10月20日(水)曇り【尼僧堂開創の地での晋山式】(曹洞宗尼僧学林開創旧跡の碑)
今月の1日と2日に、名古屋での晋山式に随喜してきました。
この度晋山式のあった医王山香林寺は、かつては薬師堂といわれ、文化年間(1804~1817)に建てられたといいます。常住の僧侶が住むようになったのは、嘉永五年(1852)で、横井香林尼和尚です。開山は香林尼の師である大須万松寺三十世大鵬賢明和尚、開基は横井嘉六夫妻(香林尼の両親)ということが「薬師寺縁起」として書き残されているそうです。
二世は安藤大賢尼和尚、三世は安藤道契尼和尚(法号は実参)で、この方が、この香林寺を尼僧学林 として開いたメンバーのお一人です。尼僧学林の創設は、京都養林庵庵主の水野常倫尼の提案で、賛同する同志は、堀密城尼、山口巨鑑尼、安藤道契尼です。道契尼は、十三歳で出家してより、十三年間常倫尼の侍者として参侍していました。
この四人の方のことを、尼僧学林開創の四恩師として、私も安居中に学んでいました。
香林寺で尼僧学林が開校したのは、明治三十六年五月です。その時の安居者は二十二名、教職員八名だったそうです。それから七年の間、香林寺で尼僧学林は開かれましたが、明治四十二年に柳原町に移転しました。さらに第二次世界大戦で柳原は焼失しましたので、戦後名古屋市千種区城山町の正法寺に移転し、現在に至っています。
この度、香林寺の第八世として晋山なさったのは、釈照慧師です。二十五年にわたって香林寺を監寺としてお守りしてきました。七世である青山俊董老師の法嗣の方です。
私は尼僧堂時代に一度香林寺に拝登しましたが、かなり老朽化していた記憶があります。この度すっかり見違えるように本堂もきれいに整っていましたし、庫裏は新しく建てられていました。
そして世代の方々のお墓もきれいに整備されて、まつられていました。
今まで、何カ所か晋山式に随喜したことがありましたが、多くの尼僧が結集しての晋山式は初めてでした。ほとんどの配役を尼僧が勤めました。それぞれの配役をご紹介したいところですが、個人情報で、それぞれに許可を頂いていないので控えますが、とても暖かい感じの晋山式でした。
このように力を合わせて、一つのことを成し遂げることは、素晴らしいと思いました。 大衆の威神力という言葉もありますが、一人一人が自分の配役をこなして、大変な儀式を仕上げていく醍醐味がありました。私は当日に行って、配役をこなすだけでしたが、当事者は、この儀式の準備から、当日の運営から、その後のいろいろな後始末から、大変なことだと思います。
とにかく尼僧堂開創の地での、晋山式に随喜できた縁のめぐりあわせに「随喜」しています。この頃とみに思うのですが、何事にも「随喜」の心こそが、自分自身にとってどんなに安らぎであるか、ということです。
遅ればせながら、ブログに掲載の許可を頂く電話を今朝やっとしましたので、紹介させて頂きました。
今月の1日と2日に、名古屋での晋山式に随喜してきました。
この度晋山式のあった医王山香林寺は、かつては薬師堂といわれ、文化年間(1804~1817)に建てられたといいます。常住の僧侶が住むようになったのは、嘉永五年(1852)で、横井香林尼和尚です。開山は香林尼の師である大須万松寺三十世大鵬賢明和尚、開基は横井嘉六夫妻(香林尼の両親)ということが「薬師寺縁起」として書き残されているそうです。
二世は安藤大賢尼和尚、三世は安藤道契尼和尚(法号は実参)で、この方が、この香林寺を尼僧学林 として開いたメンバーのお一人です。尼僧学林の創設は、京都養林庵庵主の水野常倫尼の提案で、賛同する同志は、堀密城尼、山口巨鑑尼、安藤道契尼です。道契尼は、十三歳で出家してより、十三年間常倫尼の侍者として参侍していました。
この四人の方のことを、尼僧学林開創の四恩師として、私も安居中に学んでいました。
香林寺で尼僧学林が開校したのは、明治三十六年五月です。その時の安居者は二十二名、教職員八名だったそうです。それから七年の間、香林寺で尼僧学林は開かれましたが、明治四十二年に柳原町に移転しました。さらに第二次世界大戦で柳原は焼失しましたので、戦後名古屋市千種区城山町の正法寺に移転し、現在に至っています。
この度、香林寺の第八世として晋山なさったのは、釈照慧師です。二十五年にわたって香林寺を監寺としてお守りしてきました。七世である青山俊董老師の法嗣の方です。
私は尼僧堂時代に一度香林寺に拝登しましたが、かなり老朽化していた記憶があります。この度すっかり見違えるように本堂もきれいに整っていましたし、庫裏は新しく建てられていました。
そして世代の方々のお墓もきれいに整備されて、まつられていました。
今まで、何カ所か晋山式に随喜したことがありましたが、多くの尼僧が結集しての晋山式は初めてでした。ほとんどの配役を尼僧が勤めました。それぞれの配役をご紹介したいところですが、個人情報で、それぞれに許可を頂いていないので控えますが、とても暖かい感じの晋山式でした。
このように力を合わせて、一つのことを成し遂げることは、素晴らしいと思いました。 大衆の威神力という言葉もありますが、一人一人が自分の配役をこなして、大変な儀式を仕上げていく醍醐味がありました。私は当日に行って、配役をこなすだけでしたが、当事者は、この儀式の準備から、当日の運営から、その後のいろいろな後始末から、大変なことだと思います。
とにかく尼僧堂開創の地での、晋山式に随喜できた縁のめぐりあわせに「随喜」しています。この頃とみに思うのですが、何事にも「随喜」の心こそが、自分自身にとってどんなに安らぎであるか、ということです。
遅ればせながら、ブログに掲載の許可を頂く電話を今朝やっとしましたので、紹介させて頂きました。