国チベットのための活動は慈悲の行為とみなされているのだそうです。

彼女の抵抗の原動力となっているのは、祖国チベットの自由を奪い返すための監獄における不屈の戦いなのです。しかし、分別ある人から言わせれば、監獄で闘っても意味がないのではないかと言うのではないでしょうか。私も実はそう思います。監獄で闘ったところでそれはどこにも影響を与えないし、無駄なことではないかと思うのです。それよりもおとなしく刑期を勤めて、一日も早く監獄から出てきて外の世界で闘った方が有効な闘いができるのではないかと思うのです。ガワン・サンドルほどの強い意志があればいかなる状況にあろうとも戦えるのではなかろうかと思うのです。

しかし 、このように監獄で闘う自らを「私は今一切の幸せから縁遠い存在ですが、これは私の業で、それが現世に現れているのです」このように兄宛の手紙に書いています。

そして再び、監獄の中でガワン・サンドルも尼僧たちも叫んでしまったのです。それはチベットの空に赤い中国の旗が揚げられる日でした。政治犯たちは一斉に叫びました。「自由チベット万歳!」「私たちの地で中国人は中国国旗を掲揚する権利はない」「自由チベット万歳!」と。

この反抗活動に対して、また厳しい制裁が加えられました。ガワン・サンドルは首謀者とみなされ(まだ17歳の少女なのに)、兵士たちにベルトや竹棒で殴られ、大量出血し頭蓋骨がみえるほどに傷つき、意識も失ってしまうほどの状態となってしまいました。たらいに3杯もの出血があったそうです。それでも医者には診てもらえませんでした。少女だけではなく他の多くの人々も、虐待を受け傷つき倒れてしまいました。

監獄当局の者たちはリーダーは誰であるか、それを探し出そうと一人一人尋問しますが、誰しも自分の意志で叫んだと答えます。ガワン・サンドルに監督官が尋問します。「お前が首謀者だろう」と。そして少女は答えます。「そうです。私が責任者です」と。

この度の、監獄の中で「自由チベット」と、叫んだ尼僧たち6人は拷問によって死亡しました。他にも数人おそらく拷問によるものでしょうが、死亡しました。

そしてラサの裁判所でガワン・サンドルに下された刑は5年の延刑でした。これで22年の刑を勤めることになってしまったガワン・サンドルです。思想転向を迫る裁判官に彼女は言います。「私は変わりたくありませんし、変われません!たとえ死んだとしても、したこと考えたことは一切後悔しません」と。

次に裁判所に出頭するようなことがあれば、法律からいって死刑なのだそうです。度重なる拷問と暴行によってガワン・サンドルの健康は悪化し、度々の発作を起こしているそうです。それでも抵抗をやめようとしないガワン・サンドルは、百年戦争でフランスを勝利に導いたあのオルレアンの乙女、ジャンヌ・ダルクのように救国の思いに燃えて最後まで闘い続けるつもりなのでしょう。

もはや誰も彼女を止めることはできないでしょう。いかに分別ある説得をしようとも聞く耳は持たないでしょう。ただ祖国チベットに自由がもたらされるまではたとえ監獄の中であろうとも闘い続ける覚悟でしょう。しかし、治療も受けさせてもらえない少女の肉体は限界なのではないでしょうか。監獄から救出しなければ、焚刑されたジャンヌ・ダルクのように、命をおとしてしまうことになるでしょう。どうすればよいのでしょうか。

中国政府の人たちは、このような監獄の状況を知らないのではないでしょうか。

『チベットの囚われの少女』(トランスビュー刊)をもとに、チベットのガワン・サンドルをご紹介させていただきました。こうして私たちが自由に生きていられる同じ時間にラサの一隅で病んだ肉体を支えながら、チベット独立を願って闘っているガワン・サンドルはじめ多くの僧侶や人々がいることをせめて感じながら、息をしたいと思いつつ、この記事を終わらせて頂きます。