1月18日(日)曇り【あわや事故に】(出迎えてくれたルナ)
昨日は阪神淡路大震災が発生した日でした。あれから14年がたちました。あの大惨事のことを忘れないように、昨日は防災について、ラジオでも特集の放送がありました。地震が発生したときの備えとしてなにが必要か、というなかに、懐中電灯や水に加えて、靴が大事であることが、特に言われていました。
また、災害復興住宅で身よりのない一人暮らしのお年寄りたちが、人知れず死んでいることが報道されていました。死後何日もたってから発見されているということです。地震の前に住んでいたところでしたら、おそらく隣近所の昔からのおつきあいがあって、それなりに看取られて亡くなることができたのではないでしょうか。また地震で家族を失い、一人ぽっちになられた人もいらっしゃるのでしょう。
何も私にはできませんが、ただ心から哀悼の意を表します。
さて、昨日は私も初めて大変危ない目に遇いまして、あやうく交通事故を起こすところでした。命があったかどうかはわかりません。法事からの帰りのことです。昨日は、暖房を入れなくても、車の中はぽかぽかしていました。眠気にふと襲われる感じがあり、気を付けなくてはと思っていたのですが、バーンという音とともに、何かに跳ね返されるような衝撃で我に返りました。車はそのまま車線に戻って、運転を続けていましたが、確実に道路脇にぶつかったはずです。
考えてみますと、二車線ある右側の車線を走っていたはずなのに、左側の車線を走っています。これは居眠りをして左側の車線に寄っていき、さらに道路脇にぶつかって跳ね返されたようです。環状八号線を走っているときでした。後続車が左車線にいなかったのでしょうか。考えたら恐ろしいことでした。自分が事故を起こすだけでなく、他人を巻き添えにするところでした。思わず、亡き師匠や父や兄や、観音様や仏様に感謝しました。家で待っているいる母親や猫のルナにも感謝しました。
途中で、いつもの修理工場に寄って点検してもらいましたら、左側のタイヤが白くなり、ホイールに少しギザギザがついていました。「危なかったですね。それでも車体には傷は少しもついていませんね」とおやじさんが言いました。状況を振り返ってみますと、左から合流する車線のあるところで、その車線が切れる位置の縁石にぶつかって跳ね返されたのだと思います。
車は一応点検してもらうことにしました。
今、私は死ぬわけにはいきません。だれでもそうでしょうが。帰ってすぐに、取り急ぎ二月に控えている大事な支払いについて、まさか遺言としたくはありませんが、すぐにその支払いについてと、お願いを一筆書き添えて仏壇に置いておきました。
私のように迂闊なドライバーも少ないでしょうが、居眠り運転にはくれぐれも注意を致しましょう。(このことは母にはけっして言えません。内緒です)
阪神淡路大震災の日が、私の命日とならなかったこと、頂いた命とさらに思い、日々を大事に生かせていただきたいと思います。
昨日は阪神淡路大震災が発生した日でした。あれから14年がたちました。あの大惨事のことを忘れないように、昨日は防災について、ラジオでも特集の放送がありました。地震が発生したときの備えとしてなにが必要か、というなかに、懐中電灯や水に加えて、靴が大事であることが、特に言われていました。
また、災害復興住宅で身よりのない一人暮らしのお年寄りたちが、人知れず死んでいることが報道されていました。死後何日もたってから発見されているということです。地震の前に住んでいたところでしたら、おそらく隣近所の昔からのおつきあいがあって、それなりに看取られて亡くなることができたのではないでしょうか。また地震で家族を失い、一人ぽっちになられた人もいらっしゃるのでしょう。
何も私にはできませんが、ただ心から哀悼の意を表します。
さて、昨日は私も初めて大変危ない目に遇いまして、あやうく交通事故を起こすところでした。命があったかどうかはわかりません。法事からの帰りのことです。昨日は、暖房を入れなくても、車の中はぽかぽかしていました。眠気にふと襲われる感じがあり、気を付けなくてはと思っていたのですが、バーンという音とともに、何かに跳ね返されるような衝撃で我に返りました。車はそのまま車線に戻って、運転を続けていましたが、確実に道路脇にぶつかったはずです。
考えてみますと、二車線ある右側の車線を走っていたはずなのに、左側の車線を走っています。これは居眠りをして左側の車線に寄っていき、さらに道路脇にぶつかって跳ね返されたようです。環状八号線を走っているときでした。後続車が左車線にいなかったのでしょうか。考えたら恐ろしいことでした。自分が事故を起こすだけでなく、他人を巻き添えにするところでした。思わず、亡き師匠や父や兄や、観音様や仏様に感謝しました。家で待っているいる母親や猫のルナにも感謝しました。
途中で、いつもの修理工場に寄って点検してもらいましたら、左側のタイヤが白くなり、ホイールに少しギザギザがついていました。「危なかったですね。それでも車体には傷は少しもついていませんね」とおやじさんが言いました。状況を振り返ってみますと、左から合流する車線のあるところで、その車線が切れる位置の縁石にぶつかって跳ね返されたのだと思います。
車は一応点検してもらうことにしました。
今、私は死ぬわけにはいきません。だれでもそうでしょうが。帰ってすぐに、取り急ぎ二月に控えている大事な支払いについて、まさか遺言としたくはありませんが、すぐにその支払いについてと、お願いを一筆書き添えて仏壇に置いておきました。
私のように迂闊なドライバーも少ないでしょうが、居眠り運転にはくれぐれも注意を致しましょう。(このことは母にはけっして言えません。内緒です)
阪神淡路大震災の日が、私の命日とならなかったこと、頂いた命とさらに思い、日々を大事に生かせていただきたいと思います。